第105話 復讐(参)

 綾小路あやのこうじの屋敷にあるはずの立て鏡を氷雨ヒサメが所持していて、千景ちかげえいも驚いた。


「まさか、ヒサメさん。泥棒してきたんですか?」


 おずおずと伺う千景に、「阿呆あほう」とヒサメが呆れ顔をする。


「誰が泥棒なんてするか。コイツの方から俺の元にやって来たんだ」

「え~。鏡に足が生えたわけやあるまいし、そんなん鏡の方からって……あっ」


 よくよく立て鏡を見て、千景はあることに気付く。


「あれ?妖力がある……ってことは、コレ。もしかして、付喪神つくもがみ?」

「正解だ」

「ああ、なるほど。そういうことか」


 一人納得する千景。一方、栄の方は何が何だか分からない。


「あの…付喪神って?」


 彼女は困り顔で、ヒサメに尋ねた。


「百年経た道具に魂が宿ったとされるアヤカシだ。この立て鏡、かなりの年代物だったらしい。時を経て、心と妖力を持つようになったんだ。ただし、その力は一時的に極端に低下していた。なぜだか、分かるか?」

「もしかして、鏡面にひびが入っていたから?」

「その通り。初めて、この鏡の付喪神と会ったとき、コイツは俺の頭の中に直接話しかけてきた。己を直してほしい。そして、その理由は……」


 ニヤリとヒサメは口角を上げる。


をしたいから――だとさ」


 栄は目を丸くして「復讐…」と小さく呟き、それからハッとしたように声を上げた。


「もしかして、父の仇……綾小路親承あやのこうじちかつぐへの復讐ですか!?」

「そうだ。コイツは前の持ち主であるお前の父親を殺した綾小路を恨んでいたんだ」

「そんなことが…」


 前の持ち主の無念を晴らすために付喪神が行った復讐劇――それが今回の顛末てんまつだった。


「綾小路はが鏡や水面に映ると言っていただろう?アレは付喪神のせいだ。壊れた鏡面が直り、妖力を回復して、コイツは『力』を取り戻した。対象者の過去を映す力をな」

「過去を…?」

「そうして、付喪神は綾小路の過去――ヤツの悪行を鏡に映し続けたのさ」


 綾小路親承あやのこうじちかつぐは、いずれ刑部省長官になるだろう評されるほどの出世頭だったが、目的のためなら他者を陥れたり、悪事を働いたりすることも厭わない男だった。


 栄の父親である橘平助たちばなへいすけ殺害の他にも、これまで綾小路が犯してきた罪は数知れない。その罪と、被害者たちが怨嗟の声をあげる光景を、付喪神は延々と移し続けたのだ。


 鏡面や金属面、水面。反射性のあるもの全て――それこそ他人の目玉にすら、綾小路には自分の悪行が映って見えるのだと言う。

 綾小路は神経の太い男だったが、あらゆる物に己の過去の罪と、それを恨む人々の顔が映し出されることには、さすがに精神が持たなかったようだ。


「あの男が自室に引きこもるようになったのは、もう自らの悪行を目にしたくないからだろうが……果たしてソレで全てを回避できるかは怪しいな。もしかしたら、いずれ自分で自分の目玉をえぐってしまうかもしれん」


 ヒサメは暗い笑みを浮かべる。


 そのとき、ようやく栄は理解した。

 どうして、ヒサメがどれだけ栄が懇願しても、立て鏡の修理を思いとどまってくれなかったのか。

 俺はの手伝いをしてやった。むしろ、邪魔をしたのはお前の方だ――そう、ヒサメに言われた言葉の意味を。


 呆けたように、栄は付喪神となった父の鏡を見た。


「あなたが代わりに復讐をしてくれたのね……ありがとう」


 彼女の目から、ぽろりと涙が零れた。




 一通り、話を終えると「さて」とヒサメは切り出した。


「俺がこの付喪神の復讐を手伝うことを引き換えに、復讐が果たされた後、コイツは俺の式神になる約束になっている」

「あっ、だからかぁ。最初は綾小路の依頼を断ろうとしていたのに、途中で気が変わったのは。ちゃんと、見返りがあったから」


 ポンと千景は手のひらを打った。


「まぁな。しかし、元を正せば、コイツはお前の父親の持ち物だ。形見として引き取りたいのなら、そうしてもかまわん」

「ええっ!?」


 ヒサメの言葉に驚いたのは栄ではなく、千景だった。よほど意外だったのか、彼は目をひん剥いている。


「あのヒサメさんがただ働きを?他人に親切を!?」

「どういう意味だ」


 ぎろりとヒサメに睨まれて、「あははは…」と千景はすごすごと引っ込んだ。

 フン、とヒサメは鼻を鳴らす。


「俺もあのには思うところがあったからな。付喪神の復讐に付き合って、清々した部分がある。綾小路親承あやのこうじちかつぐはあくどい男だが、有能だった。アレがいなくなれば、綾小路家は落ちぶれるだろう。きっと、そのも困るだろうさ」


 だから、望むのなら父親の形見の鏡を返してやる――そう言われて、栄はしばらく悩んだ。鏡をジッと見つめ……それから小さくかぶりを振る。


「いいえ。私では、この子の持ち主に相応しくありません」

「そうか」

「はい。事情を知らなかったとはいえ、私は元通りになった鏡を見て、綾小路の家のものになるくらいなら、いっそ壊してしまおうと――そう考えたんです。だから、私ではだめです」


 栄は深々とヒサメと千景に頭を下げた。


「本当にありがとうございました。綾小路を殺そうとしたとき、あなたたちが止めてくれなかったら、私は処刑されていたでしょう。このの復讐の邪魔もしてしまったはずです」

「お栄さんはこれから、どうするんや?」


 心配そうに千景が尋ねると、栄はニコリと笑った。


「もはや綾小路の屋敷にいる意味はありません。あそこは辞めようと思います。実は、母方の伯父が商売をしていて、その手伝いをしてくれないかと誘われているので、そちらに」

「そっか。うん、それがいいわ!」


 栄はもう一度、ヒサメに向かって頭を下げる。


「どうか、そのをよろしくお願いいたします」


 そう言い残して、彼女は四条の屋敷を後にした。



 四条の屋敷で、ハルが作った料理をたらふく食べた後も、千景とヒサメはちびちびと晩酌を続けていた。

 話題はもちろん、元の持ち主のために綾小路に復讐した付喪神の話である。


「過去を映す鏡ねぇ…また、えらいのを式神にしましたねぇ。お~い」


 千景が鏡に呼びかけるものの、一切応答がない。

 この付喪神、ヒサメの頭の中に直接呼びかけ、復讐への助力を請うたらしいが、千景に対しては無視を貫くつもりらしかった。

 それにちょっと「面白くない」と思う千景である。だからか、彼はこんな軽口を叩いた。


「でも、過去を映すって、ちょっと気味悪くないですか?」


 すると、付喪神に変化があった。その鏡面に、目の前のものとは違う別の風景が映し出される。

 それは狭い穴倉の中のようだった。蝋燭ろうそくの火が揺れる先に、男女の姿が見える。男が小柄な女に覆いかぶさっていた。


 それを見た千景は「えっ…」と言葉を漏らす。

 彼は酒の酔いがたちまち冷めていくのを感じた。


 鏡に映る男は千景で、女はハルだ。この光景に、もちろん千景は見覚えがあった。

 確か、鬼女紅葉に操られていた千景がハルのおかげで覚醒したときのこと。この後、囚われたコンをどのように助けるか、ハルと相談していたときのことだ。


 穴倉の外から、紅葉の配下の骸骨たちが千景らを監視していた。だから、彼らの視線から逃れるように、話を聞かれないよう、ハルと身体を密着させて作戦会議をしていた。

 だから、千景には後ろ暗い所はない。後ろ暗い所はないはずだが……傍から見ると、千景がハルを襲っているようにしか見えなかった。


「ちょっ、待って!こんなん映したら誤解がっ!!てか、なんでわざわざこんな場面映し出すんや!?嫌がらせにも程があるやろうっ!?」


 千景が悲鳴を上げると、


「……おい。これはどういう状況だ?」

「っ!!」


 横から地を這うような低い声がした。思わず、千景の身体はびくりと跳ね上がる。

 恐る恐る隣を見れば、いつの間にか至近距離にヒサメがいて、鏡面に映し出された千景とハルを見ていた。

 その冷たすぎる眼光に、千景の顔がみるみる青くなっていく。


「あ、あっ…これはですね!まったく、やましいことはなくてっ!理由が、理由があるんです!」

「ほぉ?では、その理由とやらをじっくり聞こうか?」


 ヒサメは口角を上げて笑みを作るが、その目は全く笑っていない。


――こんなん、どう見ても嫉妬している男そのものやん!これでハルちゃんを可愛いとも何とも思ってないとか、どの口が言うんや!?


 必死になってヒサメに弁明しながら、千景はそう思った。



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