第69話 誤解(参)

「おコマさんって、本当に裁縫が上手ですね」


 ヒサメの着物に刺繍をするおコマさんを見て、私は感心して言った。彼女は丁寧に、けれども素早く装飾を施していく。


「あら、そう?ありがとう」


 うふふと、おコマさんは笑う。


「すごく細かな刺繍……」

「慣れれば、そう難しくはないのよ」


 おコマさんはいとも簡単に言うが、私には逆立ちしたってできそうにない。

 つい先日、自分の裁縫の腕が向上したと自画自賛したが、おコマさんに比べればまだまだだ――そう思いながら、私はおコマさんの手元を見た。


 その刺繍は、六角形の複雑な紋様だった。これはヒサメにとって家紋のようなもので、四条の祓い屋を示すトレードマークになっている。ヒサメの着物や小物の多くには、この紋様が入れられてあった。


――不思議なマーク。ちょっと、雪の結晶に似ているかも。


 空から降る雪の結晶は正六角形の美しい形をしている。あれが自然のものだなんて、神秘さを感じてしまうものだ。


「雪か…そろそろ、降りだす季節ですよね」

「そうねぇ。だいぶ、寒くなったもの」


 今日の夕飯には、あったかいけんちん汁でも出そうか。大根、ニンジン、ゴボウ……野菜をたっぷり入れて、具沢山にして。多めに作って余ったら、明日の朝食に回せばいい。

 もしかしたら、今日あたり千景ちかげさんが来るかもしれないし……と考えたところで、彼に最後に会ったときのことを、私はふっと思い出した。


 確か、私がヒサメにくすぐられて、笑い死にそうになったときだった。当時の記憶がよみがえって、げんなりしつつ、私には少し気になることがあった。


――あの時の千景さん。ちょっと様子がおかしかった。いつもの調子なら、夕飯も食べていっただろうに。用事だけすませて、そそくさと帰ってしまって……。


 まぁ、心配するほどのことではないだろう。そう思うのにもかかわらず、そのことが私の中で妙に引っかかっていた。



 千景ちかげは摂州の外れにある森の中の古墳群にいた。

 古墳――つまり、昔の人の墓であるが、ここには朝廷が管理しているような立派なものはない。今はもう人々に忘れ去られたもの。ともすれば、獣の横穴と間違えそうな小さな古墳である。それが百以上点在していた。


 そんな中を千景は歩いている。もちろん、伊達や酔狂でこんなことをしているわけではない。これはれっきとした検非違使庁妖犯罪対策部の仕事である。

 実は、ここらで手配書のアヤカシの目撃情報があったのだ。それは星熊童子一派で、妖術を得意とする紅葉もみじという鬼女だった。千景はその情報の真偽を確かめるべく、こうして一人調査していた。


 曇天の下、葉が落ちかけた木々の中を千景は歩く。もしかしたら、そこらの古墳の横穴に鬼が潜んでいるかもしれず、慎重に足を進めなければならないところだ。

 しかし、千景はどうにも調査に集中しきれず、心ここにあらずといった様子だった。その原因は彼自身がよく分かっている。


「はぁ。アレって、やっぱりことやんなぁ…」


 独り言を呟きつつ、頭の中に思い出されるのは先日、四条氷雨しじょうひさめの屋敷を訪れたときのこと。

 ヒサメがただならぬ様子でハルをどこかへ連れて行ってしまったと思ったら、しばらくして千景は廊下を走るハルとぶつかった。そのときの彼女の格好と言ったら……


 紅潮した頬、涙で潤んだ大きな瞳。着物ははだけ、あらわになった白い肌。

 そんなあられもない姿のハルを目にして、千景は硬直してしまった。

 そして、考える。ヒサメとの間にあったのかを……。

 

「そんなん、考えるまでもないわなぁ。まさか、ヒサメさんが自分の召使いに手を出すなんてなぁ」


 はぁ、ともう一つ溜息を吐く千景。

 後は、が合意の上かそうじゃないかが問題だが、さすがにヒサメも女性を無理やりどうこうするような鬼畜ではないだろう。


「あの人。思いやりはないけど、意外に善悪の基準はしっかりしているしなぁ。ってことは、あの二人は恋仲やったんか……」


 全然気づかなかったと、千景は肩を落とす。

 ハルなんか、他の女性たちと違って、ヒサメには興味がなさそうだったのに。むしろ、冷めた態度だったのに。

「女の人って分からんわぁ」と嘆きつつ、一方でヒサメがハルに手を出すこと自体は、そう不思議ではないかもしれない――と千景は考える。


 千景から見るヒサメは、人間不信の塊のような男である。近づいて来る女性たちに愛想よくふるまっているが、それはあくまで表面的なものだ。優しい言葉を投げかけても本心からではないし、実際には誰にも気を許してはいない。


 だが、ハルのことは何だかんだ言いつつ、信用しているように思えた。

 彼女の作った料理を口にしたり、ヒサメの方から気遣いを見せたり。ハルの短くなった髪の毛を気にして、かつらを買ってやろうかと言い出したときは千景も驚いたものである。


「ヒサメさん。ハルちゃんのことはガキ臭い、好みじゃないって言ってたのに。どの口が言ってんねんっ!」


 千景は腹いせに、その辺に転がっていた小石を蹴っ飛ばす。仕事に集中しなければならないのに、ヒサメとハルのことが頭の中から離れない。

 コレは異常事態だと考え、千景は足を止めた。


 自分でもどうして、二人のことでこんなに心が乱されるのか、千景には分からない。ただ、彼らのことを考えると、胸を掻きむしりたくなるくらい苦しかった。


 ハルについて、千景は「嫁に」と何度か口にしていたが、もちろんソレは冗談だ。ただ、彼女と交流していくうちに、「ちょっと良いなぁ」と思うようにはなっていた。

 本気で好きになるかも……と思ったのは、千景がみっともない愚痴を吐露してしまったとき。ヒサメへの劣等感にまみれた恥ずかしい話を、あっさりとハルは受け入れてくれた。

 負けず嫌いで、諦めが悪いのって良いことだと思いますよ――と、そう言って。


 しかし、それでも。

 失恋で仕事が手に付かなくなるくらい、ハルのことが好きだったかと聞かれれば、千景は首を横に振る。まだ、そこまでハルに執心していないと。

 では、己は何に執心しているのか。

 そう千景が自己分析してみたとき、残る答えは一つしかなかった。


 ヒサメだ。


 ハルを奪っていったのがヒサメだから、自分は苦しいのだと千景は結論付ける。


 祓魔師として、己よりも遥か高みに立っているヒサメ。天才のヒサメ。

 皆から注目され、本人がいとおうが、世間が放っておかないヒサメ。

 そんな彼が、千景が気になっていた女の子まで手に入れてしまった。


 自分じゃ、絶対にヒサメには勝てない。


 その事実を突きつけられたようで、千景はみじめだった。

 おそらく、ヒサメ自身は千景を傷つけるつもりなんてないだろう。そのことが、よりいっそう千景をみじめにさせる。ヒサメにとって、己は取るに足らない人間だと否応なしに自覚させられるからだ。


「――って、やめやめっ!!」


 千景は声を上げ、乱暴に自らの首をブンブン振った。


「暗い、暗すぎるわ。なに、卑屈になってんねん。仕事しよ、仕事っ!」


 自分自身に言い聞かせるようにそう言って、千景は再び歩き出す。

 そのとき、カシャリという不穏な音が森の中に響き渡った。



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