第96話 継母(参)
「あの、お聞きしたいことが…」と、口にしたのはお
「四条様は、私に
その質問に、ヒサメはにこりと答える。
「出会って、割とすぐですね。なにせ彼は、あからさまに貴女に疑いの目が向くよう立ち回っていましたから。あと、お嬢さんを心配する弥兵衛の様子がやけに芝居がかっていたのも気になりました」
「なるほど」
「他には……そうですね。貴女は私にお嬢さんを呪った犯人を捜してくれと頼みに来ましたが、弥兵衛はそういったことを口にする素振りはなかった。にもかかわらず、妻を守ってみせると大口を叩く。これは信用できない人物かと思いましたね」
ヒサメの発言を聞いて、近江屋の主人の
「弥兵衛は仕事はまぁ…できるのです。顔が整っていることもあり、お客様の受けも上々でした。しかし、調子の良いところがあった」
「だから、私は弥兵衛とそよの結婚に反対したのですよ。なのに、あなたはそよに甘いから」
お勝さんが、じろりと吉左衛門を睨む。彼は困ったように、苦笑いをした。
「実母を亡くしたあの子が不憫でねぇ。それで、猫可愛がりしてしまいました。それじゃあ、娘のためにならないと、お勝には叱られましたよ。甘やかされて育って、後々困るのはそよ本人だと。それで、彼女が私の分も娘を厳しく躾てくれたのです」
「でも、結局……私も駄目ですね。そよに涙ながらに弥兵衛と結婚したいと訴えられ、娘可愛さに結局折れてしまった。もっと、説得するべきだったと反省しています」
はぁ、とお勝さんも溜息を吐く。
すると、「そう言えば」とヒサメが呟いた。
「ハル。お前もお前で、夫人が犯人ではないと信じていたようだったが……。確か、彼女が娘さんを本当に愛している――と言っていたな?あれは、どういう根拠があったんだ?」
思い出したかのように、ヒサメが私に尋ねてきた。
吉左衛門さんとお勝さんも、意外そうに私を見る。
「御覧の通り、私はそよに厳しく接していました。それはもちろん、娘を思ってのことですが…。継母という関係性もあり、他所様からは継子虐めをしていると思われていたと、自覚しています。それなのに…どうして?もしよければ、理由をお聞かせ下さい」
お勝さんに丁寧に言われて、私は戸惑いつつ――
「鶏団子です」
そう言った。
それだけで、納得したような表情を見せたのはお勝さんだけだ。他の皆は「鶏団子?」と怪訝な顔をしていた。
「おそよさんが、ふわふわとした食感でうちの鶏団子は美味しい…と言ったとき、私は団子に何か混ぜ物がしてあるのではないかと考えました。後で、お
「ええ、その通りよ」とお勝さんは微笑んだ。
「鶏団子には蓮根の以外にも、季節の野菜を細かく刻んで混ぜ込むそうです。他にも、おそよさんの好みを聞いたところ、例えば、青菜はお浸しではなく、ふりかけがお好みとかで……。何というか、野菜嫌いな子供が食べやすいよう工夫した料理ばかりが好物という印象でした」
「そよは子供の頃、本当に野菜を食べてくれなかったからね」
お勝さんは懐かしそうに目を細める。
「そのせいで食が細くて。食べるよう叱っても、中々食べられないし。何とかして、野菜を食べさせようと悪戦苦闘したものよ。色々と工夫をしたわ」
大和宮のおかずは、野菜がメインだ。魚も食べるが、野菜よりも値が張るため、やはり主なおかずは野菜を使ったものだった。
そんな食生活が当たり前のところで、野菜を食べないとなれば大問題。栄養が偏り、下手すれば栄養失調になりかねない。何とか娘に野菜を食べさせようと必死なお勝さんの姿が目に浮かんだ。
「弥兵衛さんは、麦ごはんを貧乏人の食べるものと言っていました。けれども、わざわざその
「あら、そんなことまで分かっていたのね」
脚気とは、ビタミンB1が不足することで発症する病気で、酷くなれば神経や心臓にまで症状が現れる。実はこの病気、大和宮では結構深刻な問題だった。
都の人間は白米を好む。ビタミンB1は精米するときに取り除かれてしまうため、白米を主食とすると、どうしても不足しがちになるのだ。一方で、麦は白米に比べてビタミンB1が多い。
ビタミンB1は豚肉などにも豊富に含まれているため、現代日本で脚気はあまり問題にならない。しかし、大和宮の人間はあまり肉を食べない。その上、流通しているのは
そういう背景から、大和宮の人間にとってビタミンB1は不足しがちな栄養素なのだ。
もちろん、脚気がビタミンB1不足で起こるなんて、医学の進んでいない瑞穂の国ではまだ分かっていない。だが、経験則から麦飯が脚気に良いことを知る人はいるようだった。
「野菜を食べやすく工夫するのも、わざわざ麦ごはんを用意するのも、手間のかかることです。けれども、お勝さんは率先して、そういうことをしている――そう、お泰さんから聞きました。それができるのは、本当におそよさんを大事に思っているからじゃないかな……と」
私がどうして、お勝さんがおそよさんを本当に愛していることに気付いたのか。
その根拠を述べ終わると、
「そうだったのか…」
吉左衛門さんが驚いたようにお勝さんを見た。
「このお嬢さんはすぐに気付いてくれたのに、あなたは長年一緒に居て、今日初めて私の意図を知ったのですね」
「面目ない」
「まったく、もう…」
呆れて笑っているお勝さんに、私は尋ねた。
「おそよさんはどうされていますか?」
「部屋に閉じこもって泣いているわ」
無理もない、と私は考えた。
夫が自分を呪い、母親まで殺そうとしたと知って、ショックを受けないはずがないだろう。トラウマにならなければ良いけれど……そう思っていると、優しくお勝さんは微笑んだ。
「でも、大丈夫よ。私たちが付いているもの」
それから、隣にいる吉左衛門さんを見る。
「私たちは家族だから」
お勝さんの言葉を聞いて、おそよさんはきっと立ち直るだろう――そう、私は確信するのだった。
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