第78話 雪辱

 千景の酷い誤解も解け、話もひと段落した。

 というか、鬼や骸骨の集団に追われているのに、こんな話していて良いのだろうか――そう思わなくもない。

 緊張感のなさに我ながら呆れるが、千景はなんだか清々した顔をしているし、まぁ良しとしよう。


「はぁ…俺。しょーもない勘違いしててんなぁ」

「全くですよ」

「いや…アレは俺じゃなくても誤解す……」

「……」

「ナンデモアリマセン」


 じろりと横目で睨むと、千景は降参とでもいうように両手を挙げた。素直でよろしい。


「でも、確かに。二人が恋人ってことはないかもなぁ。考えてみれば、ヒサメさん。誰か他に好きな人がいそうなこと言っていたし」

「えっ!ヒサメ様って人間を好きになれるんですか?」

「……ハルちゃん、ヒサメさんのことなんやと思ってるの?」


 千景は呆れ顔をするが、私からすれば、あの人間不信のヒサメが人を好きになるというのは想像し難い。一方で、もしそんな人と夫婦にでもなれば、少しは厄介な性格も改善するかもしれないとも思った。

 よし、と私は決意した。ヒサメの恋路をひっそりと応援してやろうではないか。



 そのとき、不意に千景の表情が強張った。ついさっきまでの砕けた雰囲気が消え去り、鋭い目つきになる。

 にわかに緊張が走り、私は彼の言葉を待った。


「どうやら見つかったみたいやなぁ。こちらに骸骨らが集まって来るわ。ハルちゃん、コンくん起こしてくれるか?」

「コン、起きて」


 私はコンの身体を揺する。彼は眠そうに目をこすっていたが、ただならぬ気配を察してすぐに覚醒した。



 その後、私たちは静かに猟師小屋を出た。どこへ逃げるかは千景次第であるが、その表情からかなり厳しい状況なのだろうと察せられた。

 日の出にはまだ三時間以上ある。果たしてこのまま逃げ切れるのか――それは分からないが、今はとにかく足を動かすしかない。


 そして、とうとう私たちは敵に見つかってしまった。一体の骸骨が目の前に現れたのだ。

 私たち三人を発見したソイツは、カタカタと歯を鳴らし始めた。それは夜の森に大きく反響する。おそらく、この骸骨は私たちの居場所を仲間に知らせているのだろう。


「――チッ。二人とも、こっちや!」


 千景が方向転換し、私もコンもそれに従った。


 千景たちのように妖力を探知することのできない私だったが、じわじわと骸骨たちに追い詰められているのは肌で感じていた。なにせ、周囲の闇のあちこちからカシャカシャと不吉な音が聞こえてきて、徐々にそれが大きくなっているのだから。


 腹の底からせり上がってくる恐怖に目をつむりながら、私はひたすら走る。相変わらず体の倦怠感は酷かったが、今はそれに構っている暇はない。走ることだけに集中した。

 だが、走ることばかりに気を取られていたせいで、私は反応に遅れてしまった。


「ハルちゃん!左っ!!」

「え?」


 一瞬、千景が何を言ったのかが分からなくて、動きが鈍る。すると、横の闇からヌッと巨大な腕が生えてきた。


「ぐあっ!?」


 巨大な手は私の首を掴むと、体ごと持ち上げてきた。足が地面から浮き、首が絞まる。声が出ないどころか、呼吸もままならない。


「また、会ったべ」


 聞き覚えのある声がして、私は闇に目を凝らす。

 そこには恐ろしい鬼の顔、ギョロリと大きな一つ目が私を見ていた。そして、その鬼には片腕がない。


――目一鬼めひとつのおに


 私を捕えているのは、栂宿とがのしゅくを震撼させた人喰い鬼だった。ロウさんと戦って致命傷を負ったはずだが、ヒサメの言う通り逃げて生きていたのだ。


「ハルちゃん!――って、クソッ!骸骨共がっ…」


 目一鬼めひとつのおにの他に、骸骨までこちらにやって来たようだ。カシャカシャという音が、あちこちから聞こえてきた。おそらく、千景は骸骨らの相手で手一杯なのだろう。鬼にまで手が回らない。


 私は何とか目一鬼めひとつのおにの手を引きはがそうと試みた……が、私と鬼では力の差が歴然で、それは抵抗にすらならない。

 意識が徐々に朦朧もうろうとし始めたとき、コンの叫び声がした。


「ハルをはなせっ!」


 突然、パァっと周囲が明るくなった。それと同時に目一鬼めひとつのおにが悲鳴を上げる。


「ぎゃあっ!あ、熱い!!」


 鬼は私から手を放し、そのまま私は地面に投げ出された。


「ごほっ、けほっ」


 私は咳き込みながら、現状を確認しようとする。そして、どうして森の中が突如明るくなったのかを知ることになった。


 目一鬼めひとつのおにが燃えていた。

 赤々とした炎が鬼の巨体にまとわりついている。


 不思議なことに、その炎は周囲の木々には燃え移らなかった。まるで炎そのものに意思でもあるかのように、鬼だけに絡みついている。

 目一鬼めひとつのおにの絶叫が続く。鬼は周囲の木をなぎ倒し、暴れまわっていた。何とか炎を振り払おうとするが叶わない。

 肉が焼ける嫌な臭いが辺りに立ち込めた。


「狐火……はじめてできた」


 ぽつりとコンが呟く。


「この炎、コンがやったの?」

「うん。そうみたい」


 自分で自分のやったことが信じられないようで、コンはキョトンとしていた。


「すごい!ありがとう、助けてくれて」


 私はコンを抱きしめる。その間にも、コンの狐火は目一鬼めひとつのおにを燃やし続けた。

 やがて、鬼の声がどんどん弱いものに変わっていき、ガクリと膝が折れる。そのまま鬼は崩れ落ちていった。



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