第83話 戻ってきた日常(弐)
「さて、おしゃべりはこのくらいにして。ハルちゃんはお薬を飲んだら、また寝なさい」
「いえ。私はもう大丈夫です」
まだ体の方は本調子ではないが、寝込んでいなければいけないほど重病人ではない。食欲だってしっかりあるし、働けるはずだ。
「ハル!だめだよ、まだ休まなきゃ。ご主人さまもそう言ってた」
コンが立ち上がろうとする私にストップをかける。その優しい気遣いにほろりとくるが、私には休んでいられない理由があった。私が働かないと、いったいこの家の食事は誰が作ると言うのか。
そう考えたところで、私はおかしなことに気付いた。今さっき食べた温かなお粥を思い出す。
「……って、あれ?そういえば、あのお粥は誰が作ってくれたの?」
おコマさんもロウさんも料理は大の苦手だ。また、台所に立つヒサメの姿なんて想像すらできない。
まだ可能性があるとすれば、コンだろうか……?
私が首を捻っていると、スッと千景が手を上げた。
「俺です」
「えっ!千景さんが?」
「ハルちゃんの代わりに働けって、ヒサメさんが…。臨時で女中さん雇ったらって言うたんやけれど、却下されてしまって……というわけで、俺が台所仕事してマス」
少し遠い目をする千景さんをよそに、「仕事の方は大丈夫だから。ハルちゃんは、しっかり休んでね」とおコマさんは微笑む。
「まぁ、そういうことや。ハルちゃんは、これ飲んだら寝とき」
千景は私に湯のみを渡した。入っていたのはお茶……かと思いきや、ずいぶんと色が濃い気がする。
「これって…」
「飲み薬よ。ヒサメ坊ちゃんがわざわざ手に入れてきてくれたの」
「薬……」
そう聞くと、湯呑の中のものがとても苦そうに見えた。白状すると、私は薬が苦手なのだ。本音を言えば、飲みたくない。
――でも、なぁ…。
私はチラリとコンの方を伺い見る。まさか、コンの前で「苦いから薬を飲みたくない」なんて子供のようなことは言えなかった。
意を決して、私は薬を一気に飲み干した。
「!?!?」
たちまち、強烈な苦みが舌を突き抜ける。危うく私は吐き出しそうになった。
良薬は口に苦しとは言うが、それにしてもこの薬は苦すぎる!生理的な涙が
私が薬に四苦八苦していると、
「その薬、とてもよく効くらしいの。夕飯の後、また飲んでね」
そう、おコマさんは追い打ちをかけた。
*
夕飯は、千景がきつねうどんを作ってくれた。私は自室で彼に見守られながら、食事をとる。
「美味しかったです。ごちそうさまでした」
「お粗末様。はい、次はこれ」
千景が差し出してきたのは例の薬だ。この世のものとは思えないくらい、苦いヤツ。
昼間のことを思い出して、私はひるんだ。
「これ、絶対に飲まなきゃいけませんか?私の体調はずいぶんと良くなったんですけれど……」
「う~ん。ヒサメさんの命令やしなぁ。飲んでもらわんと…」
私ががっくりとうなだれていると、プッと千景が噴き出した。私はじろりと彼を睨む。
「いや、ごめん。ハルちゃん、しょげた顔しとるから、そんなに嫌なんかなぁって」
「嫌ですよ」
「はは。しっかりしてるのに、子供っぽいところもあるんやな」
そう言って千景は笑う。まったく、他人事だと思って…。
そのとき、廊下から足音が聞こえてきた。誰かがこちらにやって来るようだ。
「入るぞ」
予想通り、やって来たのはヒサメだった。後ろには、おコマさんが控えている。
ヒサメは私を見下ろして「顔色はいいな」と呟いた。
「それで、調子はどうなんだ?」
どかりと私の目の前に座りながら、ヒサメが問う。
「大分、良いです。食欲もありますし、明日から働きます」
「……お前、相当な量の血を失っていたんだぞ?飯の支度はコイツにさせるから、あと二、三日は身体を休めておけ」
コイツと言って、ヒサメは千景を指す。千景は諦めたかのように笑っていた。
「でも……」
「これは命令だ」
ご主人様に有無を言わさない調子でそう言われれば、召使いとしては従わざるを得ない。胸の内で千景に謝りつつ、「分かりました」と私は頷いた。
「ご迷惑をおかけします」
「まったくだ」
ため息を吐きがてらヒサメは言い、それから口をもごもごさせた。
「……だが、まぁ。今回のお前はよくやったと思う」
おざなりにそう付け足す。
これは一応……褒めてくれているのだろうか?
私が首を傾げていると、不意にヒサメの眉間に皺が寄った。
「おい、ソレ」
彼の視線の先には、例の苦い苦い薬がある。
「早く飲め」
無情な言葉を吐くヒサメ。心の底からこの薬が嫌な私は「ゲッ」と思う。
「後で、ちゃんと飲みますから」
「信用できんな」
ヒサメは疑いの目で私を見てきた。この男の疑い深さは相変わらずだ。私は薬をちゃんと飲むと言っているのに、信じてくれない。
飲むさ、飲むよ。うん、飲む。
この部屋で一人きりになって、気持ちを落ち着けたら……きっと……たぶん。
ヒサメは大きく溜息を吐くと立ち上がった。そのまま私の背後に回り、がっちりと身体を押さえてくる――って、え?
「ちょ、ちょっと?」
ヒサメに羽交い絞めにされて、私は抗議の声を上げた。ヒサメの拘束から逃れようと力を入れるが、残念ながら私では彼に敵わない。
もしかしなくても、無理やり薬を飲ませようという魂胆か。私は口を真一文字に結び、断固薬を拒否する。
チッ、とヒサメの舌打ちが聞こえてきた。
「コマ。こいつの鼻をつまめ。口が開いたら、薬を流し込むんだ」
「なっ!?」
あんたは鬼か?悪魔か!?
何とも無慈悲なことをヒサメは口にしながら、私の顎を掴んで固定する。これじゃあ、顔を背けることもできない。
「はぁい」
ヒサメに命令されたおコマさんは、どこか楽しそうだ。そんなことは止めてくれ、と私は彼女に目で訴える。
「ハルちゃん……ごめんね!」
えいっ、とばかりに、おコマさんは私の鼻をつまんだ。誰よりもヒサメが大事な彼女には、私の訴えなどまるで効果がない。
鼻をつままれ、当たり前のように口を閉ざした状態では息ができなくなる。私は堪らず口を開くと、そこにおコマさんが薬を流し込んできた。
強烈な苦みが私を襲い、薬を吐き出したい気持ちに駆られた。
いっそ事故を装い、ヒサメの顔面に薬を吹き出してやろうか。そんなことをチラリと思ったとき、その
「下らんことをしたら、どうなるか分かっているだろうな……?」
綺麗な笑顔で恐ろしいことを言われ、思わず私は薬を飲み込んでしまった。
「うげー」とえずく私に、ヒサメが話しかける。
「あと、三日はこの薬を飲むことだ。飲めないのなら、もちろん俺が飲ませてやる」
そう口にするヒサメは、とてもとても楽しそうだった。
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ここまで読んでくださって、ありがとうございました!
今回で「お祓い屋さんの召使い」第一章終了。第二章へと続きます。
第二章からやっと恋愛話に(遅っ!
ハルに振り回されるヒサメをご期待ください。
また、二章では以下の点を書いていく予定です。
・コンと星熊童子の決着
・ヒサメがコンを式神にした本当の理由
・なぜハルが異世界転生してしまったか
引き続き、読んでいただけると嬉しいです。
よろしくお願いします。
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