第94話 継母(壱)

 数日後、ヒサメは私とコンを連れて、再び近江屋を訪れた。

 今回、妙龍みょうりゅうとおたえちゃんはいない。彼らには彼らで、別件で調ことがあるらしかった。


 おそよさんのその後の容態を見に来たと告げると、近江屋の女中さんは快く私たちを住居の方に招き入れてくれた。

 彼女は私と同年代で、近江屋で奉公して二年目になるらしい。名前をやすと言った。


 おそよさんの部屋は中庭に面した日の当たりの良い場所だ。この日は、冬だが日射しが温かで、陽気が心地よかった。


 お泰さんの先導で、私たちがおそよさんの部屋を訪れると、そこには彼女と夫の弥兵衛やへいがいた。

 おそよさんはまだ本調子ではないのか、布団から出ておらず、上半身だけ起こしている。弥兵衛は気遣わしげな顔で、そんな彼女の手を握っていた。


「まだ、お体の方は辛いですか?」


 ヒサメが尋ねると、おそよさんは困ったように微笑んだ。おっとりとした、優し気な雰囲気のある女性である。


「父や弥兵衛やへいさんが、まだ寝ていろって大げさで…。体調はすっかり、良くなっているんですけれど」


 すると、「大げさなものか」と弥兵衛は反論した。


「一週間も高熱でうなされていたんだぞ。俺も旦那様も、そよが心配なんだ。君を心配していないのはくらいさ」

「弥兵衛さん!」

「あ、いや……ごめん」


 おそよさんから非難の目で見られて、弥兵衛の声が小さくなる。


「君にとっては大切な母親なんだよな。あんな扱いを受けても…」

「あんな扱いって……弥兵衛さん。何度も言っているけれど、母は私のためを思って――」

「いいや、アレは完全な継子虐めだよ。君は世間知らずだから、分からないんだろうけれど」


 そこで、「ほぉ」とヒサメは呟いた。


「あなたはお母様から虐めを受けていたのですか?」

「いいえ。そういうわけでは…」


 否定しようとするおそよさんの言葉を遮って、「ええ、そうなんです!」と食い気味に弥兵衛が喋る。


「そよにやたら厳しくて。しつけと称して、虐めるんです!例えば、食べ物一つとっても、わざわざそよの嫌いなものを膳に並べるのですよ!」

「それは子供のときの話よ。私の好き嫌いが多かったから……特に野菜が苦手で…」

「好き嫌いくらい、誰でもあるだろう?それなのに、毎回毎回嫌いなものを食事に出すのは嫌がらせだよ!」

「そんなことは…」

「それに、そよには白米じゃなく、麦飯を食べさせようとするんだ。あんなの、貧乏人の食べるものなのにっ!虐めだよ!」

「……」


 最初は、言い返していたおそよさんも、弥兵衛があまり強く物を言うものだから、徐々に何も言えなくなっていく。

 その後も、弥兵衛は継母のおかつさんがどれ程おそよさんに厳しく接しているかを切々と語り、最後に――


「ああ。可哀想なそよ。大丈夫だ。俺が絶対に守ってやるからな」


そう締めくくった。



 そのとき、女中の泰さんが弥兵衛を店のことで呼びにやって来た。すぐに店舗の方へ向かって欲しいと告げる。


「わかったよ」と弥兵衛は腰を上げ、それからおそよさんを慈しむような目で見下ろした。


「じゃあ、店の方に行ってくる。そよはちゃんと休んでいるんだよ」

「ええ」


 おそよさんは去って行く弥兵衛の背中を見送る。その表情は、困っているけれども、どこか嬉しそうだった。


「お嬢様。今日のお夕飯は何がよろしいですか?」


 弥兵衛が見えなくなると、お泰さんが献立の希望を尋ねた。おそよさんは「そうねぇ」と少し迷った後、


「鶏団子が食べたいわ」


 明るい声で答える。

 それに反応したのはコンだ。彼は思わずといった感じで「おいしそう」と呟く。


「美味しいのよ。うちの鶏団子。ふわふわとした食感でねぇ」


 おそよさんが笑顔で鶏団子について説明していると、「失礼しますよ」と凛とした声が響いた。

 その声を聞いて、おそよさんもお泰さんも姿勢を正す。


 やって来たのは、お勝さんだった。

 彼女はチラリとおそよさんを見たが、特に何も言わなかった。片や、視線が合ったおそよさんは緊張した面持ちをしている。

 確かに、お勝さんとおよそさんには、世間一般の母娘間にあるというものはなさそうだった。


――もっとも、私が言えたことじゃないけれど……。


 前世と現世の母親を私は思い出す。

 さて、お勝さんはヒサメを見ると、淡々と言った。


「折り入って、少しご相談したいことがあるのですが…」

「ええ。承りましょう」


 ヒサメは相変わらずの笑顔で言う。それを聞いて、私は「ちょうど良い」と思った。それで、ヒサメに伺いを立てる。


「ヒサメ様。私がヒサメ様たちの話し合いに同席しても役に立ちませんし、できればお泰さんとお話したいのですが…」

「ふぅん、何を…?」

「えっと…鶏団子の作り方を聞きたくて……」


 私は内心おっかなびっくりで、ヒサメの質問に答えた。

 今、この状況で何を言っているんだ――とお叱りを受けるかもしれなかったからだ。


 けれども、ヒサメは私のことをジッと見つめると、予想に反して「好きにしろ」と短く言った。それから、お泰さんに対して、すこぶる優しい笑みを向ける。


「ご迷惑かもしれませんが、うちのハルとコンをお願いしますね」

「は、はいっ」


 顔だけは良いヒサメだ。そんな彼に微笑みかけられて、お泰さんは顔を真っ赤にしながら、コクコク頷いた。

 こうして、私とコンはヒサメと別れた。



 まず、お泰さんは鶏団子の作り方を、実際にやって見せてくれた。

 鶏団子には、すりおろした蓮根れんこんが入れられていて、これがふわふわ食感の秘訣のようだ。

 この鶏団子はお勝さんの発案だそうで、この他にも近江屋の食事には彼女のレシピが取り入れられているらしい。


 お泰さんの話を聞いて、私はちょっと驚く。

 こういった大店の女主人は、食事支度を奉公人に任させていることが多いからだ。けれども、お勝さんは今でも自身が台所に立つこともあるらしい。それは彼女が、元々この店の女中だったことに由来するかもしれなかった。


「私も、女将さんから料理を教わったんです」


 そう話すお泰さんの目には、お勝さんへの尊敬の気持ちが感じ取れた。お勝さんは厳しい人だが、単に怖がられているのではないようだ。

 それから、私は鶏団子以外にも、おそよさんの好物の料理などを色々とお泰さんに教わった。



 お勝さんとの話し合いが終わったヒサメと合流し、私たちは帰路についた。

 お勝さんがヒサメに何を相談したのかは、私には分からない。ただ、ヒサメが彼女のことをどう考えているかが気がかりで、私は直接尋ねてみることにした。

 

「ヒサメ様は、お勝さんのことをどう考えていますか?弥兵衛さんのように、おそよさんを呪ったのが彼女だと思いますか?」

「さぁな」


 ヒサメは軽く肩をすくめてみせる。


「ヒサメ様は巫蠱ふこの呪いを術者に返したとおっしゃいました。おそらく、呪い返しを受けた相手は何かしらの報復を受けるのでしょう?でも、お勝さんは一見、そのような害を受けたようには見えませんでした」

「だから、近江屋の夫人が犯人ではないと言いたいのか?」

「えっと…」

「仮にあの夫人が犯人だったとして、何も自ら手を下したとは限らないだろう。呪った人間は別にいる場合もある。例えば、呪術師を雇って、継子を呪わせたかもしれない」

「……そうですね」


 反論ができず押し黙ると、ヒサメは面白そうに私を見下ろしてきた。


「やけに、近江屋の夫人の肩を持つな。何か、根拠があるのか?」

「根拠というほどではありませんが……お勝さんがおそよさんを呪ったとはとても思えないのです」

「それはどうしてだ?」

「彼女がおそよさんを本当に愛していると思うから」



 そんな話をして、しばらく経ったある日のこと。

 四条の屋敷に知らせが届いた。


 殺人未遂の容疑で、弥兵衛が検非違使に捕まった――と。



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