第103話 復讐(壱)

「俺、今日休みやったんですけれど……」


 そう不平を口にするのは千景ちかげだ。


 この日、千景は四条氷雨しじょうひさめと共に、二人で綾小路親承あやのこうじちかつぐの屋敷を訪れていた。

 目的は、綾小路の壊れてしまった立て鏡の修復である。綾小路からの依頼を受けて早二日で、ヒサメは鏡を修復する準備を整えたようだった。


――理由は分からんけれど、妙にやる気やよなぁ。この人。いや、それはヒサメさんの勝手やから良いんやけど……。


 良くないのは、どうしてソレに自分まで付き合わなければならないのか…ということ。綾小路の依頼を受けたのはヒサメ個人であるのに、休日返上で無理やり連れてこられて、彼は納得できなかった。


 綾小路の屋敷に入る前、小声でヒサメは千景に話しかけた。


「この屋敷に、『えい』という名のそばかす顔の若い女中がいる。ソイツが妙な真似をしないよう、お前は見張っておけ」

「妙な真似?」

「任せたぞ」

「はっ!?いや、ちょっと…」


 千景の了承の返事も待たず、自分だけさっさと屋敷の門をくぐるヒサメ。その背中を追いかけつつ、千景は言った。


「相変わらず、勝手な人やなぁ!もうっ!!」



 ヒサメと千景は客間に通されると、程なくして屋敷の主である綾小路親承あやのこうじちかつぐがやって来た。二人が立て鏡を修復しに来たと知り、彼は非常に上機嫌だった。


「これから、鏡の修繕を始めてもよろしいですか?」


 ヒサメが伺うと、綾小路は「それは願ってもない」と頷いた。すぐに彼は声を張り上げて、召使いを呼ぶ。そして、例の鏡を持ってくるよう命じた。


 ややあって、一人の若い女中が客間にやって来た。その腕には、絹の布に包まれた鏡がある。

 女中の顔を見て、千景は「あっ」と小さく声を漏らした。彼女の鼻の頭には、目立つそばかすがあったからだ。もしかしなくても、彼女が『栄』なのだろうか。


――この子が妙な真似をせんように……って、この子は何者なんや?


 疑問に思いつつ、千景は栄の動向を見守った。


 栄はヒサメに例の鏡を手渡す。その際、敵意に満ちた眼で彼を見ていたものの、特に妙な行動は起こさず、部屋から出て行った。


 客間の中央にヒサメと綾小路が座り、千景は部屋の隅に控える。廊下に近い場所で、何気なくそちらに視線を移した千景はハッとした。

 廊下の曲がり角に、まだ栄が佇んでいたのだ。なんだか、彼女は鬼気迫るような表情をしている。


――これはホンマに何かしでかす気かも。


 千景は気を引き締め、栄の方に注意を向けた。



 さて、ヒサメはというと、彼は鏡の修復に取り掛かろうとしていた。

 絹の包みを開けると、先日のように美しい異国風の立て鏡が現れる。優れた反射性をほこるガラス鏡がヒサメの端正な顔を写していた。

 残念なことに、その鏡面には大きなヒビが入っている。これを修復するのが、今回のヒサメの仕事だった。


 キラリと光を反射する鏡。しばらくの間、それをヒサメは無言のまま見つめる。

 やがて、ヒサメは『修復の呪符』の呪符を手に、口の中でしゅを唱えた。

 ひとりでに札がふわりと宙を舞うと、それは広がって立て鏡の鏡面をすっぽりと覆う。呪符に書かれた神与文字が青い光を帯び、それが炎となって札全体を包み込でいく。


「おおっ」


 目の前で上がった青い炎を見て、綾小路は驚きの声を上げた。

 そして、自らの炎に焼かれ、呪符が燃え尽きたとき、現れたのは鏡面に傷一つない立て鏡だった。


「すごいっ!素晴らしいっ!!」


 興奮で鼻息も荒く、綾小路は立て鏡を手に取った。彼は鏡を舐めるように眺める。


「完璧だっ!これ、これだよっ!これこそ、わしが求めていた鏡だっ!!」


 立て鏡が元の状態に修復されたと分かり、綾小路は感極まって叫んだ。


「すっかり元通りだ!素晴らしい腕前だ!感心したよっ!」


 満面の笑みでそう口にする綾小路に対して、ヒサメは「ご満足いただけたようで」と微笑で返した。


 ――と、そのときだ。

 廊下から誰かが駆けてくる足音がした。



 千景の目は、こちらに走って来る栄の姿をとらえていた。

 彼女は手にキラリと光るものを持っている。それが刃物だと気付いて、彼は舌打ちした。


――妙な真似ってコレかいっ!まったく、ヒサメさん!面倒なことに巻き込んでくれよって……っ!!


 胸中でヒサメへの罵倒を吐きながら、千景はしゅを唱える。そして、こちらに向かってくる栄とすれ違いざまに、彼女の首に手を伸ばした。


「――っ!?」


 栄はビクンと身体を震わせると、彼女はそのまま崩れ落ちた。千景が電気で栄を失神させたのである。

 意識を失った栄は廊下に倒れ、彼女の手から刃物が零れ落ちる。すぐさま、千景は手早くそれを拾い上げ、自分の懐に隠した。


「何事だっ!?」


 騒ぎに気付いた綾小路が千景の方にやって来る。

 千景は廊下で倒れてしまった栄を気遣うふりをしながら、声を上げた。


「おーい、大丈夫か?あかん、完全に気を失ってるわ。突然、女中さんが倒れてしまもうた!」


 下手な芝居を打ちながら、千景がちらりとヒサメの方を伺い見ると、彼は満足そうな顔をしていた。

 どうやら、ヒサメの思惑通りに事は進んでいるようだ。


――こんなんに巻き込まれてんから、今日はヒサメさんに押しかけたろっ!ハルちゃんのご飯食べるんやっ!!


 それくらいしてもらわないと割に合わない。そう考える千景だった。



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