第102話 鏡(肆)

 綾小路親承あやのこうじちかつぐの依頼を断って欲しい――そうヒサメに頼むおえいさんに、私は驚いた。


 なぜなら、お栄さんは綾小路という貴族の屋敷で働いているからだ。つまり、自分の主の依頼を召使いが勝手に断ろうとしているということ。

 こんなの、もし主にバレたら大目玉では済まない。


 戸惑っている私をよそに、当のヒサメは全く動じていなかった。


「依頼というのは、立て鏡を直せというものか?」

「そうです!それを直さないでくださいっ!」


 立て鏡を直す――もしかしなくても、ヒサメが『修復の呪符』を必要としている理由はコレだろうか?

 二人の会話から察するに、ヒサメは綾小路という貴族から立て鏡を直す依頼を受けた。そして、それを断って欲しいと、お栄さんは言っているようだ。


「なぜ?」


 ヒサメが冷静に問うと、お栄さんは驚くべきことを口にした。


「アレは元々、私の死んだ父のものだったからです!綾小路は父を殺して、無理やり鏡を奪ったんですっ!!」


 目を怒らせて、お栄さんはとんでもない内容を暴露する。

 一方、こんな状況にあってもヒサメは涼し気な顔……いや、どこか面白がっているように見えた。


「事情を聞こうか」


 そうヒサメにうながされて、お栄さんは綾小路親承あやのこうじちかつぐの悪行を話し始めた。




 お栄さんの亡くなった父親は、橘平助たちばなへいすけと言って、朝廷医として皇宮内で働いていた。平助さんはかなり優秀なお医者様だったようで、つ国へ留学も経験したらしい。


「あの立て鏡は父が留学先……医学の師から別れ際にいただいた物だったんです」


 平助さんの異国の師匠は、彼を大変可愛がったようだ。餞別せんべつとして、師匠の家で大事にされていた立て鏡が平助さんに贈られた。


 その立て鏡は、この瑞穂の国で一般的に使われている銅鏡ではなく、反射性の優れたガラス鏡だったようで、大変高価で貴重なものらしい。


「ただ父は、鏡を高価な美術品としてではなく、尊敬する師匠が自分に譲ってくれた記念品として大切に扱っていました。売ってくれと申し出る好事家こうずかは何人もいたようですが、全て断ったと聞いています。父にとって、それはお金には代えられない物だったんです」


 平助さんは立て鏡を大切に、大切にしていた。

 そんなある日、彼の元に綾小路親承あやのこうじちかつぐがやって来た。綾小路は美術品のコレクターで、美しい異国の鏡に目を付けたのだった。


「綾小路はしつこい男でした。父が断っても、何度も何度も食い下がってきました。そして、とうとう恐ろしいことが起こったのです。ちょうど三年前の冬――家に強盗が入りました……」


 その後の展開が容易に想像できて、私は「えっ」と思わず声を漏らした。

 話の続きは予想通り。

 強盗が入り、平助さんは殺され、立て鏡が奪われたのだ。


「私、絶対に父を殺した犯人は綾小路だと思いました。だから、それを検非違使庁の役人にも伝えたんです。でも……っ」


 悲しみのせいか、怒りのせいか、あるいはその両方なのか――お栄さんの言葉は震えていた。


「誰も取り合ってはくれなかったっ!父の事件は犯人が不明のまま、ろくに捜査もされず――っ!!」


 そのとき、ヒサメがポツリと呟く。


綾小路親承あやのこうじちかつぐは刑部省の高官、いわば検非違使庁を管理する立場にいる人間だ。手を回すのは簡単だろうな」


 結局、平助さんを殺した犯人は分からず、奪われた立て鏡も行方不明のまま、捜査は打ち切られた。

 けれども、お栄さんは諦めなかったという。絶対に、綾小路の尻尾を掴んでやる――執念に燃えた彼女は、ずっと彼の周辺を探っていた。


 そして半年ほど前に、綾小路がガラス鏡を作ることのできる職人を探しているという情報を手に入れたのである。

 もしかしたら、奪われた立て鏡と何か関係があるかもしれない。そう考えた彼女は、綾小路の屋敷に女中として潜り込んだ。


「すごい執念と行動力だ。それにしても、よく橘家の娘だとバレなかったな」

「ちょっと工夫はしました。母方の伯父の養女になったんです。でも、そんなことする必要もなかったかも。父がまだ存命のとき、何度か会っているはずの私の顔を、綾小路は全く覚えていなかったんですから」


 自嘲気味にお栄さんは笑う。


 綾小路の屋敷に潜入してすぐ、お栄さんは綾小路が平助さんの立て鏡を所有していることを確認した。これで綾小路が強盗犯だったことは、ほぼ確定したわけだった。

 しかし、この瑞穂の国で犯罪の確たる証拠を押さえるのは難しい。なにせ、科学技術が進んでいないから、客観的な証拠を得るのに苦労する。


 お栄さんは初め、例の鏡を所有していることを証拠に、検非違使庁へ駈け込もうとした……が、思いとどまった。そんなの、誰かしらから買ったと、すぐに言い訳されるだろうからだ。

 綾小路は検非違使庁に圧力をかけられる立場にある。本当の意味で、決定的な証拠がないと断罪は難しいのだ。


 それでも、お栄さんは奮闘した。辛抱強く、断罪のための手がかりを探し続けた。けれども、綾小路の犯行を決定付けるような物証は得られなかった。

 代わりに分かったのは、どうやら平助さんから奪った立て鏡が壊れているらしいこと。それを修理しようと、綾小路がガラス職人を探している――ということだった。


 ガラス鏡の技術は、つ国に比べ、瑞穂の国は劣っている。中々、平助さんの立て鏡を直せる職人は見つからなかった。

 そんな折、違う角度から綾小路は考えた。『術』を使って、立て鏡の修復を図ったのである。

 その結果、ヒサメが依頼を受けたのだ。



「お願いします!」


 お栄さんは頭を深々と下げた。


「私は綾小路の罪を暴き、父の無念を晴らすことはできませんでした!でも、だからこそ――っ!父が大切にしていた鏡が、完璧な形であの男の手に渡るのが許せないっ!」


 彼女は切々と訴える。綾小路への断罪ができないなら、せめて彼が求めた鏡は壊れたままであって欲しい――この気持ちを私は理解できた。

 私だけではなく、たいていの人がこの話を聞けば、綾小路を罰し、お栄さんの味方になりたいと思うだろう。


 しかし、ヒサメは違った。

 彼は面白おかしそうに、お栄さんに問う。


「それで?お前の頼みを聞いて、俺に何の得があるというのだ?」


 彼の言葉を聞いて、お栄さんは目を見開く。信じられないというような顔をしていた。


「あの男は人殺しの悪人なんですよ!?そんな奴の言うことを聞くんですか?」


 お栄さんは必死の形相でヒサメを責め立てるが、「俺には関係のないことだ」と彼は取り合わない。


 懇願も非難もヒサメの心には届かないと知って、お栄さんはわっと両手で顔を覆い、泣き始めた。

 それでも、ヒサメの考えは変わらないようだ。


「他に用がないのなら、帰ってもらおうか」


 平然としているヒサメを、お栄さんは憎々し気に睨み上げる。


「貴族のいぬめっ!」


 そう吐き捨てて、彼女は屋敷を出て行った。



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