第72話 裏切り(壱)

 見知らぬ場所で私は目を覚ました。


 周りを見渡すと、真っ先に目に入ったのは土の壁だ。どうも、ここは穴倉か何かのようだった。

 穴の中は光源が小さな蝋燭ろうそくだけで薄暗く、幅も狭い。天井の高さも、大人が立つのがやっとな様子。ただし、奥行きだけは結構あった。

 そんな場所の地面にゴザ一枚が敷かれたところで、私は寝かされていた。


「私はいったい…?」


 いったい、どうして自分はこんな所で寝ているのか。寝起きのぼうっとする頭で考え、私はハッとする。

 私は行方不明のコンを探し、その途中で――。




「あっ。気が付いた?」


 そのとき、前方から声がした。

 慌ててそちらを見ると、蝋燭の灯りの中で一人の青年が浮かび上がっている――千景ちかげだ。

 彼はいつもと変わらぬ笑顔で、こちらに近づいて来る。私は彼を睨み上げた。


「あはは、怖い顔。可愛い顔が台無しやで?」


 千景は茶化すように笑うが、そんなのに構っていられない。


「コンをさらったのは、あなたですね。コンはどこですか?」

「自分の心配より、まずコンくんかぁ。ほんまにあの子が大事なんやね」

「私の質問に答えて下さい」


 やれやれと千景は肩をすくめつつ、「そやよ」と自分の犯行をあっさりと認めた。


「俺がコンくんをさらった。コンくんはこの近くにおるよ。ちゃんと無事やから、安心して」


 誘拐犯の「安心して」など、誰が信じられるものか。自ずと私の眉間に皺が寄る。

 それを見て、「怖い顔」と千景はもう一度言った。


――何とか隙を見て逃げ出さなきゃ。コンを探さなきゃ。


 ただし、今のままでは情報が少なすぎる。コンがどこにいるのか、敵の数は?そもそも、此処がどこかなのかもよく分からない。 

 千景からもっと情報を引き出さなくては……私はそう考えた。


「此処はどこなんですか?」

「ん、此処?摂州の外れにある森の中の古墳群やよ。周りに人間はだぁれもおらんから、騒ぎ立てても無駄やで?」

「……どうして、コンをさらったんですか?あの人喰い鬼の一件と……ええっと、星熊童子とかいう鬼に関係があるんですか?」

「あっ、そこまで知ってるんや」


 「そうやで」と千景は肯定し、こう続けた。


「星熊童子一派の人喰い鬼――目一鬼めひとつのおにの直属の上司に紅葉っていう鬼女がおってなぁ。それが、今回の首謀者。部下の目一鬼めひとつのおにからコンくんの話を聞いて、彼を狙ったんや」


 千景はペラペラとよくしゃべった。そこにはあなどりが垣間見れる。どれだけしゃべっても、こんな小娘じゃあ、どうせ何もできないだろうという高を括っているのだ。

 腹は立つが、こちらを見くびっているのなら、その方が都合良い。隙を見つけて逃げてやると、私は思った。


「けれども、鬼は簡単に都の中には入られへん。だから、俺に協力を仰いだ。コンくんを連れ出してくれってな」


 そこから、千景はコンをどうやってさらったのか――その詳細を話し始めた。


 千景は、ヒサメがいなくなるタイミングを狙っていた。そして、コンとロウさん二人きりになったところで、西園寺徳子らをけしかけた。千景の思惑通り、彼女らの対応にロウさんは四苦八苦し、手一杯となる。そこへ、千景はコンにそっと呼びかけたのだ。ヒサメが呼んでいるから、すぐ来てくれ――と。


「コンくん。疑いもせず、俺のことを信じてくれたわ」


 コンの信頼を裏切っておいて、どの口が言う?笑顔でそう語るこの男が心底憎らしい。


「……どうやって、ロウさんの追跡を逃れたんですか?あの人の嗅覚をかいくぐるなんて」

「ああ、それは朧車やな。今回のハルちゃんと同じように、コンくんを失神させた後、俺は彼を朧車の中に入れたんや。あの中、どうも密閉空間になっとるみたいで、臭いも遮断される。さしものヒサメさんのアヤカシも追ってこれんかったというわけや」

「……どうして、ヒサメ様や私たちを裏切ったんですか?」

「んー。それは諸事情で。いやぁ、大人には色々あるねん。平たく言えば、紅葉との利害関係の一致やなぁ」


 ヘラヘラと笑う千景に私は憤りを覚えるが、グッとそれをこらえる。今、この男には色々と話してもらわなければならない。


「その紅葉っていうのも、コンが母親から引き継いだというを狙っているんですか?」

「へぇ、ハルちゃん。よく知っているやん」


 千景は意外そうに目を見開く。そして、こう口にした。




「異世界に渡る力――なんて、嘘みたいな話やんなぁ」




 えっ、と私は静かに息を飲んだ。

 異世界に渡る力?

 それが、コンが母親の天狐から受け継いだ力なの……?


 これまで、コンが頑なに話してくれなかった力の素性。それが予想外に知れて、私は戸惑った。

 私が押し黙っていると、今度は千景の方からこちらに尋ねてきた。


「他に質問はない?」

「あ、えっと…」


 動揺してしまって、次に尋ねる質問が思い浮かばない。

 そんな私を見て、また千景は笑った。


「それで、ここから逃げ出す名案は浮かんだかな?俺から色々聞き出して、腹の中で画策していたんやろ」

「――っ!」


 私の考えなど、最初から見透かされていたようだ。

 悔しくて口を噛むと、それを面白おかしそうに千景は眺める。


「俺、別にハルちゃんのこと、ナメてないよ。そんなあどけない顔しとるけど、君が利口な子やって知ってる」


 でもな――囁くように千景は続けた。


「可哀想なくらい無力や」


 そう言って、千景はいきなり距離を詰めてきた。彼の手が私に伸び、頬に触れる。その冷たさに私は驚いた。


「自分のもんに手ぇ出されたって分かったら、どんな顔するやろなぁ」


 千景の呟きの意味を私は判じかねた。ただ、彼は私を見ているようで、どこか遠くを見ている気がする。

 同時に、その眼の底知れない昏さにゾッとした。こんな眼をする千景を、私は見たことがない。


 千景の手が私の頬から首へと降りて行く。そのまま彼は、喉元をグッと押さえた。

少し息が詰まる。このまま、首でも絞められてしまうのだろうか。


 本能的に身の危険を感じたそのとき、キュポンッと場にそぐわない間抜けな音が穴倉の中に響いた。


「え?」

「へ?」


 千景も私も、思わず口から声が漏れる。

 音は私の腰のあたりから――ちょうど、ぶら下げていた瓢箪ひょうたんからした。目をやると、いつの間にか栓が勝手に抜けている。


 次の瞬間、瓢箪から紙魚しみたちが飛び出してきて、いっせいに千景をつつき始めた。


「うわっ、なんや!?」


 驚きの声を上げる千景。その肌を紙魚たちはつつき、そうして――


「えっ…」


 私は言葉を失った。

 いつの間にか、千景の顔や手――肌が露出している部分いっぱいに、文字のような紋様が浮かび上がっていた。私たちが使っている神与文字に似ているような気がするが、見たこともない文字……いいや、この字を私は知っている!


――人喰い鬼の隠れ家に続く道にあったヤツだ!隠蔽の術!たしか、そこにあった岩に、コレと似た呪文字が刻まれてあった!


 思い出すと共に、私の中である可能性が頭に浮かんだ。


――もしかして、千景にも何らかのまじないがかけられているんじゃ……?



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