第104話 復讐(弐)
千景の術で失神していた栄は、急に倒れてしまったという
「目が覚めてから、この子、ずっと泣いてんねん。俺は何がなんやら分からんし、いい加減事情を教えてくださいよ」
「まぁ、待て」
と言いつつ、ヒサメは畳の上に腰を下ろした。
部屋の周囲に人がいないか気配を探ったが、誰かが聞き耳を立てている風でもない。それを確認し、ヒサメは栄に単刀直入に尋ねた。
「あの男を殺そうとしたのか?」
「あの男って…
ヒサメの言葉を受けて、千景は懐から布に包まれた小刀を取り出す。つい先ほど、栄が手から取り落としたものだった。
それを見て栄は絶望的な顔になり、ヒサメを罵った。
「どうして!どうして復讐の邪魔をするのっ!?」
「おい、声が大きい。誰かに聞こえるぞ」
「もう、どうなったって良いわよ!」
栄は髪を掻きむしる。
彼女の様子を横目で見ながら、千景はヒサメにこそりと訊いた。
「復讐って?」
「コイツの父親は綾小路に殺されたらしい。あの鏡は、その父親のものだったと。しかし、綾小路が父親を殺した証拠はないそうだ」
「ははぁ」
何となく事態を察した千景は、気の毒そうに栄を見る。
「気持ちは分からんでもないけれどもなぁ。君、召使いが貴族の主なんて殺そうもんなら、極刑やで。しかも、綾小路がお父さんを殺した証拠もないんじゃ、情状酌量の余地もないし」
「うっ…ううっ…」
ボタボタと栄の目からまた大粒の涙が零れ落ちる。
「綾小路を殺して、鏡も割るつもりだったのか?」
「だったら何よ!」
「阿呆なことを。そんなことしても、お前の父親が蘇るわけでもあるまいに。それどころか、自分も
「うるさいっ!アンタに私の気持ちなんて分からないわよっ!どうして、放っておいてくれないの?復讐の邪魔をするの!?」
栄の言葉を聞いて、ヒサメはおかしそうに口角を上げた。それから、こんなことをのたまう。
「いいや。俺は復讐の手伝いをしてやった。むしろ、邪魔をしたのはお前の方だ」
「……は?」
ヒサメの言葉の意味が理解できず、栄は
「どういう意味よ」
「なぁに、今に分かる。結果が出るまで、お前は大人しくしていろ。いいな?」
それだけ言って、ヒサメは立ち上がると、部屋から出て行った。
*
ヒサメが綾小路の屋敷で鏡を直してから、一か月ほどが経過したとき、千景が少し興奮した様子で四条の屋敷にやって来た。
「ヒサメさん!聞きましたか?」
「何だ?騒々しい」
「
ソレを聞いて、ヒサメは「ふぅん」と呟く。
「そろそろだとは思っていたが…」
「やっぱり、ヒサメさん。何か知ってますね?あの男に、何があったんですか?」
「そうだなぁ」
「もったいぶらず、教えてください!俺だって巻き込まれたんやから」
ヒサメと千景がそんなやり取りをしていたところ、今後は
「あの…以前いらした、お栄さんという方が、またいらしているんですが……」
「ふん。千客万来だな」
「坊ちゃんにお会いしたいと。断りますか?」
「いいや、会おう。客間に通してくれ」
ヒサメが自ら他人をこの屋敷に入れるのは珍しい。千景もコマも驚いていると、
「千景、お前も来い。綾小路に何があったのか、それが分かるぞ」
ヒサメはそう言った。
四条の屋敷の客間には、ヒサメと千景、そして栄がいた。
栄はこの前の興奮具合が嘘のように落ち着いていて、二人に会うなり、畳に手を付いて頭を下げた。
「以前は、取り乱してしまい、大変申し訳ございませんでした」
千景は栄の変わりように驚くが、ヒサメは平然としている。彼はどうして栄がやって来たのか、その理由を予想できているようだった。
「綾小路は刑部省の仕事を辞任したらしいな」
「はい。それについて、お聞きしたいことがあり、今日は伺いしました」
「なるほど。では、まずあの男に何があったのか、お前の知りうる限りを話してくれるだろうか?」
こくん、と栄は頷く。
そうして、彼女は綾小路の屋敷で起こった不可解なことについて話し始めた。
*
しかし、しばらくして、綾小路は妙なことを口にし始めた。
何でも、例の鏡に妙なモノが映るのだと言う。
それからの綾小路は、あれだけ気に入っていた立て鏡を手に取ることはしなくなった。
ただ、事態はこれで終わることはなかった。
例の鏡以外にも妙なモノが映り始めたと言うのである。
屋敷にある銅鏡や磨かれた金属の食器など、とにかく反射性のあるものに、その妙なモノが映るらしい。しかし、ソレが見えるのは
妙なモノが何なのか――ソレを綾小路は
家人や使用人に、光を反射する物は捨てるか、綾小路の目に付かない場所へ隠すよう命じたくらいだ。
綾小路は自身で出来る限りの対策をしたようだが、妙なモノはそんな彼を嘲笑うかのように、彼の前から消えなかった。
やがて、庭の池や風呂などの水面にもソレらは映り始めると、綾小路はありとあらゆるものに怯えた。
第三者から見れば、綾小路は幻覚に苛まれているようにしか見えず、家人たちは医者や祈祷師に彼を診せたが、全く改善されなかった。
綾小路は精神を病み、自室に引きこもるようになった。そして、とうとう仕事に行くこともできなくなって、辞職した――それが栄が目にした一部始終だった。
「あの男がどうして精神を病んでしまったのか。彼が見ているものが何なのか。もしかして、四条様ならそれをご存じではないかと思い、私はここに参りました」
「なるほどなぁ」
「どうか、教えてください!」
すると、ヒサメは自身の隣にあった包みを、他の二人にも見えるよう前に置いた。彼らが見守る中、ヒサメは布の包みをほどいていく。
そうして、出てきたモノに栄も千景も「あっ」と声を上げた。
「コイツの復讐だよ」
ヒサメが示したモノ――それは例の立て鏡だった。
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