第77話 懺悔(弐)

 それから、千景は「祓魔師…辞めなあかんかもなぁ」と呟いた。

 彼の発言に、私はびっくりする。


 鬼女紅葉に心の隙を付け込まれたと言うのなら、千景にも責任はある。私も、自分自身とコンの身が危うくなっている立場なので、彼に思う所もあった。

 けれども、千景は祓魔師になるために、それこそ血が滲むような努力を重ねてきたはずだ。それをにしていいのだろうか?


「本当に辞める気なんですか?」


 尋ねると、千景から「自分自身が信じられんのや」と弱々しい言葉が返ってきた。


「自分でも驚いてるねん。ヒサメさんに劣等感を持ってるのは自覚しとったけれど、まさかここまでとは…。俺、心の底ではヒサメさんのこと、ねたんで、羨んで、憎んでいたってことやよな……」


 千景は、己の腹の底のどす黒い気持ちを垣間見て、相当ショックを受けているようだった。彼の周りには悲壮感が漂っている。

 その様子を見て、ただ私は内心首をかしげていた。


 確かに、千景にはヒサメを妬んだり、羨んだり、ともすれば憎く思うこともあっただろう。けれども、それだけではなかったはずだ。

 彼ら二人を傍から見ている立場として言えるのは、千景はヒサメを慕っていたということ。そこに嘘はなかったように思う。


「私は、千景さんはヒサメ様のことが好きだと思いますよ」

「はは…。男同士で好きとか気色悪ぅ」


 千景は茶化すように言った後、「好きなら、こんなことせんやろ」と続けた。


「どうでしょう?少なくとも、好きな気持ちと嫌いな気持ちは両立しますし」

「……両立?」

「例えば、好きが五で嫌いが五だった場合、差し引きゼロにはならないということです。この場合、好きでも嫌いでもないということにはならず、やはり好きが五。嫌いが五でしょう」


 世の中には、『愛憎相半ばする』という言葉もある。

 私の説明を聞いて、千景は納得したようなしていないような、あいまいな表情をしていた。しかし、私の次の言葉で彼は大いに慌てることになる。


「本当に憎いだけなら、ヒサメ様を殺そうとか――そういう発想が出てもおかしくないのでは?」

「ちょっ!殺すってっ…!?ハルちゃん!?」

「例えです。ものの例え」


 ギョッとしている千景をスルーして、私は話を続ける。


「ヒサメ様は警戒心の強い人ですが、あなたには気を許していました。一緒にお酒を飲んだり……ね。だから、手段を問わなければ彼を亡き者にできたのではないでしょうか?それこそ、お酒に毒を盛ったり…」

「自分、すごいこと言うなぁ……」

「ですから、例えですって。例え」

「いや、でも…」

「そういう物騒なことをしなくとも、単純に嫌いな相手なら距離を置くこともできます。普通の人間はそうするでしょう。千景さんは祓魔師としての腕は確かなんだから、大和宮ではなく別の街に行くことも可能なのでは?そうすれば金輪際、忌々しいヒサメ様の顔を見なくて済みます」

「い、忌々しいって……」


 私の例え話に若干腰が引けながらも、千景はその可能性について考えているみたいだった。そんな彼に、私はさらに質問する。


「そういう可能性や選択肢を、今まで千景さんは考えもしなかったのでしょう。劣等感を抱きながらも、ヒサメ様の近くに居続けた。言い換えれば、。 そして、ついさっきあなたは認めた。強くなってヒサメ様に勝ちたかった――と。それはどうしてですか?」


 私の問いかけに、千景が答える。


「俺……ヒサメさんに認められたかった?」


 それは無意識のうちに口から出てしまったような、自然な言葉だった。

 千景自身も声に出して言ってみて、初めて気付いたような顔をしている。彼は「そっかぁ」と何度も繰り返していた。


「ヒサメ様に認められたいのなら、祓魔師を辞めるわけにはいきませんね」

「そやね……うん。そうや」


「この危機を切り抜けたら、俺。ヒサメさんに謝るわ」と言う千景の表情は、スッキリしたように見えた。


「でも、ヒサメさん。俺がやったこと許してくれるかな?」

「さぁ、それは分かりません」

「え~。そこは気休めでも、優しい言葉かけてよ」


 千景があまりにも情けない顔をするので、私は「分かりました」と頷く。


「骨は拾ってあげます」

「えっ。俺、死ぬの?玉砕覚悟?酷いなぁ」


 そう笑う千景に、先ほどの悲壮感はない。気を取り直してくれて良かったと思っていると、彼は「でも、さっきのはどうかと思うで」と苦言を呈するように、こちらへ言ってきた。


「さっき?」

「いくら例え話やからって、よりにもよって自分の恋人を殺すとか、その顔を忌々しいとか…」

「……んん?恋人……って誰の?千景さんの?」

「そりゃ、もちろん。ハルちゃんの」


 どうにもこうにも話が噛み合わない。千景が当然のことのように言う話は、こちらからすれば寝耳に水である。

 いつ、どこで。私に恋人なんてできたのだろうか。そんな覚えは微塵もない。


「私に恋人なんていませんよ」

「別に今更、隠さんでもええやん。ヒサメさんとできてんねんやろ?」

「……は?」


 自分でもびっくりするくらい低い声が出た。私の反応を見て、「えっ……え?」と千景は狼狽している。


「……どこでそんな誤解が生まれたんでしょうか?」

「恐ろしいって…だって、ハルちゃんとヒサメさん。あのとき――」

「どのとき?」

「ほら、ちょっと前に。俺とハルちゃんが四条のお屋敷の玄関におって、その後にヒサメさんが来て。ハルちゃんだけ、ヒサメさんがどこかに連れて行ってしまったことがあったやろう?」

「……ああ」


 少し考えて、私は千景の言う『あのとき』を思い出した。

 ヒサメをモデルにしているという噂の小説。アレを出版するように、豆腐屋の又六さんに薦めたのが、私だとヒサメにバレてしまったときのことだ。


「私がヒサメ様に折檻されたときの…」

「せ、折檻?」

「めちゃくちゃ、くすぐられました」

「へ?くすぐられ……?」


 千景がどうにも盛大な勘違いをしているようなので、私は当時のことを事細かに説明した。

 例の小説の発端は私であること。それがヒサメにバレてしまったこと。

 その仕返しに、散々くすぐられるという酷い目にあったこと。


 一通り事の経緯を話し終えたとき、千景はポカンと口を開けていた。


「それ、ホンマ?照れ隠しでデマカセ言っているんじゃなくて?」

「嘘を言っているように見えますか?」

「見えんけれど……ホンマに俺の勘違い?うそぉ…」


 千景が再び頭を抱えだす。

 まったく、私とヒサメが恋人同士なんて天地がひっくり返ってもあり得ないだろうに。どうして、そんな誤解をしたのか。

 やれやれと肩をすくめたところで、私はハタと気付いた。それを彼に問う。


「……って、千景さん。私がヒサメ様に折檻された。いったい、千景さんは勘違いをしたんですか?私がヒサメ様としたと?」

「あ~ええっと……そのぉ…」


 露骨に目を泳がせる千景。私は冷ややかな視線を彼に送る。


「ちょ、ハルちゃん。そんな虫けら見るような目で見んといてぇ!!」


 私の態度を見て、必死に千景は弁明を始めた。



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