第81話 紅葉(参)

 がしゃどくろの左腕は、指先から上へ上へと凍っていっているようだった。

 程なくして左腕全体が氷漬けになってしまうが、それで終わりではない。

 がしゃどくろを侵食する冷気は、上腕骨から肩甲骨や鎖骨へまで広がっていき、この巨大骸骨の全てを氷漬けにしようとしていた。


「何なの!?これ!」


 紅葉の声はもはや悲鳴のようになっている。それでも彼女は現状を打破するべく、動いた。

 突如、紅葉の周囲を漂っていた火の玉の数が一気に増える。めらめらと燃える炎が、がしゃどくろの腕にまとわりついた。おそらく、炎で氷を溶かそうという算段だろう。


 だが……


「どうして溶けないのよ!?」


 紅葉は地団太を踏んで怒鳴った。


 彼女の思惑通りにならないのは、こちらとしては有り難い。一方で、私自身も内心不思議に思う。どうして、炎で氷が溶けないのか。

 その疑問はコンも同じだったようで、彼はソレを口に出した。


「どうして氷がとけないの?」

「込められた神気と妖力の量に違いがありすぎるんや」


 コンの質問に、千景が答える。


「あの氷も紅葉の鬼火も、普通の氷と炎やない。それぞれ神気と妖力から作られとる。それに込められた力に差がありすぎて、本来氷を溶かすはずの炎がまるで役に立ってないんや」


 千景が説明する間にも、がしゃどくろの体を冷気が侵していった。氷は頭蓋骨や肋骨へと広がり、ついには下半身部分まで凍結し始める。

 紅葉はやっきになって、炎で氷を溶かそうとしているが、それはほとんど無意味だった。


 目の前の有様を見て、千景は苦笑する。


「こんなんできるの、都に一人しかおらんやろ。おいしい所を全部持っていくんやから、ずるいわ…」


 それから、一言付け足した。


「でも、やっぱり。文句なしにかっこいいわ、ヒサメさん」




 そのとき、不意に雲が途切れ、まん丸い月が夜空に現れた。

 輝く月の光で、嘘のように周囲が明るくなる。


 白い雪がちらつく月明かりの下、銀の狼を従えては立っていた。


「ご主人さまだっ!」


 コンが歓喜の声を上げる。

 すると、ヒサメの傍らの狼――ロウさんが動いた。


 がしゃどくろとヒサメたちの間には距離があった。けれども、疾風の如くロウさんははしり、あっという間にその距離を詰めてしまう。

 がしゃどくろの巨体が間近に迫っても、ロウさんはそのスピードを緩めることはしなかった。むしろさらに加速し、その勢いのまま凍結した骸骨に突進した。


 次の瞬間、ガシャーンとけたたましい音が響き渡った。

 凍ったがしゃどくろの体は木っ端微塵だ。まるでガラスのように砕け、ガラガラと音を立てて崩れ落ちていく。


 それを目の当たりにして、紅葉は愕然としていたが、すぐに「ひっ!?」と悲鳴を上げた。

 がしゃどくろの残骸から冷気が広がり、じわじわと地面を凍らせ始めたのだ。そして、それは間違いなく紅葉へと向かっていた。


「ひっ、ひぃ!!」


 恐怖におののきながら、紅葉は走り出す。自分まで凍ってしまっては堪らないと、髪を振り乱しながら彼女は必死に逃げた。

 片や凍てつく冷気は、まるで獲物を追い詰める猟犬のように鬼を追いかける。冷気が通った地面は、メリメリと音を立てて凍えていった。


 皮肉なことに、先ほどまで私たちを追い詰めていた紅葉の立場は、今このとき側に変わっていた。

 そして、そんな紅葉の逃走劇はあっけなく終わりを迎えることになる。


 とうとう紅葉の足がもつれ、彼女は派手に転倒したのだ。すぐさま起き上がろうとした紅葉だが、時すでに遅し。

 瞬く間に冷気は迫り、地面に投げ出された紅葉の足が凍った。


「――っ」


 断末魔はなかった。

 紅葉が声を上げる前に、たちまち氷は彼女の体を侵食し、その全身をすっかりてつかせてしまった。


 そうして、冬の草原に鬼の氷像が一つ残された。



 あっという間の殲滅劇に、私は呆気に取られていた。

 敵は全滅して、私は九死に一生を得たようだが……実感がない。あまりにも急な展開に頭が追い付いていないのかもしれなかった。


 やがて、ヒサメがロウさんを連れて、ゆっくりとこちらにやって来た。冷たい地べたに座りながら、私は放心して彼らを眺める。

 ヒサメは私の前まで来ると、しゃがみこんだ。二人の目線の高さが同じになる。


 ポン。

 おもむろに、ヒサメが手を私の頭にのせて――撫でた。

 これまで彼に何度か頭を撫でられたことがあるが、今のやり方はいつもよりぎこちなく、でも少し優しいように思える。


「よく俺に


 おそらく、あののことを言っているのだろう、と私は思った。

 四条の祓い屋を示す、あの六角形の紋様から生じた光のことだ。


 私の頭を撫でながら、ヒサメはなおも何か話しかけてくるが、私にはよく分からなかった。

 貧血のせいか、ヒサメの声がひどく遠くに感じる。言葉が頭にちゃんと入ってこない。頭がぼうっとしてしまって、彼の話よりも、何故だかその手の温かさばかりが気になった。


――あったかい手だなぁ。氷雨ヒサメなんて名前をしているのに…変なの。


 緊張の糸が切れてしまったのか。唐突に、私は強烈な睡魔に見舞われた。

 瞼が重くて重くて、一秒たりとも開けていられなくなる。


「ハルッ!」


 最後に、驚いたようなコンの声を耳にして、私は意識を手放した。



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