第55話 負けん気
お茶を飲もうという話になり、私は席を立った。
第一課の奥には給湯室のような部屋があり、七輪が使えたので、鉄瓶で茶を淹れることにする。道具がどこにあるか説明するため、千景さんも一緒に居てくれた。
おおよその勝手が分かり、「あとは私一人でも大丈夫ですよ」と千景さんに言う。
……と、おもむろに彼はこんなことを口にした。
「ハルちゃんは、ああいうの腹立たんの?」
「え?」
ああいうってどういうだ?
千景さんが何を指しているのか分からないでいると、彼はくすりと笑った。
「さっきの西園寺お嬢様らのことやよ」
「あっ」
私はポンと手を打つ。
「不快かそうじゃないかと聞かれたら、そりゃ不快ですよ」
「そうやんなぁ。ああいう
「やり返したい……?」
私は徳子たちに仕返しをする光景を思い描いて……首を左右に振った。
「別に。そこまでは…」
「へぇ。優しいなぁ」
「いえ。優しいとか、そういうのではなく……そこまで熱量がないと言いますか……」
「んん?」
千景さんは「よく分からない」という顔をする。
「きっと、あの人たちは嫌がらせをすることで、私を傷つけたかっただけなんです」
「うん、まぁ…そやな」
「だからこそ、こちらが仕返しをしたいと思うくらいに傷付く方が
それは前世からの私のスタンスだった。
「ふぅん。他人に左右されへんのか。なんか超然としていて格好いいなぁ」
「そうでもないです。元々、私って対抗意識というものが希薄だから、こういう考えになるのかもしれません」
「対抗意識?」
「誰かに何が何でも勝ちたいとか、そういう気持ちですね。負けん気とも言うのかな」
この性格については、前世でも苦言を呈されたことがあった。それは中学校や高校の先生からだ。
『向上心がないわけではないが、必死さが足りない。他人に勝ちたいという気持ちがあれば、もっと成績も伸びるのに』
……なんて、言われていた。
「そっか。その点は俺、ハルちゃんと正反対かも」
「そうなんですか?」
「うん。俺、こう見えても、かなり負けず嫌いやねん」
千景さんは自分で自分を指さして、へらりと笑う。
「俺なぁ、河州の生まれやねんけれど。家が貧乏でなぁ。
軽い口調でそう言うが、千景さんはずいぶんと苦労してきたようだ。
私はお茶を淹れる準備をしつつ、彼の話に耳を傾けた。
「俺の住んでいた町には、祓魔師を養成する塾みたいなのがあってん。もちろん、授業料がバカ高くて、俺には払えんかった。でも、俺自身は祓い屋になったら貧乏から脱出できるかもって思って…」
「どうされたんですか?」
「どうしたと思う?」
悪戯っぽくニヤリとする千景さん。私は少し考えてから「分からない」と首を左右に振った。
「こっそり塾敷地内に忍び込んでな。授業やっている教室の外で、壁に耳当てて授業内容を盗み聞きしててん」
「ええっ!?」
さすがに私はびっくりして声を上げた。
「そんなので授業の内容を理解できたんですか?」
「う~ん。教師の言うことの、半分くらいしか聞こえなかったからなぁ。でも、それを元に自分で勉強した。今思えば、教科書どころか、紙も筆もなかったのに、ようやったと思う」
「それじゃあ、ほとんど独学で祓魔師について勉強したんですか?」
「途中までは」
何ともすごい話だ。このエピソードを聞いただけで、千景さんの非凡さが分かる。
「そうやって自分ひとりで学んでいる俺の存在に、ある先生が気付いてな。その人は俺に『才能がある』って言うてくれて。目を掛けてくれてん」
その先生は、自腹を切って千景さんを塾に入れてくれたそうだ。
「千景さんの恩人なんですね」
「うん。感謝しとる。今でも、手紙でやり取りしてるわ」
そうして、正式に授業を受けられるようになった千景さんは、さらに勉学に励んだ。文字通り「机にかじりついて」勉強したらしい。
元からの才能と努力の結果、千景さんは瞬く間に躍進した。すぐに成績で塾のトップになり、神童とまで周りから称されたという。
「それで、お前なら都でも通用する。国一番の祓魔師になれるってのせられて、
「けれど…?」
「世の中は広い。上には上がおるって、すぐに分からされたわ」
「それって……」
いったい、誰のことか。なんとなく分かって、私は第一課の仕事場の方を振り返った。
「そぉや。ヒサメさんや」
ヒサメは天才祓魔師として名を馳せている。彼に仕えて数か月、その腕が確かなものだと知ったが、素人の私は『彼がどれくらいすごいのか』をイマイチ把握していなかった。
「あの人、そんなにすごいんですか?」
「うん、すごいで。俺があと何年修行しても、その背中に追いつかんと思うくらい」
「そんなに?」
千景さんがここまで言うくらいなのだから、祓魔師としてのヒサメは傑出しているのだろう。
世間での評判は間違っていなかったらしい。
「それで俺は二番手に甘んじて、『ヒサメさんには敵わんわ~』ってヘラヘラしてる。みみっちい自尊心で、そんなん気にしてないって装いながらな」
「……」
「でも、その裏で彼に勝ちたくて、コソコソ修行している俺がいるんや。敵わんって分かっているのに、諦められへん。俺も自分は自分、
そう言って、千景さんは自嘲気味な笑みを浮かべた。
「あはは、負けず嫌いな自分が嫌になる。かっこ悪いよなぁ。ってか俺、なんで年下の女の子にこんなん愚痴ってんねんやろ」
彼の言葉に、私は「えっ?かっこ悪くはないでしょう」とキョトンとする。
「慰めてくれんでもいいよ」
「慰めじゃないですよ。千景さんが負けず嫌いだったからこそ、検非違使庁の祓魔師になれたんでしょう?」
「えっ、えっと。まぁ……そやな」
千景さんの表情から、先程までの軽薄な笑みが引っ込む。なんだか、少し動揺しているみたいだ。
「でも、未練たらたらで諦めらきれんのとか……かっこ悪ない?」
「千景さんは、目標に向かって努力し続ける人をかっこ悪いと思うんですか?」
「……」
不思議に思ってそう尋ねると、千景さんは押し黙った。
「負けず嫌いで、諦めが悪いのって良いことだと思いますよ」
少なくとも、私にはない美徳である。そんな風に努力できる千景さんを素直にすごいと思えた。
「あ、うん。えっと……あ、ありがとう」
妙におろおろしながら千景さんが言う。
そのとき、お湯が沸き、チンと鉄瓶が音を立てた。
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