第56話 栄吉
季節が秋から冬に変わろうとし、風が冷たくなってきた頃合い。
この日、私はコンと一緒に夕飯の買い物をしていた。
コンの肩にはちょこんと可愛らしい小鳥が乗っている。スズメよりも小さく、緑がかった羽を持つその鳥はメジロだ。目の周りが白く抜けていて、名前の由来になっているらしい。
このメジロはおコマさんの友達である。コンがヒサメから離れるときは、おコマさんのお友達が付いて来るようになっていた。
悪い言い方をすれば『見張り役』ということだが、人喰い鬼の一件があるため文句も言えない。あの事件では、コンが暴走した結果、危うく命を落とすところだった。
コンもそのことを分かっているのか、おコマさんの小鳥がついて回っても文句一つ言わなかった。
とりあえず、私たちは魚河岸に行こうとした――と、
「もしかして、ハルさん?」
後ろから声がかかった。
そこに小綺麗な格好をした優男風の青年が立っている――料亭『
お久しぶりです、と私は頭を下げた。
「手拭いを被っているから、ちょっと誰か分からなかったよ……って、え?」
栄吉さんがまじまじと私を見つめる。どうやら、私の髪が短いことに気付いたようだ。
「ハルさん、その髪はいったい……」
「ええっと」
さて、どう説明したものか。私は頭を悩ませた。
この髪は、人喰い鬼の一件で短く切ってしまったのだが、その
というのも、私が祓い屋で召使いをしていることを栄吉さんには話していない。
祓い屋というのは、普通の奉公先ではないため、どうしてわざわざ、そこの召使いになったのかを聞かれるのが、面倒だったのだ。
「自分で切るわけがないよね?いったい、誰にやられたんだい?」
実は自分で切ったんです――なんて言い出しにくいくらいに、栄吉さんは真剣な顔をしている。
「まさか。君が仕えているという屋敷の誰かにやられたんじゃ……もしかして、いじめに遭っているのかい?」
「いえ、いえ。そういうことはないです」
主人や他の奉公人からいじめに遭うというのは、よく聞く話だ。栄吉さんはそれを心配してくれているのだろう。
あいかわらず、良い人である。けれども今は、その人の好さが少々面倒くさい。
――どうにか、上手く説明できないものか。
すると、隣から声が上がった。
「ボクが悪いの」
しょげかえった顔でコンがそう言うものだから、私は慌てた。
「コン、それはもういいから」
「えっと、その子は?」
そう言えば、栄吉さんとコンは初対面だ。不思議そうにする彼に、私は答える。
「同じ屋敷に仕えている子なんですが…」
「そうなんだ。それで、君が悪いってどういうこと?まさか、君がハルさんの髪を切ったの?」
栄吉さんは優しい口調で尋ねるが、その問いにはコンを咎めるような響きがあったので、私は釈明する。
「いいえ、違います!コンがやったわけではないです。その……髪は私が自分で切ったので」
「君が自分で?どうして、そんなことを?」
栄吉さんが
「鬼とたたかったとき。ボクを助けるために、ハルが自分でかみを切ったんだ」
コンがそう答えた。栄吉さんはますます訳が分からないという表情をする。
「鬼?戦った?いったい、何の話をしているんだい?」
ここまできたら、ある程度の事情を説明しなければならないだろう。じゃないと、余計に話がややこしくなり、誤解が生まれるだけだ。
それで私は白状した。
「実は、今私が仕えている主人はお祓い屋さんをしていまして」
「ええっ!?お祓い屋だって?」
「その
「なっ……」
鬼と戦ったことの詳細は話さなかったが、今の私の話だけでも、栄吉さんには衝撃的らしかった。彼はポカンと口を開け、唖然としている。
ややあって、ハッとしたように「ちょっと待って」と口にした。
「お祓い屋さんで働いていることは百歩譲って良いとして、そこの主人は君みたいな女の子にまで
「いいえ。普段は屋敷の家事や雑用だけです。私が
「ほとんど……ということは、少しはあるということだよね」
いつも穏やかな栄吉さんは、今まで見たことないくらい怖い顔をしていた。
「差し出がましいことを言うようだけれど、そんな危険な職場はとっとと止めた方がいい。祓い屋なんて……君みたいな普通の女の子が命を落としかねないよ」
まぁ、それはごもっとも。今回の人喰い鬼の一件は、私も死を覚悟したものだ。
「君が屋敷の主人に良くしてもらっていると聞いていたから、無理には誘わなかったけれども。そんな危険な目に合っているなら話は別だ。ねぇ、今からでも
――本当に親切な人だ。私なんて、不義理を果たした嫁の妹だというのに…。
栄吉さんの優しさに、私は感心した。
ただ、彼の心遣いは嬉しいものの、コンのことがあるため、私は四条の屋敷を出るわけにはいかない。
「ご心配してくださり、ありがとうございます。でも、私は今のお屋敷でこれからも働こうと思います」
「どうして……いや」
栄吉さんはもっと何か言いた気な表情をしていたが、「人にはそれぞれ事情があるよね」と頷いてくれた。理解があってとても助かる。
「でも、もし今の仕事に耐えられなくなったら、いつでも
「ありがとうございます」
最後までこちらを気に掛けてくれて、栄吉さんは去って行った。深々とお辞儀をしつつ、私はその背中を見送る。
そのとき、ギュッとコンが私の手を握ってきた。
「コン?」
「ハルはボクのせいで、ご主人さまのところにいるんだよね」
「えっ?」
「ボクはハルにめいわくをかけてばっかりだ。かみもボクのせいで……ごめんなさい」
「ちょっと、待って。待ちなさい、コン」
私はその場にしゃがみこみ、目線をコンに合わせた。よくよく彼の顔を見ると、紺色の瞳が潤んでいる。
「よく聞いて。ヒサメ様のお屋敷にいるのは、コンのせいじゃない。私がコンと一緒に居たくて、そうしているの。そこを間違わないで」
「……うん」
「この前の鬼のことも、コンが十分反省してくれているのは知っているから。もう謝らなくていいよ。髪の方も、私はあまり気にしてないし」
「うん」
コンはホッとしたように表情を緩めたが、それでもまだ不安そうだった。彼はおずおずと聞いてくる。
「……ハルはさっきの人のところには行かないの?」
「さっきの人って……栄吉さん?行かないよ。断っているのを聞いたでしょう?」
「うん。でも、ハルはご主人さまよりも、さっきの人の方がいいのかな……って」
ヒサメと栄吉さん。そりゃ、比べるまでもなく、人柄は栄吉さんの方が良いだろう。
栄吉さんは
「……」
今まで、ヒサメがやった色々なことが思い出される。
私は遠い目になった。
「ご主人さまはわるい人じゃないよ?」
「そうだね……根はそう悪い人じゃない……とは思うけれど…」
何だかんだと言って、コンのことは考えてくれているようだし、がめついところはあるものの仕事はきちんとやる。傲慢そうに見えて、自分に非があるときはそれを認め、謝罪もすることもできる。
ヒサメのあの性格を知りつつも、コンやおコマさん、ロウさん、そして千景さんなんかは彼を慕っているから、やはりそう悪い人間じゃないのだろう。
ただ、他人への配慮というものが圧倒的に欠けているのは確かだ。
あの人間不信な性格が、そうさせているのかもしれない。あれだけ何でもかんでも疑ってかかっていたら、他人を思いやる余裕もないのだろう。
――だから、
先日の検非違使庁でのことを思い出す。
いったい、どういう風の吹き回しか。心境の変化でもあったのだろうか。
そんなことを考えていたら、すぐそこの路地裏が何やら騒がしいことに私は気付いた。
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