第79話 紅葉(壱)

 千景ちかげが言っていたように、この森には鬼女紅葉の配下の骸骨たちがうようよいた。襲い掛かって来るそれらを、千景が風の呪符を使って吹き飛ばす。


 しかし、いかんせん敵の数が多すぎて、全てをさばき切ることはできない。まともに戦っていたら、千景の身が持たないだろう。それで、骸骨が少ない方へ少ない方へと私たちは移動していた。


 逃げながら、千景は少し不安そうな顔をする。


「どうも、嫌な予感がする。誘導されているような……」


 彼には懸念があるようだったが、現状他に選択肢がなかった。

 こういうとき、嫌な予感は当たるものだ。しばらくして、千景が「やられた」と呟いた。



 私たちは森の出口までやって来た。

 森を抜けた先は草原になっていて、枯草がカサカサと音を立てて、そよいでいる。そして、その向こうにおびただしい数の骸骨の大群が整列していた。


 どうやら敵に待ち伏せされていたようだ。それを知って、私たちは森の中に引き返そうとしたが、叶わない。後方からも、ぞろぞろと骸骨の集団がやって来たからだ。


 いつの間にか私たちは敵に包囲されていた。

 骸骨たちに取り囲まれ、どんどん逃げ場所を狭められた結果、ここまで追い詰められたのである。



 骸骨集団の中からふらりと、その先頭に出てきたのは紅葉だった。

 彼女の周りには火の玉がいくつも漂い、その妖艶な美貌が闇の中に浮かび上がっている。


「千景、どういうつもり?」


 大勢の骸骨を従えて、紅葉は千景に問いかけた。


「どうもこうもあらへん。見たら分かるやろ」

「ふぅん。どういうわけか、精神支配の術が解けているわね……で、アタシを裏切るってこと?」

「そりゃあそうやろ」

「この状況で、よくそんなことが言えるわね」


 紅葉は周囲の骸骨たちを誇示するかのように、両手を広げて嘲笑した。

 その様子を見て、私は空恐ろしくなる。これだけの数の骸骨を操るなんて尋常じゃない。改めて、紅葉という鬼の力を思い知らされるようだった。


「最後の機会をあげるわ。その狐をアタシに差し出しなさい。そうすれば、アンタの命だけは助けてあげる」


 いっそ優しい声音で、紅葉が千景を誘う。

 彼はそれに即答した。


「あほくさ。死んでも嫌やわ」

「そう…」


 美しい紅葉の笑顔――それが一転する。

 くわっと目が見開き、眉間に深く皺が寄る。大きく開いた口からは、鋭い牙が覗いていた――そんな恐ろしい表情で紅葉は言った。


「なら、死ね」


 その言葉が合図だったのか、周りの骸骨たちがぞろりと動き始めた。カシャカシャという骨の鳴る音は、今や地響きのような大音量となっていた。


「こりゃ、気張らなあかんな」

「ボクもがんばる」


 この逆境で千景は何故かおかしそうに笑い、コンは変化の術で巨大な熊にその姿を変える。そうして、彼らは紅葉配下の骸骨軍団と正面からぶつかった。




 こちらに向かってくる大量の骸骨たちを、千景が風の呪符でなぎ払う。彼の術をかいくぐってやって来た骸骨たちは、大熊に化けたコンの拳によって粉砕された。

多勢に無勢の危機的状況の中、二人は善戦する。一方、私は守られているだけ――完全にお荷物になっていた。


 呪符で援護しようと思っても、手元にはもう三枚の守護の呪符しかない。それ以外は全て、千景に渡してしまった。それはもちろん、彼の方が呪符を有効活用できるからだが、これでいっそう私の戦う手段はなくなる。

 あと私にあるのは、瓢箪ひょうたんに入った紙魚しみと――。


「……」


 私は懐から、天狐の筆を取り出した。

 この穂首の真っ白な美しい筆が、おそらく私に残された最後の手段だ。


 どうやらこの筆は、文字に宿る神気を増幅してくれるようだった。それは、天狐の筆で書いた呪符が通常の三十倍の効力があったり、その文字を食べた紙魚の能力が飛躍的に向上したりしたことからも明白だろう。


 ただし、デメリットもある。この筆は私の血液を対価に、そういった力を発揮することだ。

 実際に、守護の護符を一枚書いただけで、立ち上がれないくらいの貧血になってしまったことがある。


――使いどころが肝心だ。


 さらに問題なのは、私は紙魚たちに文字を食べさせるために、この日すでに天狐の筆を使ってしまっている点だった。

 今の私に、呪符一枚を書けるだけの血液と体力があるかと問われれば、かなり怪しいところである。ともすれば、書いている途中で失神しかねない。


――いちかばちか、賭けてみる?けれども、それで気を失ってしまったら…それこそコンと千景のお荷物以外の何物でもなくなるし……。


 私は判断に迷っていた。


 そのときだ。

 ふわりと、空から落ちてくるものがあった。白いそれは――


「……雪」


 この冬初めての雪である。

 白い雪が私の手のひらに舞い落ちる。それはすぐに、じわりと溶けてしまった。私の目では分からなかったが、この雪も美しい六角形の結晶だったのだろうか。



『好きにしろ。ただし、何かあったらすぐに俺を呼べ』



 不意に、私の頭の中でヒサメの言葉が思い出された。



「ああ、もぅ!意外にしぶといわね!」


 火の玉が、れた様子の紅葉の顔を照らしていた。

 紅葉の物言いから、コンと千景の抵抗が彼女の予想を上回っていたことが察せられる。


 紅葉は忌々し気に空を見上げた。おそらく、気にしているのは夜明けだ。千景が言っていたように、紅葉の骸骨たちは太陽の光に弱いのだろう。


 このまま、夜明けまで持ちこたえられれば良いのだけれど……。

 私がそう思っていると、紅葉はフッと笑みをこぼした。


「悪いけれど、そろそろお遊びは終わりにしましょう!」


 紅葉の言葉と同時に、骸骨たちの動きがピタリと止まった。そのまま彼らは私たちへの攻撃を止め、波が引くように後退していく。


 まさか、紅葉が私たちを諦めたということはあるまい。

「いったい、どうしたんや…」と、千景も警戒をあらわにしていた。



 骸骨たちは、紅葉の前にどんどん集まってきていた。そして、何十――いや、何百という数の骸骨が互いに折り重なり連なって行く。

 カシャカシャカシャ、ガチガチガチ……不吉な音を辺りに響く。


 最初私の目には、骸骨たちがただ無秩序に集まっているだけのように映った。しかし、それが間違いだと言うことを程なくして思い知る。

 目の前の巨大なを、私は息を飲んで見上げた。


 ガシャガシャと音を立てて、うつ伏せになっていたがゆっくりと起き上がっていく。

 全長は十五メートル以上あるだろう。

は大きな頭蓋骨を持ち上げ、真っ黒な眼窩で私たちを見下ろした。


 そう。

 無数の骸骨の集合体は今や、互いと互いが融合し、巨大な一体の骸骨――『がしゃどくろ』を作り上げていた。



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