第71話 消えた紺(弐)

 翌朝、氷雨ヒサメが目を覚ますと、そこにハルはいなかった。朝食の準備だけして、すでにコンを探すため、屋敷を出てしまったらしい。


「居ても立ってもいられない様子でしたから」


 御櫃おひつからご飯を茶碗によそいながら、コマが言う。はぁと、ヒサメは溜息を吐いた。


「やみくもに探し回っても見つからんだろうに……ハルに見張りの鳥はつけているだろうな?」

「はい。もちろんです」

「なら、いい。好きにさせておこう」


 言いながら、ヒサメはハルがコンを見つけられる可能性はほぼないだろうと考えた。

 なぜなら、昨日も言った通り、コンの行方不明には第三者が介入しているからだ。もっと言えば、コンは誰かに連れ去られたのだと、ヒサメは推測していた。誘拐された身のコンがのこのこ街中を歩いているはずもない。


――問題は、犯人がどうやってコンを連れ去ったかだ……。


 コンがいなくなったのは、ロウが目を話しているほんの少しの隙だ。つまり、コンが妖犯罪対策部の第一課の部屋からいなくなったとき、ロウはすぐ傍にいたことになる。

 第一課からコンが無理やり誰かに外へ連れて行かれたのか、もしくは自分の意思で出て行ったのかは不明だ。しかし、コンはまだ幼いものの、頭も体も弱い子供ではない。


 前者の場合なら、コンが騒ぎ、すぐロウがそれに気付くだろう。

 ということは、後者か。しかし、それでも不可解な点は残る。例えば、かわやなど必要に迫られて部屋を出るとき、コンはロウに一声掛けると思われるからだ。


 人喰い鬼の件で、コンの身勝手な行動が招いた騒動はまだ記憶に新しい。特に、ハルの命まで危険に曝してしまったことには、相当な精神的打撃を受けていたコンだ。また、同じように勝手な行動をするとは考えにくかった。


 ならば、どういった事情があれば、コンはロウに断りもなく部屋を出て行ってしまうだろうか。それを考えたとき、誰かに呼ばれたのではないかと、ヒサメは推測した。


――例えば、俺がコンを呼んでいる。急いでいるから、早く来て……などと誰かに言われたら?


 コンは基本的に素直な子供だ。そのまま、付いて行ってしまうこともあるだろうと、ヒサメは考える。同時に、そうできる相手はだろうとも。


――素直だが、コンは阿呆あほうではない。少なくとも、大して知りもしない相手に呼ばれたら、ロウに確認をとるはずだ。それをしないということは……。


 相手はコンが良く知っている者である。呼ばれたことに何の疑いも抱かず、言う通りにしてしまうような……。


「……」


 脳裏に浮かんだ可能性に、ヒサメは眉間に皺を寄せた。



 どれだけ大和宮の街を走り回っても、コンの姿は見当たらなかった。

 息を切らせながら、私は絶望的な気分なる。しかし、同時にこうなることは分かっていたと、妙に冷静な自分もいた。

 きっと、コンが見つからないだろう。私がやっていることは、ほとんど無意味だ――と。


 それでも、漫然とコンの帰りをただ待つ方が苦しい。

 だから、今にも雨か雪が降りそうな冬の曇天の中、ひたすら私はコンを探し続けた。


 そんな折、不意に腕を掴まれる。


「ハルちゃん!」

「えっ……あ、千景さん?」


 見上げると、そこには驚いたような顔の千景さんがいた。


「何度も後ろから呼んだんやで?」

「そうなんですか?すみません、気付かなくて」


 千景さんは手を放し、「こんな所でどうしたん?」と尋ねてきた。

 私は改めて、現在位置を確認する。周りは人通りが少ない住宅街で、確かに用もないのに足を運ぶような場所ではなかった。


 コンの行きそうな場所を全て当たりつくした後は、もはやろくに考えもせず、私はあちこちを探し回っていたのだ。こんな所にコンがいるはずもないのに――自分の馬鹿さ加減に呆れてしまう。


「酷い顔しとる。もしかしなくても、コンくんを探しているん?」

「千景さん…コンのことを……?」

「うん。ヒサメさんから聞いとる。心配やよなぁ」

「はい」


 千景さんは気の毒そうに、私を見る。


「昨日の午前中、俺もコンくんと会ったんよ。そん時はこれと言って変わったところはなかった。まさか、こんなことになるなんてな…」

「はい…」

「大事そうに赤いお守りをぶら下げとった。アレって、ハルちゃんが作ってあげたん?」

「そうです……って、え?」


 私は違和感を覚えて、千景さんを見る。


「コンが…お守りを千景さんに見せたんですか?」

「うん、そうやよ。それがどうかしたん?」


 あのお守り袋の中には、天狐の筆で書いた守護の呪符が入っている。そして、それを手渡すとき、私はコンに言った。



『コレはコンを守ってくれるものだから。いざと言うときのために、大事に仕舞っておいて』



 そう言って、普段は着物の中にお守りを隠しておくよう、コンに話したのだ。

 それなのに、どうして千景さんはお守りの存在を知っているのだろう?


 私の頬に冷たい汗が伝う。嫌な考えが頭の中をよぎった。

 周囲を見渡せども、閑静な住宅街には通行人もいない。それどころか、いつの間にか霧が出始めていて、視界が悪くなっていた。


――ここであっても、私が騒いでも……誰も気付かないかもしれない。


 私はひゅっと息を呑む。私の顔色が変わったのを察したのか、千景さんは薄っすら笑った。


「あっ。もしかして、俺。喋りすぎた?」


 仄暗い千景さんの眼。それに怖気づいて、私は一歩下がる。すると、背中に何かが当たった。

 驚いて振り返ると、いつの間にか牛車がそこにあった。


 いや、ただの牛車ではない。

 その車の前面には、巨大な顔が付いていた。

 これって、確か……朧車というアヤカシでは?


「誰か――っ!?」


 助けを呼ぶべく、私は声を上げようとする。その瞬間、首筋にビリリと何かが走った。身体が痺れるような感覚がして、目の前が真っ暗になる。

 完全に意識が途切れる前、遠くで千景さんの声が聞こえたような気がした。


「ハルちゃん、堪忍なぁ」



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