第74話 裏切り(参)

 千景は戻ってくると、穴倉の中でジッとしている私を見て、満面の笑みを浮かべた。


「ええ子にしていてエラいなぁ」


 まるで、子供をあやすような口ぶりが腹立たしい。だが、あえて反抗せず、私は千景の出方を伺うことにした。どこで、タイミングを見極めようとする。

 私が従順なふりをして黙っていると、上機嫌で千景はこう言った。


「それで、これから一緒に来て欲しい所があるんや。コンくんの所や」


「えっ、コン?」と私は自然に反応してしまう。


「そうや。言うたやろ。コンくんは近くにおるって。それで、ハルちゃんにコンくんを説得して欲しいんや」

「……説得?」


 千景の意図が分からなくて、私はオウム返しに聞き返した。


「実は、コンくん。結界の中に閉じこもってしまっていてなぁ。俺らは手出しできんのや。赤いお守りの中に、強力な守護の呪符が入ってあったみたいで」

「あ…」


 もしかしなくても、私があげたお守りだろうか。あの中には、コンの母親の――天狐の筆で書きあげた守護の呪符が入ってあった。


――コンのお母さんが、守ってくれているんだ。


 私はギュッと拳を握りしめる。俄然、勇気をもらえたような気がした。


「もしかして、あの呪符。作ったのハルちゃんやったりする?だとしたら、すごいわ。あんな呪符、俺見たことないもん。でもな、今はソレで困ってるねん。だから、協力して欲しいんや」

「協力?」

「結界を解くようにコンくんを説得してくれへん?ハルちゃんの言うことなら、コンくんも聞いてくれると思うし」

「……そのために私を此処へ連れてきたんですね」

「ハルちゃんはやっぱり理解が早いね」

「……」


 やはり、と私は思う。大和宮の街で、千景が声を掛けたのは偶然じゃなかったのだ。よくよく考えてみれば、それは当たり前だった。なにせ、用意周到に私をさらうための朧車まで用意していたのだから。


 私は千景に尋ねた。


「あなたはコンをどうするつもりですか?とやらを奪うために彼を殺すのですか?」

「まさか。そんな非道なことはせぇへんよ。ヒサメさんと同じように、コンくんを俺の式神にするんや。そのためには、ヒサメさんとコンくんの契約を破棄させなあかんけれど」


 それがちょっと面倒なんよなぁ――と口にする千景の顔には嘘がないように思える。本気で彼はコンを自分の式神にしようとしているみたいだ。

 逆に、私はソコに疑問を感じた。だから、追及する。


「コンをあなたの式神にして……それからは?紅葉という鬼のために、コンを使役すると?」

「そうや。そういうことになってる」

「それはあり得ないでしょう」

「……なんやて?」


 千景はピクリと片眉を上げた。


「知らないんですか?コンの母親の仇は星熊童子なんですよ」

「えっ」


 思いがけない返答だったのか、千景は虚を衝かれたような顔をする。


「いくらあなたが無理やりコンを式神にしたって、母親の仇の仲間をコンが助けるわけないでしょう?」


 言いながら、私は千景を伺った。

 彼はショックを受け、私に言い返す言葉がすぐに出てこないようだった。その様子から、コンの母親の仇が星熊童子だと、本当に千景は知らなかったと察せられた。


「少なくとも、同じ星熊童子の手下だと言う目一鬼は、コンを喰らってそのを奪おうとしていましたよ。紅葉という鬼も実は、そのつもりでは?」

「そんなはずは……」


 考えこむように、千景は額に手をやった。

 まじないによって、おそらく千景は洗脳状態にあるが、理性的な部分も残っているのだろう。こうして、矛盾を突くとあからさまに動揺している。


 きっと千景の中で、鬼や自分の行動への疑念があるはずだ。これはチャンスではないか、と私は考えた。迷いが生じている今なら、洗脳が解けやすくなっているかもしれない。


――なら今だ!


 私は千景に畳み掛けた。


「千景さんは鬼に騙されているのでは?」

「――っ、そんなことないっ!」


 狼狽した顔で千景が叫んだとき、私は腰に吊り下げてあった瓢箪ひょうたんを前へ突き出した。

 瓢箪の穴から一斉に紙魚しみたちが飛び出してくる。しかし、その様子はいつもと違っていた。


 普段は銀に輝く体が、今は鮮やかな赤に染まっている。

 そう、血のような赤に――。



 実は千景がいない間に、私は天狐の筆で文字を書いていた。

 天狗の次郎坊さんからいただいたこの不思議な筆は、手に持つと、墨を付けずとも穂首がたちまち赤に濡れる。私は呪符と一緒に持ち込んだ白紙の札の上に、天狐の筆で文字を書き、それを紙魚たちに食べさせたのだ。

 天狐の筆には特別な力がある。その筆で書いた文字を食べた紙魚たちにも、何かしらの変化があることを願った。


 その結果が、今の赤い紙魚たちである。


 紙魚たちは一目散に千景に向かっていった。先ほどは、彼の呪いの方が強く、紙魚たちは弾き飛ばされてしまったが、今度はどうだろうか。

 私は祈るような気持ちで紙魚たちを見つめ、そして――


「ええっ!?」


 驚愕した。


 二十六匹いた紙魚たちの輪郭があやふやになったと思うと、いつの間にか一匹の巨大な魚に姿を変えていた。その大きさは、二十六匹集まったよりも遥かに大きく、大の大人でも呑み込めてしまえそうだった。

 そして、実際にその巨大魚は千景を丸ごと呑み込んでしまったのだった。


 魚の身体は真紅だが、半透明だった。だから、私からは透けた魚の身体越しに飲み込まれた千景の姿を見ることができた。

 千景は慌てふためき、もがいていた。

 彼の顔や手には、また呪文字が浮かんでいる。それが今、コポコポと泡を立てて徐々に薄れていっていた。まるで、食べ物が消化されるみたいに。


 ややあって、千景の呪文字が私の目からは見えなくなった頃、巨大魚はべっと千景を吐き出した。彼はフラフラと崩れ落ち、四つん這いになる。その体はしっとりと濡れていた。


 一方の魚はと言うと、みるみるうちに萎んでいき、同時に体が分裂していく。やがて、元のサイズの紙魚しみに戻った。体の色も赤から銀になり、何もかも元通りである。


――これで千景の呪いは解けたかな?


 私は「千景さん」と恐る恐る呼びかけた。彼は、肘と膝を地面に付きながら呟く。


「俺は今まで、何やってたんや……」


 それを聞いて、私は千景が正気に戻ったのだと思った。急いで千景に駆け寄ろうとすると、その前に顔を上げた彼と目が合った。


 不意に、千景の手がヌッと私の肩に伸びる。

 彼は私の肩を掴むと、そのまま私を土の壁に押し付けた。私は何とか逃れようと抵抗するものの、男の強い力で掴まれて叶わない。


――まさか、まだ呪いが解けていなかった!?


 私は青ざめて、千景を見上げる。


「自分、いい加減にせぇやっ!」


 千景が声を荒げ、怒鳴った。



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