第63話 天狗(弐)
にわかに
左助と右助が各々の錫杖を手に取り、臨戦状態に入る。小鈴ちゃんの顔も強張っていた。
しかし、この館の主である次郎坊さんは平然と……いや、どこか楽しそうに弾んだ目をしている。
「誰か、そいつを止めろっ!!」
「貴様っ、止まれー止まれぇーっ!!」
階下から、天狗の怒鳴り声や悲鳴が聞こえてくる。それから、ドドドッという荒々しい物音が聞こえ――
バンッ!!!
数枚の
「って、あれ?ロウさん!?」
その狼はロウさんの本来の姿である。そして、彼の背中には一人の青年――ヒサメが
ヒサメはロウさんの背からヒラリと舞うように床へ降りる。
「貴様っ!何者だ!?」
「ここが
左助と右助は、声を荒げて
「うちの召使いたちを迎えに来たと言っても、一向に通してもらえなかったものですから」
ヒサメはちらりと私とコンの方に視線をくれる。
「ほら、とっとと帰るぞ」
「次郎坊様にこれだけの無礼を働いておいて、おめおめと帰すと思うか!?」
「はて?こちらは勝手に召使いをこんな所まで連れ出されたのです。無礼はお互い様かと」
涼し気な顔でヒサメが言う。その冷静さが、逆に双子の天狗たちの怒りを煽った。
「貴様っ…!」
一触即発。彼らは今にもヒサメに飛び掛からんばかりの勢いだ。
それを止めたのは、次郎坊さんだった。
「止めいっ!!」
老人のものとは思えない鋭い声が広い室内に響いた。
「まったく、お前たちはすぐにそう熱くなる!人の話を聞かず、お客人らに無礼を働いたこと、もう忘れたのか?」
「し、しかし!お館様…」
「とにかく、お前たちは下がっておれ。さて、お若いの」
そう言って、次郎坊さんはヒサメを見た。
「少し二人で話せるかの?」
*
百畳はあろうかという大広間に、ポツンと二人だけがいた。
次郎坊は皆を下がらせ、人払いすると、ヒサメに向き直った。
しばらく二人は無言のまま睨み合う。次郎坊は真っすぐにこちらを見つめるヒサメの様子を見て、ニィと笑った。
「ほぉ、肝が据わっているな」
次郎坊はわざと妖力を解放し、ヒサメに圧力をかけようとしていた。瑞穂の国の八大天狗に名を連ねる実力者の次郎坊だ。並大抵の者なら逃げ出したくなるような威圧感を覚えるだろう。けれども、目の前のヒサメは全く動じていなかった。
「それでお話とは?」
小憎らしいくらい平然とそう聞いてくる。
こういう人間は久しぶりだ――と思いつつ、次郎坊は話を切り出した。
「先代の神白子の山神、天狐様の忘れ形見の話じゃ」
「……」
ヒサメが眉をわずかにひそめる。
「そう怖い顔をするな。あの
四つの尾を持つ真っ白な毛並みの神々しい狐が次郎坊の瞼に浮かぶ。懐かしさのあまり、彼は自然と笑みをこぼしていた。
「あの絶大な妖力にはまだまだ届かないが、その性質が酷似している。すぐに天狐様のお子だと分かったわい。まさか、天狐様に正当な後継者がいたとは思いもせんかった。そりゃあ、星熊童子どもがあの力を奪えなかったはずだ。して……」
次郎坊はうんうんと一人頷き、それからじぃっとヒサメを見た。全てを見透かしてしまいそうな、冷たく澄み切った視線がヒサメに向けられる。
低い声で次郎坊は尋ねた。
「お前は何を企んでいる?あの
「……」
「小僧、わしを誤魔化せるなどと思うなよ?お前があの
もしもヒサメが、星熊童子らのように力を悪用するつもりならば、多くの生命が奪われることになるだろう。次郎坊はそれを危惧し、見極めようとしていた。
ヒサメが口を開く。
「少なくとも貴方が危惧しているような、大それたことをするつもりはありません。私の目的はとても個人的なものなのです」
「個人的…?それはなんじゃ?」
「申し訳ありませんが、そこまでお話しする義理はないかと」
「ほぉ……」
次郎坊が睨みを利かせるが、ヒサメはそれから眼を逸らさず、真正面から受け止める。
しばらく睨み合いが続いて……
「まぁ、嘘は吐いておらんようだし、いいじゃろう」
ふぅと、次郎坊は息を吐いた。これで嘘でまかせを言っているのなら、相当な役者だと思いながら。
――少なくとも、こやつにはあの
ヒサメの言う『個人的な目的』とやらが本当に危険ではないか――それを確かめるまで、とりあえずは要観察だと次郎坊は結論付ける。
――それにしても、こやつ。見た目に反して、中々豪胆だのう。あの
特に前者は、
そこまで考えて、次郎坊の中でむくりと興味が沸き起こっていた。
ヒサメような男が、そうまでして果たしたい『個人的な目的』とは何なのか――と。
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