第44話 記憶
風呂敷には、大きなウナギの蒲焼が折詰に五枚も入っていた。加えて、ウナギのタレ入りの小さな
今夜の夕食は、このウナギの蒲焼に決まりだ……が、ここで私は一つ、厄介なことを思い出した。
ヒサメである。
なにせ、異様に警戒心の強い男だ。どこぞの誰が作ったか分からないウナギ料理なんて食べられるかと、手を付けないかもしれない。
「これは……他にも食事を用意しなければいけないパターンかな?」
せっかくの美味しいウナギだ。どうせなら、ヒサメにも食べて欲しいのだけれども……そう思いながら、私は他のおかずも用意した。
*
膳にドンッとのっているのは立派なウナギの蒲焼。
副菜に青菜のおひたしと、根菜と厚揚げの煮物。おすまし。
ウナギは七輪であぶって、温め直した。おかげで、良い匂いが茶の間にたちこめる。
「なにコレ、なにコレ!」
「とても美味しそうですね」
「……ごくっ」
ウナギの蒲焼に対して、興奮するコン、微笑むおコマさん、唾を飲み込むロウさん。
うん。ここまでは、予想通り。ここまでは、問題ない。
問題は……。
「ヒサメ様。こちらのウナギ……実は出来合いのものなんです。ひょんなことから、知り合いからいただいて……」
「……なんだと?」
ギロリとヒサメがこちらを睨む。やはり、ウナギに対して警戒心マックスか。
こうなることは想定済みだったため、私はこう付け加えた。
「ウナギがお気に召さなかった場合、すぐに他の魚を用意できますが……」
「なら、そうしろ」
「……かしこまりました」
やはり、ダメだったか。
私は内心嘆息しつつ、
「
「とても美味しそうですよ、ヒサメ坊ちゃん」
続いて、パクリとコンがウナギの蒲焼を口に含む。
「おいしー!ご主人さま、コレおいしーよ」
ウナギの蒲焼を薦める三人。それでも、ヒサメはムッとした顔をしている。
いや……、ムッとというよりも納得がいかないような?
「どうして、わざわざ俺にソレを食べさせたがるんだ?食べたいのなら、お前たちだけで食べればいいじゃないか」
ヒサメは憮然としているが、どうして食べさせたいのか――そんなの、答えはシンプルで……。
「美味しいものって、皆で一緒に分かち合いたいじゃないですか」
ごくごく一般的な感想だと思うのだが、私の答えを聞いて、ヒサメは戸惑ったように押し黙った。
なにか、マズいことを言ってしまったのだろうか?
とりあえず、ヒサメのウナギの蒲焼は下げた方がいいだろう。そう判断し、私は彼の膳に手を伸ばそうとする……と?
「あっ」
ヒサメがおもむろにウナギに箸をつけた。箸で身を切り、口へ運ぶ。
それからポツリと呟いた。
「まぁまぁだな」
*
その日の夜、私は夢を見た。
夢の中で、コレが夢だとすぐに気付く。
だって、コレは私の前世での記憶だからだ。確か、中学三年生くらいの頃のこと。
私の前には、幼稚園児くらいの小さな子供がいた。
人形のように整った顔をしているが、ひどく痩せている子だ。
名前は、ユキちゃん。
この子は祖母がどこからか預かってきた子で、その詳細を祖母は教えてくれなかったが、なんとなく家庭環境に問題があったのだろうと察せられた。
私と祖母、ユキちゃんの三人での暮らしは一年ほど続いた。
ユキちゃんは少し引っ込み思案で、人見知りする子だったが、しだいに私とも仲良くしてくれるようになった。
その様子がまた可愛くて――私はユキちゃんに何かと世話を焼いていた。
夢の中の私は手に、長方形の缶を持っている。可愛らしい猫の絵が描かれたクッキー缶は、祖母の友人が私へのお土産にと持ってきてくれたものだった。
「ここのクッキー、すごく美味しいんだよ。ユキちゃん、一緒に食べよう」
「くっきー?」
物珍し気な顔のユキちゃんの前で、私は缶の蓋を開けた。
四角いもの、丸いもの、長細いもの。チョコレート味、いちご味、抹茶味。真ん中に赤いジャムが入ったもの、サクサクのパイ生地のもの。
さまざまなクッキーを見て、ユキちゃんは目を輝かせた。しかし、すぐにハッとして私を伺う。
「でも、これ…
子供らしからぬ遠慮を見せるユキちゃんに、私は笑った。
「美味しいものは皆で食べたいでしょう?私はコレをユキちゃんと一緒に食べたいんだよ」
「……うんっ!」
そのときのユキちゃんのあふれんばかりの笑顔は、とても眩しかった。
先ほどまでは居間にいたはずなのに、いつの間にか私は家の門の前に立っていた。
周囲の空気が変わっていて、あれから長い時間が経過したことが分かる。
私の目の前には祖母と……泣きじゃくるユキちゃん。
「ずっと、ここにいたい」
そう訴えるユキちゃんだが、祖母が静かに首を横に振る。
ユキちゃんには帰らなければいけない家があるそうだ。
不意に私の目からも涙があふれた。
年上の私がわんわん泣くわけにはいかないと、必死に涙を耐えるが、私だってユキちゃんと離れたくない。ほんの一年間だったが、三人での生活はとても楽しいものだった。少なくともこの一年、ユキちゃんは私の家族だったのだ。
そのとき、私は手の中に何かを握りしめていることに気付いた。
手を開くと、そこには小さな赤いお守り。すぐに素人の縫製と分かるような代物だ。それもそのはずで、このお守りは私の手作りしたものだった。
私は袖で涙をぬぐうと、お守りをユキちゃんに手渡す。
「ユキちゃん、元気でね」
心からそう思い、口にした。
ユキちゃんのこれからの人生が明るく、楽しいものになるようにと切に願う。
私からお守りを受け取ると、ユキちゃんは涙にぬれた顔で、ジッとこちらを見上げてきた。
「詩子さん。また、会えるよね?」
「うん。きっと、会えるよ」
結局、その約束は叶わなかった。
約束を果たす前に何らかの理由で私は死んでしまい、こうして異世界に転生してしまったからだ。もう二度と、ユキちゃんと会うことはないだろう。
ユキちゃんは、あれからどうなったのだろうか。幸せになれたのだろうか。
そんなことを考えているうちに、思考があやふやになっていく。
そうして私は夢のない、深い眠りに落ちていった。
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