第97話 修復(壱)

 四条の屋敷の居間で、いつものように氷雨ヒサメと千景は酒を飲んでいた。

 近江屋の一件をヒサメから聞いて、千景は「へぇ」と呟く。


「野菜を食べさせる工夫とか、脚気のための麦飯とか。ハルちゃんならではの視点で、継母さんの気持ちに気付いたんやね。甘やかすだけが愛情じゃないってことかぁ」


 感心したような口ぶりの千景に対して、「そうだな」とヒサメは一言返しただけだ。


「さすが、ハルちゃん!よく気付いたなぁ」

「……」

「それに、この屋敷であの子が麦飯出すのも、皆の健康を考えてのこととは…。優しい子やなぁ」

「……」


 千景がどれだけハルを褒めても、ヒサメは沈黙したままだ。ハルの活躍を話すのは、ヒサメだって彼女に感心したからだろうに、彼がそれを言葉にすることはなかった。

 その頑なさを見て千景は……


――この人。素直にハルちゃんを褒めたら、死ぬ病気でもかかっているんやろか。


 内心呆れた。


「ヒサメさんは、人知れず周りに気配っているハルちゃんを見て、健気やなぁとか思わないんですか?」

「別に」

「可愛いなぁって」

「思わんな」

「ほんまに?何とも思いません?」

「思わん。まぁ、便利だとは思うが」

「便利って、言い方……」

「事実だろう」

「……ほぉ。じゃあ、思わず頭を撫でたくなったりとか、本当にせぇんのですか?」

「そんなことは……」


 そんなことはと言いかけて、ヒサメは固まった。

 おっ、これは心当たりがあるな。そう言えば…と、千景は思い返す。鬼女紅葉の事件で、ヒサメは実際にハルの頭を撫でていた。


「そんなことは


 沈黙の後、ヒサメは言い切った。それに千景は苦笑する。

 否定すればするほど、かえって疑わしく他人の目には映るというのに。


 親に見捨てられた辛い過去があるのに、それを全く表面に出さず、毎日一生懸命がんばっているハルを健気だとか、可愛いだとか思うのは、ごくごく自然な感情のように千景は思う。

 むしろ、それを頑なに否定するヒサメは、まるで照れ隠しをしている思春期の少年のようだ。


――この人。いつも気取っているけれど、案外単純で、分かりやすいかも。


 忍び笑いをして、千景は酒を口に含んだ。



 夕食の片づけをした後、私はヒサメに新しい呪符を教えてもらうことになっていた。


 私がヒサメに呪符を習い始めて、早半年以上が経過している。氷、風や炎、守護や封印の呪符等々――色々と覚えたものだ。神与文字の知識も増え、新しい呪符を覚えるのにも、ちょっと自信のようなものがついてきた。


 また、最近のヒサメは太っ腹で、呪符作製に必要な材料――紙や墨――も好きに使って良いと言ってくれている。

 そんな気前の良い彼ならばと、私は思い切ってあることを切り出してみた。


「ヒサメ様。呪符の中には、壊れた物を元通りに直す『修復の呪符』があると千景さんから聞きました」

「ん?ああ。そういえば、あったな」

「それを私に教えてください」

「……はぁ?」


 ヒサメは怪訝けげんそうな目で私を見てくる。


「そんなもの、習ってどうする?物の修繕なんて、戦闘にほとんど役立たない。そもそも呪符を使わなくとも、職人に修理を依頼するとか、新しく買い替えをすれば良いだけの話だろう。もっと、お前には先に覚えてもらいたい呪符がある」


 呆れ顔でそんなことを言うヒサメだが、私には私の言い分があった。


「確かにそうかもしれません。壊れた物は職人に修理を頼めばいい。けれども、この屋敷の壊れた箇所はどうすればいいんですか?」

「……え?」

「穴だらけの襖と障子は何とか私でも修繕できます。けれども、床が抜けた廊下や、大穴が開いた蔵を直すのはできません!」

「そんなの、大工を……あっ」


 口に出してから、ヒサメは「しまった」という顔をした。それもそのはず。この家に大工を呼べないのは、彼のせいなのだ。

 人間不信のヒサメは、他人を敷地内に入れることを嫌がる。そのせいで、修繕が必要な箇所があっても大工に頼めないのだ。


 私は切々と訴えた。


「床が抜けているとか、すごく危ないです。もし、誰かが気付かずに足を取られたら、怪我してしまうかも。そして、この屋敷は大工さんには頼めません。だから、修復の呪符でそういった所を直してしまいましょう!」


 我ながら、理論整然としたプレゼンテーションだ。しかし、ヒサメはそれにフンと鼻を鳴らした。


「床の抜けた廊下に足を取られるような鈍臭い奴はお前くらいなものだろう」

「……」


 酷い言われように、私は閉口した。もっとも、ヒサメの言葉は事実でもあるが……。


――確かにこの屋敷の中で、廊下の穴に足を取られそうなのは私くらいかも……。


 ただ、一言弁明させてもらうとすれば、私が人よりも鈍臭いわけではない(と思う)。私は人並みだ。

 この屋敷の他のメンバー――ヒサメやコン、ロウ、そしておコマさん――の運動神経や反射神経が良すぎるだけである。


「……分かりました」


 私はヒサメへの説得を諦め、夕食の後片付けをし始めた。



 無言で夕飯の後片付けをするハルを見ながら、氷雨ヒサメは妙な罪悪感に駆られていた。


 ハルの言い分も分かるが、『修復の呪符』はその作製が複雑で困難な割に、戦闘面での汎用性が少ない。呪符作製の目的はそもそも、祓魔師の仕事に役立てるためだ。ヒサメも生活面で呪符を使うことは多々あるが、それはあくまで副次的なことに過ぎない。だから、『修復の呪符』の習得は優先順位として低い


――と、自分の判断は合理的なものだというのに、どうして居たたまれない気持ちになるのか。ヒサメにはよく分からない。

 ヒサメが喉に何かをつっかえたような、居心地悪そうな顔をしていると、コマが声を掛けてきた。


「本当に良いんですか?」

「……何が?」

「もし、ハルちゃんが本当に抜けた廊下の床に足をとられてしまっても」

「……」

「その拍子に、尖った木材で怪我をしてしまうかも。可哀想に。女の子なのに、肌に傷がずっと残ってしまうかも」

「―――っ」


 ヒサメは眉間にこれでもかと皺を寄せ、それから声を上げる。


「ハル!修復の呪符について教えてやる」


 そう、ハルの背中に呼びかけた。



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