第70話 消えた紺(壱)

 コンがいなくなったという知らせを聞いて、私は愕然とした。


「いなくなったってどういうことですかっ!?」

「ハルちゃん、落ち着いて」


 詰め寄る私をおコマさんが宥めようとするが、これが落ち着いていられるはずもない。


「だってコンは今日、ヒサメ様と一緒のはずでしょう?一緒に、検非違使庁に行ったんじゃ…」

「ヒサメ坊ちゃんからの連絡では、その検非違使庁の中で忽然と姿を消したらしいの」


 おコマさんは、自分の肩に止まっている小鳥に目をやりながら、そう話す。おそらく、その鳥がヒサメからの言葉を伝えたのだろう。


「さすがに検非違使庁の中で誰かにさらわれるとは考えにくいわ。だから、コンちゃんが自分でどこかに行ってしまったんじゃないかしら。人喰い鬼のときみたいに…」

「コンは馬鹿じゃありませんっ!!」


 私は声を張り上げた。

 あの子はまだ幼く、感情のまま突っ走ってしまうところもあるが、人喰い鬼の事件でコンは自分の暴走を心から反省していた。また、同じことをするとは思えない。


「うん、分かっているわ。でも、もしも…ってこともあるでしょう?検非違使庁の方は、ヒサメ坊ちゃんとロウちゃんが探してくれているわ。だから、ハルちゃん。街でコンちゃんの行きそうな場所に心当たりはない?」

「……わかりました」


 おコマさんは私からコンの行きそうな場所を聞くと、そこへ彼女のたちを派遣してくれた。もし、コンが見つかれば、おコマさんの使役する小鳥たちがその情報をすぐさま私たちに知らせてくれるだろう。


「私たちは落ち着いて、屋敷ここで待ちましょう。ね?」


 おコマさんが子供に言い聞かせるように、私に言う。

 私は小さく頷いて、じりじりと小鳥たちの連絡を待った。




 夜が更け、日が変わろうと言う頃、ヒサメとロウさんが屋敷に帰ってきた。だが、そこにコンの姿はなく、今も行方不明のままだと言う。

 もはや、コンの身に何かあったのかは明白だ。誰かに連れ去られたのか、それとも……?

 ゾッとする考えに、私は身を震わせる。嫌な考えが後から後から押し寄せてきて、頭の中から離れなかった。



ヒサメとロウさんは、コンがいなくなった当時のことを教えてくれた。


今日の午後の遅い時間、三人は検非違使庁妖犯罪対策部の第一課で過ごしていたらしい。だが、途中でヒサメが離席することになった。何でも最近、夕暮れから夜にかけて郊外で骸骨の集団が現れるようになり、その件について緊急の会議が行われたとのことだった。


「他の職員も出張らっていて、室内にはそれがしとコンだけが残されました」


 そう、ロウさんが語る。


 そして、二人でしばらく過ごしていたところ、扉を叩く音がした。ロウさんが応対してみると、そこに居たのは西園寺徳子とその友人二人だった。

 あのご令嬢たちは、未だにヒサメ目当てで検非違使庁を訪ねているらしい。もちろん、今回も目当てはヒサメだった。


 徳子たちにヒサメを出せと言われ、ロウさんは困った。ヒサメは不在だと答えれば、「じゃあ、今すぐここへ連れてきてよ」と無茶を言われる始末。

 元々、口下手なロウさんにあのご令嬢方の対応はさぞ大変だっただろう。それは想像に難くない。

 そうやって、四苦八苦していたロウさんが気付いたときには、コンが第一課の部屋から忽然と姿を消していたのだった。


「あの部屋には出入り口が二つある。一つはロウと女共がいたから、コンはもう一つの方から出て行ったんだろうな」


 ヒサメの言葉をロウさんが肯定する。


「臭いから判断するに、おそらくそうです」


 始め、ロウさんはコンがかわやにでも行ったのかと思ったと言う。けれども、妙な胸騒ぎがした彼は、ご令嬢たちを放り出してコンの後を追ったらしい。

 コンの臭いは妖犯罪対策部の建物の裏へ続いていた。そして、そこでプツリと不自然に途切れていたのだ。そうして、今に至るというわけだった。


「某が目を離したばかりに……申し訳ありません」


 ロウさんが私に頭を下げる。


「コン自ら部屋を出て行ったのかどうかは不明だが、ロウの嗅覚で追えなかったというのが、そもそもおかしい。第三者が介入していると見るのが妥当だな。それが、星熊童子一派に関係しているかどうかは分からんが……」


 淡々とヒサメが状況を説明した。


 星熊童子――それはコンの母親の仇の名だ。どうして、かの鬼が関係しているのかと私は疑問を抱き、それからあることを思い出した。

 星熊童子の配下であるらしい目一鬼めひとつのおには、コンが母親から受け継いだというを欲していた。もしかしたら、そのとやらを狙われて、コンが連れ去られたのかもしれない。


――あの鬼はコンを食べようとしていた。まさか、コンはもう……っ!?


 そう思うと、私は気が気じゃなかった。

 一方で、ヒサメはどこまでも冷静だ。その落ち着き払った態度が、今の私には妙に癪にさわった。


「……ヒサメ様はコンのことが心配じゃないんですか?」


 口に出てから、私は自らの失言に気付く。じろりとヒサメがこちらを睨んだ。


「俺が取り乱せば、事態は好転すると?コンが戻ってくると?」

「……申し訳ございません」


 ヒサメの指摘はもっともで、私は謝罪の言葉を口にする。コンが見つからないことへの焦りや不安をヒサメに八つ当たりしただけだと、自分で分かっていた。


――ヒサメに当たっても意味がないのにっ!ああ、でも……コン…っ!!


 私は俯き、ぎゅっと自分の拳を握りしめる。

 すると、おもむろにヒサメがこう言った。


「コンの行方については分からんが、まだ生きていることだけは確かだ」

「えっ…どうしてそれが?」


 私はハッと顔を上げ、尋ねる。


「式神と契約者は繋がっているからな。それくらいは分かる」

「そうですか」


 とりあえず、最悪の事態にはまだなっていないようだ。それだけでも、今の私には救いだった。


「明日も引き続き、コンの捜索は行う」


 それだけ言うと、ヒサメは立ち上がり、そのまま自室に行こうとする。その背中に私は声を掛けた。


「明日は、私も街を探してもいいですか?」

「街での捜索は、コマの鳥で十分だ」

「でも、少しでも人手があった方が…」


 言いながら、これは嘘だと自分で思った。私は単にジッとしていたくないだけだ。ただ、漫然とこの屋敷で待っていると、嫌な方へ嫌な方へ考えが引きずられていくから。


 ヒサメは振り返り、冷めた目で私を見下ろす。ややあって、彼は溜息を吐いた。


「好きにしろ。ただし、何かあったらすぐに俺を呼べ」


 それだけ言うと、ヒサメは自室へ戻って行った。



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