第104話 復讐(弐)

 綾小路あやのこうじ宅の一室に氷雨ヒサメが赴くと、そこには泣きじゃくるえいと、うんざりした表情の千景ちかげがいた。


 千景の術で失神していた栄は、急に倒れてしまったというていでこの部屋に運ばれたのである。そんな彼女に、今の今まで千景は付き添っていた。

 綾小路親承あやのこうじちかつぐとの話を切り上げてきたヒサメを、千景は恨めしそうに見上げる。


「目が覚めてから、この子、ずっと泣いてんねん。俺は何がなんやら分からんし、いい加減事情を教えてくださいよ」

「まぁ、待て」


 と言いつつ、ヒサメは畳の上に腰を下ろした。

 部屋の周囲に人がいないか気配を探ったが、誰かが聞き耳を立てている風でもない。それを確認し、ヒサメは栄に単刀直入に尋ねた。


「あの男を殺そうとしたのか?」

「あの男って…綾小路親承あやのこうじちかつぐのことですよね?君、こんな物騒なモン持って、自分の主を刺そうと思ったんか?」


 ヒサメの言葉を受けて、千景は懐から布に包まれた小刀を取り出す。つい先ほど、栄が手から取り落としたものだった。

 それを見て栄は絶望的な顔になり、ヒサメを罵った。


「どうして!どうして復讐の邪魔をするのっ!?」

「おい、声が大きい。誰かに聞こえるぞ」

「もう、どうなったって良いわよ!」


 栄は髪を掻きむしる。

 彼女の様子を横目で見ながら、千景はヒサメにこそりと訊いた。


「復讐って?」

「コイツの父親は綾小路に殺されたらしい。あの鏡は、その父親のものだったと。しかし、綾小路が父親を殺した証拠はないそうだ」

「ははぁ」


 何となく事態を察した千景は、気の毒そうに栄を見る。


「気持ちは分からんでもないけれどもなぁ。君、召使いが貴族の主なんて殺そうもんなら、極刑やで。しかも、綾小路がお父さんを殺した証拠もないんじゃ、情状酌量の余地もないし」

「うっ…ううっ…」


 ボタボタと栄の目からまた大粒の涙が零れ落ちる。


「綾小路を殺して、鏡も割るつもりだったのか?」

「だったら何よ!」

「阿呆なことを。そんなことしても、お前の父親が蘇るわけでもあるまいに。それどころか、自分もむごい死を迎えるだけだ」

「うるさいっ!アンタに私の気持ちなんて分からないわよっ!どうして、放っておいてくれないの?復讐の邪魔をするの!?」


 栄の言葉を聞いて、ヒサメはおかしそうに口角を上げた。それから、こんなことをのたまう。


「いいや。俺はの手伝いをしてやった。むしろ、邪魔をしたのはお前の方だ」

「……は?」


 ヒサメの言葉の意味が理解できず、栄は怪訝けげんそうに顔をしかめた。千景も同様のようで、首をかしげている。


「どういう意味よ」

「なぁに、今に分かる。が出るまで、お前は大人しくしていろ。いいな?」


 それだけ言って、ヒサメは立ち上がると、部屋から出て行った。



 ヒサメが綾小路の屋敷で鏡を直してから、一か月ほどが経過したとき、千景が少し興奮した様子で四条の屋敷にやって来た。


「ヒサメさん!聞きましたか?」

「何だ?騒々しい」

綾小路親承あやのこうじちかつぐが辞職したそうですよ!」


 ソレを聞いて、ヒサメは「ふぅん」と呟く。


「そろそろだとは思っていたが…」

「やっぱり、ヒサメさん。何か知ってますね?あの男に、何があったんですか?」

「そうだなぁ」

「もったいぶらず、教えてください!俺だって巻き込まれたんやから」


 ヒサメと千景がそんなやり取りをしていたところ、今後はコマが顔を出した。彼女は困り顔で「ヒサメ坊ちゃん」と声を掛ける。


「あの…以前いらした、お栄さんという方が、またいらしているんですが……」

「ふん。千客万来だな」

「坊ちゃんにお会いしたいと。断りますか?」

「いいや、会おう。客間に通してくれ」


 ヒサメが自ら他人をこの屋敷に入れるのは珍しい。千景もコマも驚いていると、


「千景、お前も来い。綾小路に何があったのか、それが分かるぞ」


 ヒサメはそう言った。




 四条の屋敷の客間には、ヒサメと千景、そして栄がいた。

 栄はこの前の興奮具合が嘘のように落ち着いていて、二人に会うなり、畳に手を付いて頭を下げた。


「以前は、取り乱してしまい、大変申し訳ございませんでした」


 千景は栄の変わりように驚くが、ヒサメは平然としている。彼はどうして栄がやって来たのか、その理由を予想できているようだった。


「綾小路は刑部省の仕事を辞任したらしいな」

「はい。それについて、お聞きしたいことがあり、今日は伺いしました」

「なるほど。では、まずあの男に何があったのか、お前の知りうる限りを話してくれるだろうか?」


 こくん、と栄は頷く。

 そうして、彼女は綾小路の屋敷で起こったについて話し始めた。



 綾小路親承あやのこうじちかつぐについて、ヒサメが立て鏡を直してから数日間は、一見何事もないようだった。むしろ、やっと完璧な姿の鏡を手に入れて、彼は上機嫌で、ことあるごとに立て鏡を眺めていた。


 しかし、しばらくして、綾小路は妙なことを口にし始めた。

 何でも、例の鏡にが映るのだと言う。

 それからの綾小路は、あれだけ気に入っていた立て鏡を手に取ることはしなくなった。


 ただ、事態はこれで終わることはなかった。

 例の鏡以外にもが映り始めたと言うのである。


 屋敷にある銅鏡や磨かれた金属の食器など、とにかく反射性のあるものに、そのが映るらしい。しかし、ソレが見えるのは綾小路親承あやのこうじちかつぐだけで、屋敷の他の者は目にしたことがなかった。


 が何なのか――ソレを綾小路はかたくなに話さなかった。しかし、彼は怯えていた。

 家人や使用人に、光を反射する物は捨てるか、綾小路の目に付かない場所へ隠すよう命じたくらいだ。


 綾小路は自身で出来る限りの対策をしたようだが、はそんな彼を嘲笑うかのように、彼の前から消えなかった。

 やがて、庭の池や風呂などの水面にもソレらは映り始めると、綾小路はありとあらゆるものに怯えた。


 第三者から見れば、綾小路は幻覚に苛まれているようにしか見えず、家人たちは医者や祈祷師に彼を診せたが、全く改善されなかった。

 綾小路は精神を病み、自室に引きこもるようになった。そして、とうとう仕事に行くこともできなくなって、辞職した――それが栄が目にした一部始終だった。



「あの男がどうして精神を病んでしまったのか。彼が見ているものが何なのか。もしかして、四条様ならそれをご存じではないかと思い、私はここに参りました」

「なるほどなぁ」

「どうか、教えてください!」


 すると、ヒサメは自身の隣にあった包みを、他の二人にも見えるよう前に置いた。彼らが見守る中、ヒサメは布の包みをほどいていく。

 そうして、出てきたモノに栄も千景も「あっ」と声を上げた。


「コイツのだよ」


 ヒサメが示したモノ――それは例の立て鏡だった。



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