第80話 紅葉(弐)

「これは…ちょっと、本気でマズいかも……」


 巨大ながしゃどくろを目の前にして、千景が冷汗を浮かべて呟く。私やコンはもはや言葉もない。

 そんな私たちを嘲笑うように、深夜の草原に紅葉の哄笑が響いた。


「アハハハハッ!どう?手も足も出ないでしょう?」

「――チッ」


 千景は舌打ちを一つすると、四つん這い状態になっているがしゃどくろの腕を狙って風の呪符を使う。先ほどまで、何体もの骸骨を粉砕した衝撃波ががしゃどくろを襲ったが、その太く巨大な骨は小さく欠けただけだった。それを見て、千景は目を見開く。


 この巨大な骸骨は頑丈すぎる。千景の術をもってしても、さしたるダメージは与えられないようだ。こうなれば、コンが化けている大熊の怪力も通用するとは思えない。

 素人の私から見ても、目の前の敵に太刀打ちできそうになかった。もちろんそんなこと、祓魔師プロの千景はすぐに見抜いたのだろう。


「逃げるでっ!」


 彼は私とコンに撤退を指示する。

 不幸中の幸いにも、私たちを取り囲んでいた骸骨集団のほとんどが、がしゃどくろ形成に使われていたので、後方ががら空きだった。そのまま森の中へ逃げるのは可能のように思われる。


 私たち三人は森へと駆け出す。

 けれども、それを許す紅葉ではなかった。


「逃がすなっ!」


 紅葉の命令を聞いて、がしゃどくろが自身の巨大な腕を振り上げる。その動きは意外と素早い。

 がしゃどくろは手のひらを大きく広げると、それを私たちに向かって振り下ろしてきた。

 私たちを叩き潰す気だ。あんな平手打ちを食らったら即死だろう。

 私は懸命に足を動かすが、森までまだ距離がある――間に合わないっ!


 間近に迫ったがしゃどくろの手――それが私たちのすぐ頭上にまでやって来て……


 ガンッ!!


 鈍い音をして弾かれた。


 見えない壁が私たちを守ってくれている。ハッとして千景の方を見ると、彼が守護の呪符を使っていた。それで結界を張ったのだと悟る。


「本当にしぶといっ!とっとと、死ねっ!!」

「あいにく、諦めは悪いんや」


 紅葉の口汚い罵りに対して千景は気丈に返すが、その額には玉のような汗が浮かんでいた。それだけ結界を保つのが大変なのだ。


「ハル!まだある?」

「あるよ」

「ボクも手伝う!」


 いつの間にか、コンは元の少年の姿に戻り、私に右手を差し出していた。私がコンに残りの守護の呪符を渡すと、彼はすぐさまそれを発動させる。


「コンくん、助かるわ」


 少し千景の表情が緩む。私にはよく分からないが、おそらくコンが千景の結界の補助をしているのだろう。


 がしゃどくろの大きな手は、私たちを握り潰そうとしているかのようだった。それを結界が見えない壁となって防ぎ、私たちを守ってくれている。

 千景とコン、二人がかりの結界だ。これで夜明けまで持ちこたえられたら良いのだが……


 私は二人を見る。


 どちらも険しい表情を浮かべていて、今の状況が決して楽観視できないことが分かった。


――ここが使いどころだ。


 私は天狐の筆を手に取る。

 これで守護の呪符を書き、より結界を強固なものにしようと考えた。

 懸念点は、私の体力が呪符を書き終わるまで持つかどうか怪しいということだが、他に打開策が思いつかないのだから、やるしかなかった。


 右手で天狐の筆を持つと、みるみる穂首が鮮やかな赤色に染まっていった。私はそのまま、白紙の札に筆を入れようとして……



『俺を呼べ』



 そのとき、ヒサメの声がどこからともなく聞こえたような気がして、ハッとした。


 性格難のヒサメだが、確かにこの場に彼がいたらどれ程心強いか。

 助けを呼べるものなら、是非とも呼びたい。けれども、どうやって呼べばいい?今、此処にはおコマさんの鳥たちもいないというのに。


 そのとき、私の視界にチラチラと何かがちらついた――雪だ。

 空から舞い落ちるそれを目にしたとき、じんわりと手元の天狐の筆が温かくなったように感じた。まるで今、私の頭の中にある考えを肯定してくれているみたいに。


 あなたの思うままに……さぁ、やってみなさい。


 筆にそう優しくうながされた心地がして、気付けば私は筆を走らせていた。




 ミシミシッ――不安を煽るような、何かがきしむ音がする。


「アカン!もう、もたん!」


 千景が悲鳴を上げる。

 結界が破られるのと、私が雪の結晶に似た六角形の複雑な紋様――四条の祓い屋を示す印を書き上げたのは同時だった。


 結界を突き破り、頭上から襲い掛かって来るがしゃどくろの巨大な手が見えた瞬間――六角形の紋から目がくらむような白い光が生まれた。

 眩い光は真っすぐに伸び、がしゃどくろの手と腕を貫く。


「うわっ」

「なんや!?」


 突然の光に、コンと千景は驚いた。それはあちらも同じようで、がしゃどくろの動きがピタリと止まる。「いったいなんなの!?」と紅葉が怒声を上げていた。


 しばらくして、光が収まると紅葉はがしゃどくろに命令した。


「何しているの?早くこいつらを叩き潰しなさい」


 右の手と腕を光に貫かれたがしゃどくろだったが、一見したところ何の変化もないみたいに映った。

 がしゃどくろは主の命令を実行するべく、再び私たちに襲い掛かろうとする。しかし、その意思に反して右腕が動かないようだった。


「この愚図ぐず、早くなさい!」


 れた紅葉がそう叫んだとき、ボトリと巨大な塊が地面に落ちた。

 よくよく見れば、それはがしゃどくろの腕の一部である。骨は地面に落ちると、そのままサーッと白い砂塵になって風に飛ばされていった。


 それが崩壊の合図だった。

 次々とがしゃどくろの右腕は崩れ落ちていく。光が貫いた場所が壊れているのだと、私は気付いた。


 そして、とうとう巨大骸骨の右肩から下がすべて無に返ってしまった。


「な、何なの!どうして、アタシの妖術が解けているの!?」


 紅葉は混乱の境地にあるようで、彼女のヒステリックな声が闇夜に響き渡る。

……と、千景は私に問いかけてきた。


「今の光…ハルちゃんがやったんやんな?どうやって…?」

「……分かりません」


 それは正直な感想だった。

 私が天狐の筆で書いたのはヒサメが家紋として使っている六角形の紋様だ。神与文字ですらない。

 けれども、ヒサメの声が頭の中で聞こえたような気がしたとき、それを書かなければならない――そう思い、心のままに書いてしまったのである。


 それがまさか、あんな効果があるなんて…。

 自分でもびっくりだった。


「ともかく、コレならいける!勝てる!ハルちゃん、もう一回いけるか?」

「はい」


 私は天狐の筆を執る。

 新しい札に、例の紋を今一度書こうとしたとき、くらりと眩暈を覚えた。そのまま倒れこんでしまいそうだった私を、素早くコンがその小さな体で受け止めてくれる。


「ハル!?」


 これは貧血だ。呪符を書くほどではないが、例の紋は複雑で細かな書き込みが必要だったため、結構な量の血を使ってしまったのである。

 だが、ここで倒れるわけにはいかない。倒れるのは、もう一仕事した後だ。


「ハルちゃん、大丈夫か?」

「…ぃじょうぶ。やれます」


 私は気力を総動員して、札に筆を入れる。

 激しい頭痛が襲ってきたが、集中力を切らすわけにはいかなかった。


 一方、紅葉もこちらの動向に気付いたようだ。彼女は焦った声で命令する。


「がしゃどくろ!今すぐ、そいつらを叩きのめせっ!!右手がだめでも、左があるでしょう!?」


 すぐに次の攻撃が来るだろう。早く、紋を仕上げなければっ!!

 歯を食いしばりながら、私が紋を書いていると、


「ハル、見て!アレ、ようすが変だよ」


 おもむろにコンがそう言った。私も思わず手を止めて、顔を上げる。


 目の前に、左腕をこちらに向かって伸ばすがしゃどくろがいた。しかし、どういうわけかそれ以上動こうとしない。時が止まったように停止している。


「何やってんの!早くっ!!」


 紅葉がさらに声を上げるが、もはや巨大骸骨は完全に沈黙していた。

 私は首をかしげる。がしゃどくろはどうしてしまったのだろう。急に、紅葉の命令を無視し始めたのだろうか?


「どうして動かないのよっ!?」


 そう紅葉が言ったとき、千景が何かに気付いた。


「動かないんやない。んや」

「え…?」


 ややあって、私も千景の言葉の意味を理解した。

 がしゃどくろの左手は凍り付いていたのである。



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