第58話 少女(弐)
「はい……
途切れ途切れにそう言うと、少女――小鈴は辺りを見回した。
ここは大通りから一本入った路地の袋小路。人通りはほとんどない。
おそらく、それを確認した後、小鈴ちゃんはするりと羽織を脱いだ。私は目を見張る。
羽織の下の真っ白い着物もかなり上等なものだったが、それに驚いたのではない。少女の背中に小さな黒い翼が生えていたのだ。
「本当に…
私が驚いていると、小鈴ちゃんはこくりと頷いて上着を羽織り直した。それから何かを話そうとして、ふらりとその上体が揺れる。倒れる彼女を私は慌てて抱きとめた。
「やっぱり、どこか具合が悪いの?」
私はぐったりしている小鈴ちゃんの額に手を乗せる。熱はそう高くないようだが……。
すると、コンが声を上げた。
「ねぇ、ハル。その子の首のところ、なにかある」
「えっ?首?」
コンに指摘されて、小鈴ちゃんの首を見る。そこに、文字が書かれていた。
「これ……呪符に使う文字だ」
私たちが普段使う仮名や漢字とは別の、意味不明な記号のように見える文字。それは、私が呪符を作製するときに使用している文字に似ていた。
確か、
「えっと…なんて書いているんだ?」
私の
――小鈴ちゃんの妖力をこの呪いが吸い取っているの?だから、彼女の体調が悪い……?
「ハル。その文字、ヤなかんじがする。消せないの?」
「消すと言っても……あっ」
私は腰に下げた
栓を抜き、私は紙魚たちを解放する。銀色に輝く小さな魚たちが宙に躍り出た。
その数は二十六匹。この紙魚たちは最近、なんだか数が増えている気がする。
式神の契約時、紙魚たちの数は二十くらいだったような……って、今はそれどころじゃない。
私は紙魚たちにお願いした。
「小鈴ちゃんの首の所の文字、食べてもらえる?」
紙魚たちはその場で一回転すると、小鈴ちゃんの首元へ寄って行く。たくさんの魚たちに寄って来られて、小鈴ちゃんはびくりと肩を震わせるが、「だいじょうぶだよ」とコンが優しく
紙魚たちは小鈴ちゃんの首の文字をついばむ。見る見るうちに文字は消えていった。
「えっ?えっ……嘘……」
小鈴ちゃんは目を見開く。
「信じられない。体が嘘みたいに軽い。呪いを解いたのですか?」
「私の力ではなく、
どうやら、小鈴ちゃんを
この紙魚たちには、呪いの文字を食べることで、その呪いそのものを無効化することができるらしい。私がその能力を知ったのは、あの人喰い鬼の一件だ。
あのとき、私は鬼の隠れ家に続く道を見つけた。
事件の後、ヒサメが言う所によると、あの場所に至る道には『隠蔽の術』というのがかけられ、外から発見されにくくなっていたらしい。
その隠蔽の術のために刻まれた呪文字を、紙魚たちが食べてしまったことで、隠されていた道が露わになったということだった。
――妖力の気配にも敏感だし、紙魚たちって本当に有能だ!
ヒサメに無理やり契約させられたときは腹が立ったが、今ではこの子たちを式神にして心底良かったと思えた。
「何から何まで、本当にありがとうございました」
小鈴ちゃんは深々と頭を下げた。
先ほどの体調の悪さが嘘のように、その表情からは険が消えて、とても晴れやかだ。彼女が微笑むと、まるで花が
「改めまして、
「天狗の孫と言うことは……つまり、小鈴ちゃんも天狗?」
「はい」
にっこりと小鈴ちゃんは笑うが、私の中での天狗のイメージと彼女はかけ離れていた。赤ら顔でもないし、異様に長い鼻もない。
見た目はお人形のように可愛らしい、人間の女の子だ。ただ、背中に翼が生えている点は天狗との類似点か。
――コンとかおコマさんとかみたいに、この子も人間に化けているのかな?
そんな疑問が頭をよぎりつつ、私にはもっと気になることがあった。
「
小鈴ちゃんは「それは、その…」と言いにくそうに身じろぎした。
「実は私、人間の社会に興味があるんです。だから、ときどきお爺さまやお付きの者たちに黙って人の街に行くことがあって……」
小鈴ちゃんはお忍びで人間の街を探索するのが趣味のようだ。今回もそうだったのだろう。
それにしても、保護者の目を盗んで出掛けるとは、可憐で大人しそうな見た目に反して、お
「いつもは何の問題もないんです。今回は運悪く、人間に私が
小鈴ちゃんが言うには、道にせり出していた木の枝に羽織が引っかかってしまったのが事の発端らしい。するりと羽織が脱げてしまって、彼女の背中の翼が
「運悪く、見つかったのが『狩り人』でして」
「狩り人?
聞き覚えのない単語を耳にして、私は小鈴ちゃんに質問する。
「『狩り人』は
「そんな人たちがいるんだ……」
何とも酷い話ではあるが、野良の
私はちらりとコンを見る。
彼と二人暮らしをしていたとき、私が注意していたのは祓魔師だけだったが、狩り人とかいう者に狙われる危険性もあったわけだ。
もっとも、結局はヒサメに目を付けられて連れ去られたわけだけれども……。
「私は狩り人に捕まってしまいました。そして、逃げられぬように妙な呪いを刻まれたのです。あれのせいで体調が思わしくなく、身体を動かすのも一苦労で……」
呪いというのは、先ほどまで小鈴ちゃんの首に刻まれていたものに他ならない。
そんな呪いに
「何とか逃げ出したは良いものの、追手がすぐやって来てしまって。あわや見つかりそうになったところで、ハル様とコン様が助けて下さったのです」
「そっか。力になれて良かったよ。ね、コン」
「うん!」
一般的に、天狗は悪いイメージも、良いイメージも両方ある
「ところで、小鈴ちゃん。これからどうするの?お家まで一人で帰れるの?」
私は彼女に尋ねた。
呪いが解けたとはいえ、依然として狩り人は小鈴ちゃんを狙っているだろう。彼女を一人で帰らせるのは心配だった。
聡い小鈴ちゃんは、私の言わんとしている意図に気付いたようだ。彼女はにっこりと笑う。
「大丈夫です。実は都には、我々天狗が懇意にしているお店がありまして。そこまで行けば、迎えの者が来てくれるかと」
「へぇ、そうなんだ。それじゃあ、そこまで送ろうか?」
「えっ」
小鈴ちゃんが目を丸くする。それから「これ以上ご迷惑をかけるわけには……」と遠慮がちに呟いた。
「でも、私たちとしても小鈴ちゃんを一人にするのは心配だし。乗りかかった船だし」
「うん!おくっていくよ!!」
私とコンがそう言うと、小鈴ちゃんは私たちの方をジッと見てから、また深々と頭を下げる。
「では、お言葉に甘えて。本当にありがとうございます」
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