第90話 巫蠱(壱)

「金が足らないのか?」


 昼食が終わった後、おもむろにヒサメがそう言うので、私は首をかしげた。


「何のお金でしょうか?」

「食事の材料費だ」

「いいえ」


 ふるふると私は首を横に振る。


「いつも十分頂いていて、余っているくらいです。毎月、お見せしている収支の通りですよ」


 ヒサメには、預かったお金を何に使ったのか――その収支を報告している。そこまでしなくてもいい、と言われたが、お金のことで揉めたくなかった私は率先して家計簿をヒサメに提示していた。


「ああ、そうだな。確かに余っている。しかし、それならどうして飯を麦でするんだ?」

「えっ?」

「ときどき、白米に麦が混じっているだろう」


 それを指摘されて、私はちょっと意外に思った。

 

 ヒサメの言う通り、私は週に何度か、白米に大麦を混ぜて炊いた麦ごはんを食卓に出している。しかし、麦ごはんを始めたのは何も最近のことではない。この屋敷の台所を預かって以来、度々麦ごはんは出していた。

 にもかかわらず、どうして今頃になってヒサメはソレを気にし始めたのか――不思議だった。


 不思議と言えば、最近のヒサメはちょっと様子がおかしい。

 気が付けば、いつの間にかヒサメが私の視界にいるのだ。どうやら、彼は私のことを観察しているらしい。


 仕事は真面目にしているつもりだけれど、仕事ぶりを疑われているのだろうか……と私は不安になったが、それも違うようだ。態度だけみれば、ヒサメは以前よりも私に優しく振舞おうと――たぶん――しているように伺えるからだ。と言っても、相変わらず口は悪いのだが…。


 さてはて。いったい、ヒサメにどういう心境の変化があったのか。

 思い返せば、欲しい物があるのなら、買ってやる――なんて突然口にし始めた時から、おかしかった気がする。


 とりあえず、そんな疑問を頭の端に押しやって、今のヒサメの質問について私は考えた。


 大和宮の人間は白米が好きだ。一方で、稗粟麦などの雑穀は貧乏人が食べる物と考えられていた。

 都の人間はどんな階級の者でも白米を主食とする。もっとも、これには事情があった。


 都ではご飯を炊くのは一日一回。たいてい炊くのは朝で、それを夕食にも食べるのだ。四条の屋敷は、基本的に食事の度にご飯を炊いているが、これは少数派である。

 そして、雑穀が白米に含まれていると腐りやすいため、都の台所事情には適さない。それ故、都の人間は白米を好み、雑穀は米を買えない貧乏人が食べる物という固定観念が生まれたようだった。


 どうやら、ヒサメも麦などの雑穀を貧乏と結び付けているみたいだ。白米の消費を抑えて安く済ませるために、麦でしていると考えているのだろう。


「えっと、麦ごはんにしているのは、決してをしているわけではなくてですね…」


 私が説明をしようとしたところ、おコマさんがヒサメに声をかけた。


「お話し中、ごめんなさい。ヒサメ坊ちゃん。お客様がお見えです」

「客…?そんな予定はないぞ」

「えっと、妙龍みょうりゅうさんとおたえちゃんという方たちなのですが…」

「……」


 面倒くさい――黙っているヒサメの顔は、明らかにそう言っていた。



 折り入って相談がしたい。あまり他人には聞かれたくない話だから、屋敷に上がらせて欲しい。

 祈祷師の妙龍からそう言われ、渋々……本当に嫌そうにしながらも、ヒサメは彼らを居間に通した。


 久しぶりに会った妙龍は、以前とはすっかり様変わりしていて、私は少し驚いた。前は派手な法衣に身を包み、その上からジャラジャラと幾つも数珠をつけていたが、今の法衣は黒一色の簡素なもので、装飾品の類もない。厳つい人相も、心なしか穏やかになった気がする。


 そして、妙龍の横には、おかっぱ頭の桃色の着物を身に着けた女児――お妙ちゃんがちょこんと座っていた。 

 実は、お妙ちゃんは人間ではなく、座敷童というアヤカシだ。彼女は妙龍の妹で、幼くして亡くなってしまったのだが、霊として現世にとどまり兄を見守っていたところ、アヤカシへと変じたのだ。



「それでオッサン、何の相談だ?」


 不機嫌そうにヒサメが睨むと、妙龍はたじろいだ。明らかにヒサメ相手に、彼は委縮している。ヒサメよりもずっと良い体格の身体を縮こまらせていた。

 そんな彼の背中を、お妙ちゃんがバシッと叩く。


「おにぃ、しっかりして!」

「ああ、分かってるよ。妙」


 お妙ちゃんに喝を入れられて、妙龍はこくこくと頷いた。


「実は俺が請け負った仕事なんだが、どうにも手が終えなくてな。アンタに助けて欲しいんだ」

「いくら出す?」


 妙龍が口にした額は、私からすればかなりの大金だったが、ヒサメはそれに眉一つ動かさなかった。可でもなく不可でもない……そんな感じだ。


「まぁ、一応話は聞いてやる」

「えっと、実は飲み仲間から頼まれたことがきっかけで…」


 そう前置きしつつ、妙龍は事情を話し始めた。




 妙龍の知り合いに、弥兵衛やへいという青年がいた。

 弥兵衛は太物屋『近江屋おうみや』の手代であった。太物屋とは、木綿や麻、こうぞで作った織物を扱う店のことだ。呉服屋は絹織物を扱うが、絹に対して繊維が太い木綿などは太物と呼ばれていた。


 太物屋の中でも近江屋は老舗の有名店である。

 弥兵衛は近江屋の一人娘そよと結婚し、次期跡取りとなっていた。


 それがつい三か月ほど前、近江屋主人の吉左衛門きちざえもんが脳卒中で倒れてしまったのだと言う。幸い命はとりとめたが、左半身に麻痺が残ってしまい、日常生活もままならないようだ。

 このまま吉左衛門は隠居し、弥兵衛に店を任せるか……という話が出ていた。



「まさか、その主人を治せと言うんじゃないだろうな?俺は医者ではないから、卒中の治療はできんぞ」


 憮然とするヒサメに、妙龍は慌てて首を左右に振る。


「違う、違う。俺が相談したいのは、弥兵衛の妻のそよについてだ」

「そいつがどうした?」

「じつは彼女、呪われているんだ」


 妙龍の言葉を聞いて、ヒサメの目が鋭く光った。



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