第95話 継母(弐)

 近江屋夫妻に呼ばれて、私、コン、そしてヒサメは三度みたびそこへ赴いた。

 女中のおやすさんに案内され、近江屋の客間に行くと、夫妻の他に妙龍みょうりゅうとおたえちゃんもその場にいた。


 まず、おかつさんが「お忙しい中、ご足労いただきありがとうございました」と述べる。それから、近江屋主人の吉左衛門きちざえもんさんとお勝さんは揃って、ヒサメに対して両手を畳に付いて深々とお辞儀した。


「四条様のおかげで、命拾いいたしました。本当に感謝しても、しきれません」


 そう言って、お勝さんが差し出したのは、一枚の白い紙だった。正確に言えば、紙でできた人形ひとがたで、中央に『勝』という文字が書かれてある。そして、それは真っ二つに裂けていた。

 

「四条様に言われたように、私は寝る場所を自室の隣りの部屋に移しました。私の布団には、代わりにこの人形ひとがたを入れて……。すると、あの日の夜中、自分の部屋から物音がしたんです」


 物音に気付いたお勝さんは、ふすまを少し開けて、自室の様子を伺った。部屋の中には、夫の吉左衛門が眠っている。

 吉左衛門は元々眠りの深い人だったため、物音には全く気付いていないようだ。


 ――と、自室に誰かが入って来た。そして、目にした光景にお勝さんは息を飲んだと言う。


「部屋の中に入ってきたのは、布で顔を隠した男でした。彼は手に刃物を持っていて、それを私の布団に突き刺したんです」


 今でもその光景を思い出すと恐怖がよみがえるのか、ぶるりとお勝さんは身体を震わせた。


「後で分かったことですが、その男は弥兵衛やへいでした。彼は私を殺そうとしたんです」


 お勝さんの話を聞いて、ヒサメは説明した。


貴女あなたにお渡しした人形は、形代かたしろというものです。貴女の身代わりになってくれるもの。弥兵衛の目には、その形代かたしろが貴女に見えたことでしょう」

「ええ、そうみたいです」


 男の凶行を目の当たりにして、お勝さんは悲鳴を上げた。

 実はこのとき、ヒサメに言われて身の危険を感じていたお勝さんは、近江屋に長年勤めて信用のできる番頭に、住居の方に泊まりこんでいてもらったらしい。


 悲鳴を聞いて、その番頭はお勝さんの元へすぐに駆け付けた。吉左衛門さんも目を覚まし、マズいと思ったのか男は逃げ出した。しかし、あっけなく彼は番頭に捕らえられてしまう。

 そして、覆面を外してみれば、そこにあったのはそよの夫――弥兵衛の顔だったのだ。


 結果、弥兵衛は殺人未遂の犯人として検非違使庁に突き出された。




「弥兵衛の動機は何だったのですか?」


 ヒサメが尋ねると、お勝さんが溜息を吐いた。


「検非違使庁の取り調べで分かったことなのですが……お金です。弥兵衛は賭け事で、方々ほうぼうに借金があったようです」


 お勝さんが語るには、そもそも弥兵衛がおそよさんと結婚したのは、お金目当てだったようだ。一人娘の彼女と結婚し、婿になれば近江屋のお金が好き勝手できると考えたらしい。

 しかし、実際の所は、店のお金は主人の吉左衛門さんとお勝さんがしっかり管理していたため、婿と言えども弥兵衛が店のお金を自由にすることはできなかった。


 弥兵衛にとって、吉左衛門さんとお勝さんは目の上のたん瘤だったのだろう。彼が目障りに思っていたところ、主人の吉左衛門さんが脳卒中で倒れてしまった。


「病の後遺症を理由に主人を隠居させれば、弥兵衛の邪魔者は私だけ。この頃、弥兵衛は賭博の借金でいよいよ首が回らなくなったようで……急いで私を消そうとしたのです」


 弥兵衛がお勝さんを快く思っていないことは、店の者なら皆知っていたため、お勝さん本人に直接手を出せば、自分に疑いの目が向くだろうと当時の弥兵衛は恐れた。

 故に、弥兵衛は間接的にお勝さんを近江屋から消そうと考える。そんな彼が標的ターゲットにしたのは、あろうことか自分の妻のそよだった。


 そうして、巫蠱ふこの事件が起こった。弥兵衛は呪術師に頼み、おそよさんを呪うように依頼する。これは、お勝さんが自分の継子を呪い殺そうとしていると、でっち上げるためだった。


 私たちに対して、弥兵衛はあたかも「お勝さんがおそよさんを呪っている」と思わせるように印象操作を試みていたが、彼は近江屋の奉公人たちにも同じことをやっていた。

 奉公人たちの中には、お勝さんの厳格な性格をいとむ者もいて、そういった連中は、弥兵衛の言葉を信じてしまったそうだ。


 お勝さんが継子のおそよさんを虐めていて、ついには呪い殺そうとしている。

 そんな風に、近江屋の皆がお勝さんに対して悪感情を抱くように仕向け、彼女の立場を弱くし、店から追い出す――それが当初の弥兵衛の計画だった。


 しかし、ここで弥兵衛の想定外のことが起きる。

 ヒサメが近江屋へやって来てしまったのだ。


 弥兵衛はおそよさんの解呪を妙龍に依頼していたが、あくまでそれは第三者へのパフォーマンスだった。彼は妙龍が呪いを解くなんて、最初はなからできるとは思っていなかったのだ。

 妙龍には悪いが、確かに彼は去年の夏ごろまで詐欺行為を働いていたような祈祷師だったので、その腕については期待されていなかったのだろう。


 しかし、自力で解呪が無理と判断した妙龍とお妙ちゃんは、ヒサメに相談した。そこから、弥兵衛の計画は狂っていく。

 ヒサメがおそよさんの呪いを解き、彼女がみるみる回復すると、当然弥兵衛は焦った。慌ててもう一度、呪術師に呪いを依頼しようとしたが……


「呪術師は断ったんだ」


 そう口にしたのは、妙龍だった。

 実はこの妙龍、ヒサメの指示でおそよさんを呪った呪術師を探していた。そして、都の貧民街に住む初老の男を見つけたのである。


「奴は怯えていたさ。なにせ、四条さんに呪いを返されたせいで、蛇蟲だこに己の右目と右耳を喰われていたんだ」


 ソレを聞いて、私はゾッとした。呪いのペナルティの怖さを思い知る。


 妙龍が言うには、初老の呪術師はヒサメを恐れ、「もうこりごりだ」と弥兵衛の依頼を断ったそうだ。

 さらに、妙龍が近江屋の呪い返しの件をあちこちに触れ回ったせいで、他の呪術師にもこの件が知れ渡り、弥兵衛の依頼を受ける者は誰一人いなくなったらしい。


と敵対したい輩は、そうはいませんからね。田舎から出てきたばかりで、四条の祓い屋を知らない者はともかくとして」


 小さく笑いながら、ヒサメは妙龍を見る。彼は「勘弁してくれよ」と眉を下げた。

そう言えば、出会った当初の妙龍は、但州から上京したばかりでヒサメのことを知らず、嫌がらせをしたんだっけ――と私は思い出した。



 さて、話を弥兵衛に戻す。


 呪術師を頼ることができなかった弥兵衛は、当初の計画を実行することが不可能になっていた。一方で、借金の期限がどんどん近づいていく。

 進退窮まった弥兵衛は、もはやなりふり構っていられず、最悪の決断をした。

 そう、自らの手でお勝さんを手にかけようとしたのだ。


 お勝さんに直接手を下すことで、自分に疑いの目が向けられるリスクを負ってでも、弥兵衛は犯行を選んだ。それくらい、借金のことで追い詰められていたのだろう。


 物盗りの犯行に見せかけて、お勝さんを殺害するつもりだった弥兵衛。しかし、この悪事も失敗に終わり、彼は検非違使庁に捕まったのだった。



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