第76話 懺悔(壱)

 森の中を私たちはひたすら走った。

 先導してくれるのは千景ちかげだ。彼は『探知』とやらで、紅葉や骸骨の気配を察知し、それらがいない方向へ導いてくれていた。

 さらに、その後をコンが続く。コンは私の手を引きながら走っていた。


 というのも、今宵は月が厚い雲に隠されていて、森の中は本当に暗かった。私では、走るどころか歩くのさえままならない。行灯あんどんを使いたいところだが、アレを持ち歩けば敵に己の位置を知らせているようなものだ。


 私と違って、千景やコンは夜目が利くらしかった。わずかな星明りだけでも行動するのに苦労しないみたい。それでコンは、私の手を引いて走る助けになってくれていた。



 逃げながら、私は自分の息が切れるのを感じた。体がぐったりと重い。おそらく、天狐の筆を使った代償だろう。


――貧血にならないように、セーブしたつもりだったんだけれどなぁ。


 倒れるほどではないが、倦怠感がひどい。それでも、今足を止めるわけにはいかないので、私は無我夢中で走った。そんな私の様子に真っ先に気付いたのはコンだ。


「ハル。体がくるしいの?」

「えっ、そうなんか?」


 コンの声を聞いて、千景がこちらを振り返る。私は首を横に振った。


「大丈夫……です。さぁ…行きま…しょう」


 そうは言ってみたものの、息も切れ切れの状態では説得力もなかっただろう。案の定、千景は休憩を提案してきた。


「この近くに猟師小屋がある。その辺りには骸骨共はおらんみたいや。そこまで行けるか?」

「私のことは…気にしないで……。早く…森の外に……」

「それはどのみち、無理や。森の中は紅葉の手下だらけ。今は身を隠した方がいい」

「……分かりました」



 それからしばらく森の中を進むと、千景の言った通り猟師小屋があった。彼は中の安全を確認した後、「二人は先に入っておいて」と言い、自分は小屋の周りで何か作業をし始めた。

 私とコンは言われた通り、小屋の中に入る。中は雑然と物が置かれ、非常に狭い。それでも、三人がどうにか座れるスペースがあった。

 

 私はコンと身を寄せ合うように座る。隣のコンの体温がじんわり伝わってきて、私はこのときようやく彼の無事をはっきり実感することができた。

 やがて、千景が小屋の中に入ってくると、彼は少し遠慮がちに私の隣へ腰を下ろす。このとき、コンは安心したのか、うつらうつら舟をこぎ始めていた。


「緊張の糸が解けたんやろう。そのまま、休ませてあげな」


 コンの様子を見て、千景がひっそりと笑う。


「ハルちゃんも無理せんで、眠いなら寝てな。見張りは俺がしとくから」

「ありがとうございます」


 私は千景に礼を言った。確かに身体は疲弊している。天狐の筆を使った後、かなり走ったからだ。

 しかし、休むよりも先に、私は千景に確かめたいことがあった。


「ところで、これからどうする気ですか?」

「できたら、このまま朝まで待とうと思う」

「朝まで待ったら、何かあるんですか?」

「紅葉が操る骸骨――死霊軍団は太陽の光に弱いんや。朝になったら、ほとんど身動きできんようになる」


 なるほど、と私は頷いた。確かに、骸骨たちが役に立たなくなれば、この森を抜ける算段もつきそうだ。


「今、何時くらいですか?」

「たぶん、丑三つ時くらいかな」

「日の出までは、まだまだですね」


 不幸にも、これからどんどん日の出の時刻が遅くなる季節だ。先が長いと溜息を吐きたくなった。

 それまでに、鬼や骸骨たちに見つからないよう祈るしかない。


「一応、この小屋には目隠しの術をかけといたから、そう簡単には見つからんと思う。俺らの話し声も小屋の外には聞こえへんはずやし…」


 私の心配を察して、千景が言う。そういった真似もできるのだな、と私は感心した。やはり、彼は優秀な祓魔師なのだろう。


――私の呪符を渡したのは正解だった。


 先ほど、千景が風の呪符を使い、暴風で紅葉や骸骨たちを吹き飛ばしたことを思い出す。私が使うのとは雲泥の差だった。

 持っていた呪符の多くを彼に渡したため、私の手元にはほとんど残っていないが、そうして良かったと思う。呪符の有効活用だと、考えていたところ――


「ごめんな」


 不意に、千景がポツリとこぼした。


「もう何度も謝罪は聞きましたよ?」

「いくら言っても言い足りへんやろ」


 困り顔で千景は力なく笑う。


「紅葉に洗脳されたから――なんて祓魔師として言い訳にならん。自分でも、こうも簡単にとは思わんかったわ」

?」

「うん。アイツは俺の欲望を的確に見抜いていた。見抜いて、そこを狙ってきたんや」

「千景さんの欲望って何ですか?」


 これは千景の懺悔なのだろう。そう思いながら、私は彼に尋ねた。彼が私に聞いてほしそうだったからだ。


「強さや。俺は強くなりたかった」


 千景が語ったのは、紅葉が彼に吹き込んだ悪魔的なささやきだった。



 紅葉は千景が強さを手に入れるために、二つの提案をしたらしい。


「一つは、コンくんを式神にすること。コン君は千年生きた天狐の子。そんな強力なアヤカシを式神にすることは、それ自体が強さになる」


 それで、ヒサメからコンを奪えとそそのかされたと言う。


「もう一つは、鬼の秘薬。妖力や神力を増幅させる……っていうな。紅葉が膨大な数の骸骨を操れるのも、そのおかげって言ってたわ」


 紅葉はコンを千景の式神にすることに協力し、それに成功すれば鬼の秘薬も渡すと申し出た。

 その代わりに紅葉が出した条件は、千景の式神になったコンの力を彼女のために行使させることだった。


「でも、今となったら分かる。紅葉は最初から俺を騙す気やった。ハルちゃんの言う通り、コンくんを殺して、その力を奪う気やったんや。俺はそんなことに手を貸してしまった」


 頭を抱える千景は、自分の行いを本当に後悔しているようだった。

 そんな彼を横目に見ながら、私はふと考えた。

 鬼に力を借りてまで、強くなりたかったのか――と。


 そのとき、私の中によぎったのは以前の記憶だ。検非違使庁妖犯罪対策部の第一課で千景と話したときの。



――俺、こう見えてもかなり負けず嫌いやねん


――それで俺は二番手に甘んじて、『ヒサメさんには敵わんわ~』ってヘラヘラしてる。みみっちい自尊心で、そんなん気にしてないって装いながらな


――でも、その裏で彼に勝ちたくて、コソコソ修行している俺がいるんや。敵わんって分かっているのに、諦められへん。



「強くなりたいのは、ヒサメ様に勝ちたいからですか?」


 気付けば、思い付きがそのまま言葉に出てしまっていた。

 千景はびくりと身体を強張らせる。


「……ここで確信ついてくるとか。ハルちゃん、可愛い顔して可愛くないこと言うなぁ」


 私の方を見て、彼はうめくようにそう言った。



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