第二章 神白子の継承者

第84話 感謝(壱)

 師走しわすの季節は文字通りアッと言う間に過ぎ、大和宮ヤマトノミヤは新年を迎えた。

 私が働く四条の屋敷も無事、年を越す。気付けば、あの鬼女紅葉の騒動から二か月近く経過していた。


 星熊童子配下の紅葉は、コンが母親から受け継いだを手に入れるため、千景ちかげを操り、コンを誘拐した。その企てはなんとか阻止できたものの、星熊童子一派がまだコンを狙ってくる可能性がある。

 鬼たちの動向をヒサメは警戒していたが、幸運にも今のところ異変はない。


「おそらく、紅葉はコンくんのことを星熊童子に知らせていなかったんやと思います」


 そう意見したのは、千景だった。

 紅葉はコンを星熊童子に献上するのではなく、自らがコンの力を手に入れようとしていたのではないか――そういう千景の見解だ。つまり、紅葉は彼女の上司を出し抜こうと考えていた。だから、コンの情報をあえて星熊童子には伝えなかったのではないか……というのである。


 千景の話を聞いて、「確かに一理あるかも」と私は考えた。

 思い出すのは、栂宿とがのしゅくを騒がせた人喰い鬼、目一鬼めひとつのおにのことだ。あの鬼も、コンのに目がくらみ、星熊童子には知らせず、自分のものにしようとしていた。紅葉も同じように考えてもおかしくはない。


 そうまでして、鬼たちが手に入れたいコンの

 それが何なのかも、前回の事件で少し明らかになった。それは「異世界に渡る能力」らしい。


 異世界――それがどういう世界を指すのか、まだ私にはよく分からない。前世で私が過ごした世界なのか、それとも全く別の世界なのか……そこは不明だ。

 ただ、ヒサメもこの力に目をつけて、コンを式神にしたのは確かだろう。ヒサメの自室には異世界に関する資料がたくさんあり、強い興味をもっているようだったから。


――異世界に渡る力かぁ。もし、その異世界とやらが、私が前世で生きた世界なら行ってみたいかも。


 いったい、自分が前世でどういう最期を迎えたのか知りたいし、何よりも祖母に会いたい。パワフルで闊達かったつな人だったが、今も元気にしているだろうか。


 私はふっと前世が懐かしくなった。



 鬼女紅葉の一件で、祓魔師にあるまじき失態を犯した千景だったが、彼が紅葉に操られていたことを伏せて氷雨ヒサメが検非違使庁に報告したため、何のお咎めもなかった。それどころか、紅葉を討ち取った功労者として上司から評価されたくらいである。


 事件後、ヒサメは千景を思いっきり拳で殴ったが、それで本当に許してしまったらしい。以降、ヒサメが千景を咎めるようなことは口にしなかった。


――この人のこういうところ、ずるいよなぁ。


 これまでと同様に接してくれているヒサメを目の当たりにして、その器の大きさを千景は思い知る。少し前なら、それに比べて自分は……と気が滅入りそうになっただろう。

 だが、ハルに相談に乗ってもらったおかげか、自らの気持ちがはっきりし、色々と吹っ切れた今、千景は純粋に「いつか、この人に追いつこう」と思えるようになっていた。


 そうやって、ヒサメを慕っている千景だが、そんな彼にも「これはいかがなものか」と思う所があった。

 それはハルに対するヒサメの態度である。



 この日も、千景は四条の屋敷で夕飯をごちそうになっていた。

 芝海老とねぎのかき揚げ、がんもどきと大根の煮物、蓮根のきんぴら、銀杏とキノコの茶碗蒸し――相変わらず、ハルの作る料理は美味しいと、千景は旺盛な食欲をみせた。


 かきあげはサクリとしていて揚げ方が絶妙だし、しっかり煮込まれた大根は透き通った琥珀色をしている。きんぴらも蓮根のシャキシャキとした食感が甘い味付けに合っているし、寒い冬に温かい茶碗蒸しになんて最高だ。


 そういった感想を千景が口にすると、ハルは控えめだが嬉しそうにしていた。

 食卓を囲むコマロウコンも、千景ほど饒舌じょうぜつではないが、口々にハルの料理を「美味しい」と言っている。ハルに対して、労いや料理の感想を口にしないのは一人だけだ。


 この屋敷の主、四条氷雨しじょうひさめである。


 今宵に限らず、ヒサメはいつもこうだった。

 彼は料理の感想を滅多に口にしない。それどころか、食べてもニコリともしないのである。


 なら、ハルの料理がヒサメの口に合わないかと言えば、そうではない。ヒサメも食欲は旺盛で、出されたものは基本的に綺麗に平らげている。加えて、彼が不味いものには不味いとはっきり言うことも、千景はよく知っていた。


――俺が作ったもんは、あれだけ文句言っていたからなぁ。


 やれ味が薄い、塩辛い、火が通ってない、硬すぎる。

 千景が苦労して作ったものに、散々小言を並べていたヒサメである。あのときは、千景もヒサメをひっぱたきたい衝動に駆られたものだ。

 そんなヒサメがハルの作ったものなら、文句を言わず食べているのだから、きっと美味しいと思っているのだろう。


――それなら、ちょっとくらい「美味しい」とか言ってあげたらいいのに。


 そう思わずにはいられない千景であった。


――ハルちゃんのこと、結構好きなくせに。こんな態度じゃ、絶対に伝わらんわ。


 ヒサメがハルに対して恋愛感情があるかどうかは不明だが、好意を抱いていると千景は確信していた。

 例えばそう、薬の件だ。

 紅葉の事件の後、倒れてしまったハルのためにヒサメ自ら薬を調達しに行った。苦みが強すぎる薬だったのでハルは嫌っていたが、実は驚くほど高価なものだったのである。ハルが服用した分だけで、千景の三か月分の給料が飛んで行ってしまうほどに。


 その薬は値段に見合うだけの価値があったようで、ハルはみるみる回復した。しかし普通ならば、ただの召使いに、そんな高価な薬を用意したりしない。


――しかも、手ずからハルちゃんに薬を飲ませてたしなぁ。妙に乗り気やったし……。


 愉快そうにハルを羽交い絞めにしていたヒサメを思い出して、千景は何とも言えない気持ちになる。ヒサメには妙ながあるのでは……と勘ぐってしまいそうだった。


 まぁ、とにかく。

 ヒサメがハルに好意を持っていて、大切に思っていることは確かだ。けれども、今のままではソレがハル本人に伝わらないかと思われる。

 だから、親切心で千景は言った。

 もうちょっと、ハルちゃんに感謝の言葉を伝えたらどうですか、と。


 ちょうど、ハルが追加の酒をかんするために席を外していたときだ。

 千景の言葉を聞いて、ヒサメは眉をひそめた。


「……感謝?」

「例えば、料理にしても。美味しいとか、これが好きとか感想を言ったり。いつも、旨い飯を作ってくれてありがとうって、言ったり」

「はぁ?どうして、わざわざ…?」


 ヒサメは意味が分からないと言うような顔をする。


「文句も言わず食べているのだから、感想なんて言わなくても、俺が旨いと思っているかどうかなんて分かるだろう?それに、飯の支度はハルの仕事だ。それに価値があると思うから、俺は見合うだけの金を払っている。それはいわば、一種の感謝の意思表明じゃないのか?」

「……」


――あっ、ダメや。この人。人の気持ちってもんが全然分かってない。


 即座に千景は思った。

 元から他人に対する思いやりが欠けていると思っていたが、これほどとは……。人間不信で、他人とは表面上の付き合いしかしてこなかった弊害だろうか。


――こういう男が、嫁さんに逃げられてから泣くんやよなぁ。


 溜息を吐きながら、千景は忠告する。


「言葉にしなきゃ、伝わらんこともありますよ。ってか、もうちょっと優しくしてあげんと、他のところに逃げられても知りませんよ」

「アイツがこの屋敷を出ることはない」


 自信満々にそう言い切るヒサメ。いったい、どこからそんな自信がやってくるのかと、千景は胡乱うろんな目になる。


「なぜなら、俺の下にはコンがいるからだ。アイツがコンを放って、どこかに行くはずがない」

「あ~、まぁ。確かに…」


 ハルがコンを溺愛していることは、千景も百も承知である。


「それにアイツには実家がない。この都に他に頼るべき場所もないのだから、どこに逃げようと言うんだ?」

「えぇっ!?ハルちゃんって親失くしてるんですか?」


 初耳だと、千景は驚いた。


「いいや、コンから聞いた話では、神白子山の方に父親と継母がいるらしい」

「あっ、なるほど。ハルちゃんとコンくんって同郷やったんかぁ。確かに、どうやって知り合ったんやろうと不思議でした」

「そうだ。そして、ハルが神白子の山神への生贄にされそうになって、コンと二人で大和宮に逃げてきたと聞いている」

「はぁ、なるほどって……ええっ!?」


 千景は素っ頓狂な声を上げる。生贄なんて物騒な言葉、聞き間違いではないかと己の耳を疑った。


「生贄って、そんなん違法ですやん」

「それがまかり通る田舎なんだろう。どうにも、アイツの実家の者たちは一昔前の時代に生きているらしい」


 確かに、娘をアヤカシの生贄に差し出すなんて時代錯誤も甚だしい話だった。大変な苦労をしていたのかと、千景はほろりとくる。そんなハルの事情を知っていれば、優しくしてやりたいと思うのが、普通の人間の感覚であるが……。

 

「だから、ハルには帰る実家がない。よって、この屋敷を出て行く可能性は低い」


 普通の感性ではないヒサメは、なんとも酷いことをのたまう。

 彼としては、端的に事実を述べたつもりだろう。しかし、実家がないから、他に行くあてもない。故に、自分の元から離れるはずがない――なんて言い草は


 まるで、嫁に帰る場所がないから自分の下から去るはずがない――と言うような、暴力亭主の言い草だ。千景は頭を抱えたくなった。


――あかん。コレは、ちゃんと言っておかんと、人としてあかん気がする。


 千景は居住まいを正し、目の前の不遜な男に道徳というものを説こうとした。

 そのとき、


「ハルにもあるよ。他にたよるところ」


 コンがそう呟いた。



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