第73話 裏切り(弐)

 千景が何者かに操られている。

 その可能性は大いにありそうだと、私は思った。それなら、彼が突然ヒサメや私たちを裏切ったことへの説明がつく。

 そして、千景がまじないでおかしくなっているのなら、紙魚が呪文字を食べることで、その洗脳が解けるかもしれない。


 私は内心ドキドキしながら、紙魚を見守った。だが……


 バチンッ!


 何かに弾かれるように、千景の肌をつついていた紙魚たちが吹き飛ばされる。地面に落ちてしまった紙魚たちを、慌てて私は拾い集めた。


「あっ、よかった。生きてる」


 少しの間、失神したように伸びていた紙魚だったが、また宙を泳ぎ始めた。その様子を確認して、私はホッと胸を撫でおろす。


「それ、紙魚って言ったっけ。そうか、ハルちゃんの式神やったなぁ」


 いぶかし気に、千景が紙魚を見る。

 そうこうしているうちに、彼の肌に刻まれた文字はすぅーと薄くなっていき、見えなくなってしまった。


 紙魚は千景にかけられた呪いを解いたのだろうか――私はそんな淡い期待を抱いたが、すぐにそれを否定した。

 千景の様子をかんがみるに、おそらく彼はまだ洗脳されたままだ。文字が見えなくなったのは、表にでてきたものが、また隠れてしまっただけだろう。


 どうやら、紙魚たちは解呪に失敗したらしい。千景の呪いは一筋縄ではいかないようだった。


 どうにかして、千景を正気に戻せないものか。そう考えていたとき、カシャリカシャリという不穏な音がこちらに近づいてきた。

 そして、穴倉の入り口にやって来たの姿を見て、私は危うく悲鳴を上げそうになる。


 そこに居たのは一体の骸骨だった。

 前世で、小学校の理科室に飾られていた模型にそっくりだが、あいにくこちらは本物のようだ。

 肉はなく、骨だけになり、本来なら土の下で眠っているはずのソレが、ひとりでに歩いていた。


 骸骨はカシャリカシャリとその体を鳴らしながら、千景に何かを訴える。「邪魔が入った」と軽く彼は舌打ちしたが、すぐさま笑顔を取り繕った。


「ちょっと、席外すわ。ええ子にしといてな」


 ポンポンと私の頭を軽く叩いて、千景は穴倉を出て行く。去って行く千景の背中を見て、私は少し気を緩めたが、突然彼が振り返ったのでギクリとした。


「あっ、言い忘れたけれど。この穴から勝手に出て行ったらあかんで?外にはこういうがうようよおるねん」


 千景は隣の骸骨を指す。


「勝手して、コイツらに取っ捕まったら命の保証はできへん。だから、くれぐれも大人しくな」


 笑顔のまま物騒なことを口にし、骸骨と共に今度こそ千景は穴倉から出て行った。

 後には私と紙魚たちだけが残される。


 さて、どうしたものかと私は考えた。


 穴の外は骸骨だらけ。逃げたら命はない――なんて脅されたが、その真偽を確かめようという度胸は私にはない。やはり、どうにかして千景を正気に戻すのが最良だと判断した。

 問題は、今の紙魚しみたちでは千景の呪いを解けないということ。きっと、呪いを解くだけの力が紙魚たちに足りていないのだ。


「さてはて。どうにか、できないものか」


 ゴソゴソと私は自分の懐を探り、目的のモノを確認して安堵する。

 私が気を失っている間に取り上げられていたらどうしようかと思ったが、千景は私の持ち物を改めなかったらしい。


 私は懐の中身を取り出し、地面に並べてみた。二十数枚の呪符、白紙の札、そして布に包まれた細長いもの。

 布をめくると、出てきたのは真っ白な筆――天狐の筆である。


 たぶん、これが鍵になる。


 こちらの様子を伺うように、二十六匹の紙魚たちが私の周りを泳いでいる。

 私は深呼吸を一つすると、覚悟を決めて筆を手に取った。



 ハルにつけていたコマの鳥が屋敷に帰って来て、四条氷雨しじょうひさめ千景ちかげの裏切りを知った。

 コンを誘拐し、さらにはハルにまで手をだした千景。その話を聞いても、ヒサメに動揺はない。すでに予期していたことだったからだ。しかし、落胆はあった。


「それで、ハルと千景の居場所は?」


 ヒサメがコマに伺うと、彼女は首を左右に振った。


「千景さんは朧車を使って、ハルちゃんを連れ去ったらしく……途中で、小鳥たちは振り切られたようです」

「なるほど、朧車か。ロウがコンの臭いを追えなかったのも、そのせいだな。鳥の追跡を逃れるのも容易かっただろう」


 種類にもよるが、朧車の中には牛車どころか、馬よりも速く走るものがいる。しかも、空を走行できるのだ。スズメなどの小鳥なら、その速さについていけない。

 忌々しそうに鼻に皺を寄せ、ヒサメは後ろに控えるロウに声を掛けた。


「検非違使庁に行くぞ」

「御意」

「コマは屋敷で待機だ。続報があれば、検非違使庁に使いをやれ」


 コマは頷きながら、尋ねた。


「分かりました。ですが、坊ちゃん。今更、検非違使庁にいったい何の用が?」

「ここ最近の千景の動向を探る。あの阿呆がこんな真似をしでかしたのには、何かきっかけがあるはずだ」


 そうして、ヒサメはロウと共に表に出た。外気は冷たく、ヒサメの息が白くなる。


 ちょうど、日没の頃合いだった。今日はずっと曇天だったため、夜はやけに冷える。これからもっと気温は下がるだろう。もしかしたら、雪が降るかもしれない。


 暗い空を見上げ、ヒサメはポツリと呟いた。


「二人とも無事でいろよ」



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