第108話 迷子(参)
「一太郎ぉ!どこー!?」
おみつさんが叫ぶ。
一太郎というのはおみつさんが子供の名前だと、私は思い出した。
おみつさんと一太郎に血のつながりはなく、彼は元々おみつさんの旦那の姉の子供――つまり甥だった。それが実母を亡くしたことにより、おみつさん夫婦に引き取られたのだ。そう、豆腐屋のお
豆腐屋の軒先でもめていた様子から察するに、一太郎とおみつさんの関係はあまり良好ではなかったようだ。傍から見ても、一太郎のおみつさんへの態度は相当ひどいものだった。
そんな一太郎が迷子になってしまったようである。
「おぅい、一太郎!」
よくよく見れば、おみつさんの隣には、彼女より幾らか年上の男性がいる。もしかしたら、彼女の夫かもしれない。
「悲惨だな」
おみつさん夫婦の様子を見て、ヒサメがぽつりと呟いた。
「こんな人混みではぐれたら、そう会えるもんじゃない」
冷たいことを言うようだが、それはヒサメの言う通りだった。大和宮近辺で、小さな子が迷子になると自力で両親と再会するのは難しい。
一応、迷子や行方不明者の情報伝達・収集のための伝言板があったり、子供に迷子札をつけさせたりと、対策は講じられていたが、それで全ての親子が再会できるわけでもない。
迷子の中には、人さらいに連れ去られた子供も含まれる。
この国では子供だって貴重な労働力だ。もちろん違法だが、誘拐された後に何処かへ売り飛ばされることもあるらしい。
また、神隠しで子供がいなくなる――という話も耳にする。
運よく誰かに保護してもらっても、親の迎えが来るとは限らない。そういう場合、その子は捨て子として扱われる。
――大丈夫だろうか…。
一太郎のことを考えていると、私は居ても立っても居られなくなった。そのまま茶屋の腰掛から立ち上がる。
私の行動を見て、ヒサメは怪訝そうな顔をした。
「おい、どこに行くんだ?」
「すみません。少しだけ…」
私はおみつさんたちの元に駆け寄り、声を掛けた。
「一太郎くんが迷子になったんですか?」
「えっ…あなたは?」
びっくりした顔で、おみつさんが私を見る。
そりゃあ、そうだ。私は先日の親子喧嘩を見ていたが、おみつさんの方は私を知らない。
「ハルと言います。実は、豆腐屋のお芳さんのところで、あなたたち親子を見かけたことがあって…」
「ああ、お芳さんの……!あ、あの!一太郎を見ませんでしたか?」
私が
それを隣の男性が
男性はやはりおみつさんの夫だった。夫妻と一太郎は、三人で
相変わらず、一太郎は反抗的な態度だったが、それでも祭り自体は楽しんでいたらしい。しかし、夫妻がハッと気付いたとき、彼の姿はなかったのだ。
「どこではぐれてしまったのか、分かりますか?」
「おそらく、正面の鳥居をくぐった付近だと思うのですが…」
「なるほど」
「申し訳ないのですが、一太郎を見つけたら保護してやってくれませんか?」
「それは、もちろんです」
私はすぐさま頷いた。
そうして私たちがやり取りしている間も、おみつさんはずっと泣き続けている。
「私…私のせいだわ……」
悲壮な顔で、ブツブツとそんなことを呟いていた。
*
菓子の他にも、寿司、蕎麦、
他には、衣類や日用雑貨、小間物、鉢物や園芸品を扱う植木市。大道芸人よる路上パフォーマンス。
目移りしてしまいそうな楽し気な風景だが、私はイマイチ楽しめずにいた。
頭に過るのは、迷子の一太郎少年のこと。
知り合いと言って良いか微妙な彼のことが、頭の中をチラついて離れなかった。
こんな人混みの中で見つかるはずはないと思うのに、視線はどうしても、一人で
――一太郎という子は、しっかりした子供に見えたし、自身で自宅の住所を覚えているかもしれない。ちゃんと家に帰って来られる可能性もある。
無理やり、そんな風に己を納得させながら、それでも私は一太郎を目で探し続けた。
そんな私の様子に気付いて、心配そうにコンがこちらを伺ってくる。
「ハル…だいじょうぶ?」
せっかく
先ほど、ヒサメが水を差していると思ったが、今一番にこの雰囲気を台無しにしているのは私だろう。私は申し訳なく思った。
「何でもないよ!ほら、早く本殿の方にお参りに行こう!」
できるだけ明るい声を出したつもりだが、コンは眉を下げてしまっている。
「まいごの子が気になるの?」
「えっと…」
私は誤魔化すように笑った。
「ちょっと、だけね」
「ハルちゃんは優しいですね」
目を細めて、こちらを見るおコマさんに「そんなことはないです」と私は首を左右に振る。
実際、そんなことはまるでない。
私が一太郎のことを気にしてしまうのは、あくまで個人的な理由――どうしても、彼と自分を重ね合わせてしまうからだ。
「その迷子の子供は、お前の知り合いなのか?」
「いえ、知り合いというほどでは…」
ヒサメが私に尋ねる。
ただ、私が一方的に知っているだけの関係である。そう答えると、ヒサメは呆れ果てた顔をした。
「……はぁ。そんなヤツのことまで気にしていたら、キリがないぞ」
子供がいなくなっているのに薄情とも思うが、迷子の多い大和宮だ。ヒサメの言うことも一理ある。
そもそも、ヒサメからすれば、興味もない祭りにわざわざ私たちを連れてきてやっているのだ。それなのに、どうして暗い顔をされなくてはならないのかと、彼が不満に思うのも無理はない。
私は場の空気を悪くしてしまったことを謝ろうと口を開きかけた。
だが、その前に――
「おい、コマ。お前の鳥たちで、それらしい子供がいないか見てやれ。空からの方が、いくらか探しやすいだろう」
「はい、ヒサメ坊ちゃん」
ヒサメがおコマさんに指示をするので、私は目を見開いた。
すると、ヒサメは少々バツが悪そうにする。
「……ほら、行くぞ」
そう、ぶっきらぼうに言って、彼は私の前を歩いて行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます