第75話 裏切り(肆)

 千景に連れられて穴倉から出ると、そこは夜の森だった。


 そう言えば、彼は言っていた。ここは摂州の外れにある森の中の古墳群なのだと。周囲にはたくさんの横穴が点在しているが、あれが古墳なのだろうか。


 ひゅうっと冷たい風が吹き、私は身体をすくませた。今宵は凍えるように寒い。

 そして、私の心をさらに冷たくするのは、森の至る所にいる骸骨集団だ。ガシャカシャと不気味に骨を鳴らしながら徘徊するその様は、まさしくホラー映画そのものである。


 月が雲で隠れ、星も少ない夜の森は、本当に真っ暗だった。光源は千景が手に持った行灯だけである。

 暗闇の中をしばらく歩くと、少し開けた場所に出た。篝火かがりびが焚いてあり、周囲よりも一際明るいそこに、ずらりと骸骨が並んでいる。そして、その中心に一人の女性がいた。


 炎に照らされて浮かび上がるのは、妖艶な美女だった。

 黒く艶やかな長い髪をたなびかせ、朱色の衣を身にまとっている。道ですれ違えば、思わず振り返ってしまいそうだ。

 けれども、何より私の目を引いたのは彼女の頭から生えている二つの突起物――角だった。その存在が、目の前の美女が人ならざる者であることを示している。


 手下の骸骨たちを侍らせて、鬼女の紅葉がそこにいた。


「連れてきたで」


 千景は私を顎で指し示し、ぶっきらぼうに言った。それに、紅葉は不機嫌そうに口を尖らせる。

 

「ずいぶんと遅かったじゃないの」

「別にそうでもないやろ」

「いいえ。遅かったわ。まったく、そんな子供と何をしていたのかしら」


 嘲りを含んだ言葉だったが、千景は「別に」と取り合わない。


「それより、コンくんはどない?」

「ずっと、この調子よ」


 紅葉がスッと身を引くと、地面にうずくって顔を伏せている子供が見えた。


「コンッ!」


 思わずコンに駆け寄ろうとする私を、千景が腕を掴んで制する。彼は「勝手な行動をするな」と冷たく言った。

 千景に拘束されたままの私に、紅葉が語りかける。


「この狐の結界、どうにも頑丈でね。手を焼いていたの。ほら、この通り…」


 紅葉の言葉を受けて、周りの骸骨たちが動き出す。上腕骨や大腿骨を上げて、コンを殴ったり蹴ったりしようとした。けれどもそれらは、私が制止の声を上げる前に、見えない壁によって弾かれる。それが紅葉の言う結界なのだろう。


「あなた、この狐と親しいんでしょう?一刻も早く、この結界を解くように言ってくれる?」

「……」

「生意気な目」


 睨むように見上げる私の頬を、紅葉が撫でる。そのとき、チクリと痛みが走った。どうやら頬が切れたみたいだ。紅葉の鋭く長い爪が、皮膚を裂いたのだと分かった。


「さぁ、命が惜しければ、狐に結界を解くよう言いなさい」


 紅葉の美しい顔が一変し、恐ろしい般若のそれになる。彼女が目を光らせている中、私は千景にコンの前へ連れて行かれた。

 コンは私の存在に気付いたのか、ハッと顔を上げる。


「ハルっ!」

「コン!」

「どうして!ハルまで捕まったの!?」


 悲壮な表情を浮かべるコン。そんな彼に、私は手を伸ばす。けれども、触れることはできなかった。確かに、そこには見えない壁があってコンを守っている。


「……コン。結界を解いてくれる?」


 私は紅葉に聞こえるような大きな声で言い、続いて小さく囁くように――


「ただし、をしてから」


 そう、付け加えた。

 コンはよく分からないというような顔をしていたが、コクリと頷く。それを見て、紅葉が高笑いする。


「とうとう天狐の力がアタシのものにっ!!」



 その瞬間、暴風が辺りを見舞った。



 突然発生した強烈な風が、紅葉やその手下の骸骨たちを次々と吹き飛ばしていく。ただし、私とコン、そして千景には被害がなかった。


 それもそのはずで、この風を巻き起こしたのは他でもないなのだ。

 彼は私が渡した風の呪符を使い、ちょうど私たち三人を中心にして暴風を発生させた。だから、私たちのまわりは、ちょうど台風の目のようになっていて風がない。


「よし!逃げるでっ!」

「コン、結界を解いて!行くよ!」


 千景と私がそれぞれコンに声を掛ける。


「えっ?えっ?」


 混乱しつつも、言う通りコンは結界を解いた。私は彼に触れることができ、その手を引っ張る。


「今の千景さんは味方なの!さぁ、逃げよう」

「うんっ!!」


 こうして、私たちは夜の森を駆け抜けた。



 今から、少し前のことだ。

 薄暗い穴倉の中で、千景は私を土壁に押し付けて、声を荒げた。


「自分、いい加減にせぇやっ!」


 この怒鳴り声を聞いたとき、私は千景の洗脳が解けていなかったのだと絶望し、息を呑んだ。

 千景は私に身体を密着させ、それから耳元で囁く。


「ハルちゃん、堪忍。このままの状態で聞いて。でないと、紅葉の手下に聞かれる」


 それを聞いて、私はハッとした。確かに、穴倉の入り口には骸骨が控えている。目玉のない眼窩をこちらに向けて、ジッと私たちを監視しているようにも見えた。

 千景は骸骨の視線から私を隠すように、入り口に背を向けた。自然と、彼は私に覆いかぶさるような体勢になる。


「千景さん…?」

「大丈夫。俺は正気やよ」


 さっきの怒声とは一転、耳に聞こえる千景の声は落ち着いたものであった。


「俺のせいでハルちゃんも、コンくんも……ごめんなぁ」

「もしかして、正気を失っている間のこと、覚えているんですか?」

「ああ。なんか、夢を見ていたような気分やわ。最低の悪夢やけれど」


 千景は少し自嘲気味に笑ったが、すぐに真剣な声音に戻った。


「俺のせいでこんなことになったんや。絶対、ハルちゃんもコンくんも此処から逃がす。だから、ハルちゃん。協力してくれるか?」

「何か、策でも?」

「ああ。俺にかかったまじないは解けたけれども、しばらくは紅葉に洗脳されたフリを続けようと思う。それでアイツの油断を誘うんや。隙に乗じて、コンくんを助け出す。ハルちゃんは、大人しく俺に従ったフリをしていて欲しい」

「……」


 私は真正面から千景の顔を見た。鼻の先が触れそうな距離にある目をジッと見つめる。

 真っすぐこちらを見返してくる千景には、嘘がないように思えるが、本当はまだ洗脳状態にあって、私を騙している可能性も捨てきれない。


――けれども、千景が正気に戻っていない場合。どのみち、もう打つ手はないんだよなぁ。


 ここは千景を信じるしかないだろう。

 私は覚悟を決めた。


「分かりました」


 千景がホッとしたように息を吐く。

 そうして私たちは、骸骨に聞かれないよう小声で打ち合わせをし、コン救出のための作戦を実行に移したのだった。



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