第89話 異世界
「何か欲しい物はあるか?」
欲しい物があるのなら、買ってやるとヒサメが言う。
突然の申し出に、私は目を白黒させた。
どうして、いきなり?
そう思わざるを得ない。
ヒサメに何かを買ってもらえるような覚えがなかった私は、もちろん警戒した。ヒサメが何か企んでいるのではないかと思ったからだ。
我ながら可愛げのない反応だが、こちらもヒサメの性格を知っているため仕方ない。
決してヒサメはケチではないし、必要な物にはソレに見合うお金をかけることを
その彼がなぜ?
そう言えば、ヒサメは一度私に
あれはヒサメなりに私を気遣ってくれての言葉だったのだろう。
ということは、今回の申し出も彼の
「特に欲しい物はありません。十分、お給金をいただいていますし」
私がそう言うと、「それはそうかもしれないが…」とヒサメは口を尖らせた。
珍しく、ずいぶんと幼い表情をする。まるで折角の好意を無下にされ、
その顔を見て、私は何かをヒサメにお願いしたくなった。
「欲しい物はありませんが、お願いしたいことなら……」
「なんだ?それは?」
私の言葉に、前のめりになって尋ねてくるヒサメ。それで、私はあるお願いをした。
「ヒサメ様が所有している異世界についての本。あれを私に読ませていただけませんか?」
*
ヒサメの部屋は相変わらず雑然としていた。
どこもかしこも書物や巻物でいっぱいだ。座る場所さえ、見つけるのに苦労するくらいである。
異世界の本を読ませてほしいと言うと、ヒサメは不可解というような顔をしたが、それでも私の頼みごとを了承してくれた。それで今日の家事を全て済ませた後、私はヒサメの部屋に招き入れられた。
私が異世界についての文献を読みたいと思ったのは、コンが『異世界に渡る力』とやらを持っていると聞いたからだ。
もう二度と前世の世界に戻ることは叶わないと諦めていたが、可能性があるかもしれないと分かると、私の異世界への興味はどんどんと膨れていった。
コンにお願いすれば、もしかしたら前世の家族――祖母に会えるかもしれない。そう思うと、私の胸は高鳴った。
ただ、その前に確かめなければならないことが一つ。コンが渡るその異世界とやらが、私が前世で生きた場所かどうか、という点である。
「どれでも好きなのを読んでいい。ただし、持ち出すなよ」
「もしかしなくても、この本。高価なものなんですか?」
「言っておくが、一冊でも失くしたらお前の給料では弁済できないからな。あと、値段以上に手に入れることが困難なんだ。特別なツテが要る」
この部屋に無造作に置かれている文献が、それほど貴重なものとは思わなかったので、私はギョッとした。
いったい、どれだけのお金と手間をかけて、ヒサメがこれらの資料を集めたのか。それを想像すると、彼が異世界にただならぬ関心を持っていることが伺えた。
もしかしたら、彼がお金にがめついのも、この資料を集める資金が必要だったからかもしれない。
「あの、伺ってもいいですか?」
「なんだ?答えてやるとは限らんが、聞くだけは聞いてやる」
「やはり、ヒサメ様がコンを式神にしたのは、あの子が『異世界に渡る力』を持っているからですか?」
「……力のこと、誰から聞いた?コンか?」
私は首を横に振る。コンは自らの力について、私には話してくれなかった。
「
「アイツはまったく……」
ヒサメは溜息を吐き、諦めたように「そうだ」と頷いた。
「じゃあ、コンは本当に異世界に行けるんですね!」
「今はまだ無理だ。もっと修行を積んで、妖力を高める必要がある。それに、異世界というのは簡単に行けるものではない。条件を整えないと……」
「条件?」
「いや、何でもない」
どうやら、ヒサメはその条件については、話してくれないようだ。
「他に質問は?」
「鬼たちはコンの力を奪おうとしていました。つまり、彼らは異世界に行きたいということでしょうか?」
「そうだろうな」
「それはどうして?」
ヒサメは「俺は鬼ではないから、あくまで推測だが」と断りをいれてから、話し始めた。
「鬼たちは自分たちの陣営の勢力を広めたいと考えている。しかし、この
「そうなんですか?」
「よその土地には、すでに人間や他の
「……」
一切の躊躇なく、自らのことを「規格外の天才」と称するヒサメ。
もはや何も言うまい……私は口を閉ざした。
「もちろん、他の
「なるほど…」
「だが、もし――神力のある人間がおらず、他の
ヒサメの指摘を聞いて、私は「あっ」と声を上げる。どうして鬼たちが異世界に行きたいのか、想像できたからだ。
「少なくとも、この世界より簡単に他の種族を征服し、支配下に置くことができる――と、鬼たちは考えている?」
「そういうことだ」
「ヒサメ様。もしかして、コンが渡ることのできる異世界には……神力を持つ人間や
「分からん。あくまで、俺の推測だ。しかし、俺が集めた文献の中にはそのようなことが書かれたものもあった」
神力や妖力、
もしかして、本当に前世の世界と
なぜなら、私の元の世界が鬼たちに狙われているかもしれないのだから。
――神力や妖力とかはないけれど、この世界に比べて元の世界は科学技術がかなり進んでいたし、人間でも鬼に抵抗する手段はあると思うけれど……。
ただ、不安は不安である。
前世の世界が鬼に侵略されるなんて冗談ではない。
元より鬼にコンの力を渡す気なんて毛頭ないが、絶対に奪わせてはならないと、私は気持ちを新たにした。
「それで、他に質問はないのか?」
そうヒサメに聞かれて、私は少し考えた後、静かに首を左右に振った。
「あ、はい。もう大丈夫です。ありがとうございました」
ヒサメへの感謝を口にしながらも、実は私には彼に聞きたいことが残っていた。
それは――
どうしてヒサメは異世界に行きたいのか……だ。
ヒサメが大枚をはたいて文献を集め、調べ上げた異世界。
人間不信の彼が、他人の私をこの屋敷に引き込んでまでしてコンを手に入れ、行きたかった場所。
なぜそうまでして、その異世界にヒサメは行きたいのか――ソレに興味がないと言えば嘘になる。
ただ、ヒサメは答えてくれそうにないように思えて、私はその疑問を飲み込んだのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます