第107話 迷子(弐)
ヒサメに「怪我はないか?」と聞かれ、私は
彼は左腕で私の背をしっかり抱きとめてくれ、おかげで、踏み台から落ちても別段怪我はなかった。
はぁ……とヒサメは溜息を吐くと、私に呆れた視線をよこした。
「足場の不安定な所でわざわざ姿勢を変えるなんて、お前は何を考えているんだ?」
全くもってごもっとも。反論の余地はない。
申し訳ございません、と小さな声で私は言う。
「お祭りに行けると分かったら、つい……」
テンションが上がってしまった。
もごもごと言い訳をすると、ヒサメは意外そうに目を見開いた。
「……そんなに嬉しかったのか?」
これは「祭りごときではしゃぐとは…。まったく、見た目通りお子様だな」などの揶揄が飛んでくるだろう。
そう思いつつ、本当のことなどで「はい」と私は素直に認める。
「……」
「……ヒサメ様?」
だが、予想した嫌みは一つも飛んでこなかった。それどころか、ヒサメは何も言わない。
何も言わないヒサメを不審に思い、彼の顔を覗き込むと……何だか、顔が赤いような……?
「むぐぅ」
不意に私の顔面に何かが押しあてられた……って、これ。ヒサメの右手だ。ヒサメの手が私の顔面を覆っている。
「こちらを見るな」
不機嫌そうなヒサメの声。
どうにも、彼は私に見られたくないようで。この手は目隠し代わりということか。
それにしても、いささか乱暴……というか、鼻も口も覆われてしまって息苦しい。
それから、手を引き剥がそうとする私と、それに抵抗するヒサメ――という不毛な攻防がしばらく続いたのだった。
*
ちょうど、桜の花が満開になった頃、私たちは
飴屋や団子屋、玩具屋の前では、子供たちが親におねだりしているのが見えた。
賑やか、そしてすごい混雑だ。こんな所で連れとはぐれてしまえば悲惨である。見つけるのは至難の業だろう。私はしっかりコンの手を握った。
「離さないでね」
「うん!」
コンもぎゅっと私の手を握り返してくる。
そんな私たちの様子を微笑ましいとでもいうように、おコマさんは目を細め、隣を歩くヒサメに話しかけた。
「確かに。こんなところで迷子になってしまったら、大変だわ。ねぇ、ヒサメ坊ちゃん」
「……」
「坊ちゃん?」
「……ああ」
この人混みに、ヒサメはすっかり辟易しているようだった。主の不機嫌を見て取って、おコマさんとロウさんは互いに顔を見合わせ、苦笑している。
それでも、約束を守る気はあるようで、ヒサメは「帰る」とは言い出さなかった。
テンション低めなヒサメに反して、コンはとても楽しそうだった。道の両脇に並ぶ屋台に目を奪われている。
「何か、欲しい物はある?」
「おだんご、食べたい!」
神社の境内に入ったところで、コンが指さした。そちらに目を向ければ、なるほど茶屋がある。
「ヒサメ坊ちゃん。休憩がてら入りませんか」
「ああ、そうするか」
おコマさんが提案すると、げんなりとした顔でヒサメは頷いた。
私たちは茶屋で、お茶と串団子をそれぞれ注文する。団子を手に取って、コンは目を輝かせた。
「おいしいね!」
満面の笑みでコンは言う。
あぶった団子に、とろみのある醤油だれをくぐらせた串団子は素朴だけれども、美味しい。きっと、祭りという非日常の雰囲気が、団子の味をよりいっそう美味しくしているのだろう。
そして、そんな楽しい空気に水を差す男が一人……
「はしゃぐ程、
心底不思議そうな顔で、ヒサメは首を
まぁ……彼の言いたいことも分かる。やはり、普通に買うよりも割高だし、値段の割に大したことがないという意見もあるだろう。
「えっー?ご主人さま、おいしいよ」
「そうか?これなら、ずっとハ……いや、何でもない」
「ん?」
「あっ、そこ。大道芸をやっているな」
ヒサメは何かを言いかけて止め、境内の一角を指さす。
確かに、そこには奇術師たちが
「……そう言えば、お前たちもああいったことをしていたな」
ヒサメの言う通り、私とコンは四条の屋敷に行く前、大道芸で生計を立てていた。あれは、去年の夏のことだったか。
この一年弱、色々とありすぎて、何だか遠い過去のように思える。
「やはり、ヒサメ様はそのときにコンを見つけたのですか?」
私が質問すると、ヒサメは「ああ、そうだ」とあっさり頷いた。
「偶然、外京を通りかかったときに、コンを見つけた。驚いたさ。一目見て、あの天狐の血縁だと分かった。妖力の性質が酷似していたからな」
「え…」
私はハッとしてヒサメを見る。
今の言い方だと、まるでヒサメは天狐――つまり、コンの母親に会ったことがあるように聞こえたからだ。
異世界に行きたいヒサメと、異世界に渡る力を持つ天狐。
もし、この二者が過去に会っていたと言うのなら、それはどういう意味を持つのだろうか?どうしてヒサメは異世界に行きたいのか……その理由にも繋がるような気がした。
そんなことを考えていたところ、女性の泣き叫ぶ声が聞こえてきた。
「一太郎―!一太郎っ!!」
必死に子供の名前を呼ぶ母親。彼女を目にして、私はその顔に見覚えがあることに気付く。
いつだったか、豆腐屋の又六さんの店先で見た若い女性――おみつさんだった。
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