第43話 罪滅ぼし(弐)

「このお店はウナギの焼き物がとても美味しいと伺いました。それを使って、新商品を出してはいかがでしょうか?」


 いきなり私がそんなことを口に出したものだから、栄吉さんも卯庵の主人と女将も目を丸くしていた。

 三人の中で、最初に口を開いたのは卯庵の主人だ。「ウナギで新商品…?」と彼は疑わしそうに言った。


「確かにウナギは、元は下魚だったのが、近年人気が出てきた魚だ。だが、近頃ではそう珍しくもない。卯庵うち以外にもウナギを出す店は都にたくさんある」


 素人の小娘が商売に簡単に口を挟むものではない――とまでは卯庵の主人は言わなかったが、口ぶりから、そう思っているのがありありと分かった。

 もありなん。こちらとしても、自分の提案が簡単に受け入れられるとは思っていないので、私は気にせず話を続ける。


「はい。ですが、大和宮ではウナギを素焼きしたものを塩か、わさび醤油。または、味噌で食すると聞いております」

「ああ、その通りだ」

「別の味付けをしてみたら、いかがでしょうか?」

「別の味付け?」

「はい。ウナギを焼くときに、甘辛い醤油タレをつけて焼くんです。ウナギのふんわり柔らかな身から染み出す旨味は、きっと甘辛いタレに合うと思うんです」

「……ふむ」


 卯庵の主人は思案顔をする。

 気が付けば、栄吉さんも女将も興味深そうにこちらに耳を傾けていた。


「加えて、ウナギをタレにつけながら炭火で焼けば良い香りがするはずです。ウナギの脂と醤油タレが混ざり合ったものが炭火の上に落ちるんですから。この店は朱雀大路から一本路地裏へ入ったところにありますが、きっと大通りの方まで良い匂いが届くと思うんです」

「なるほど。香りで客を釣るのか」

「それと……」

「まだ、あるのか?」


 私はコクリと頷く。


「卯庵は老舗の高級料亭です。格式がある分、新規のお客さんには敷居が高い。ウナギの匂いで興味を持ってもらえても、店の中に入ることを躊躇ためらうお客さんは多いかと」

「確かに…な。だからと言って、居酒屋や一膳飯屋のようにするわけにはいくまい。これまで卯庵が築き上げてきた歴史がある」

「もちろんです。そこで、もう一つご提案なのですが、ウナギをお弁当として売るのはどうでしょう?」

「なに?弁当?」

「はい。タレで焼いたウナギをご飯にのせて、それをお弁当として売り出すんです。ウナギの旨味と甘辛いタレが染みたご飯はきっと美味しいですよ。価格帯は少し抑えて、新規のお客さんが手を出しやすくするんです」

「ふむ。まずは、弁当で客に卯庵うあんの味を知ってもらって、その後店で食べてもらうように誘導する……というわけか」


 卯庵の主人は頭が切れるようで、私の言いたいことをすぐに理解してくれた。彼は黙って考え込む。そこに栄吉さんと女将が声を掛けた。


「父さん。ハルさんの言っていることは筋が通っていると思う。試してみても良いんじゃないだろうか?新規のお客さんを呼び込み、また店が賑わえば、お得意さんから失ってしまった信用も取り戻せるかもしれない」

「あなた、私も賛成です。このまま手をこまねいていたら、卯庵うちは危うくなるばかり。いずれにせよ、行動は起こさなければなりません」


 しばらくの間、卯庵の主人は考え込んでいた様子だったが、突然顔を上げると、彼はこう声を上げた。


「板長を呼んできてくれ」



 私は板場に招き入れられ、ウナギの新商品開発に協力した。

 と言っても、ど素人の私に協力できることと言えば、ウナギにかけるタレについて助言することくらいだ。

 前世で、鶏肉をウナギに見立てて蒲焼を作ったことがあったが、その経験が役に立った。


「私の想像するのは、こういう味です」


 たまり醬油、酒、みりんと砂糖で作ったタレを、卯庵の主人や料理人たちに食してもらう。彼らは慎重にソレを口に含み、吟味した。


「確かに…このタレはウナギに合うかもしれません」


 板長は言うなり、実際に試してみようとウナギをさばき始めた。

 その仕事ぶりはさすがプロ。見事な包丁さばきで、手早く開いていく。ちなみに、卯庵では前世でいうところの関西風、腹開きでウナギをおろすようだ。


 開いたウナギを串に打ち、じっくりと炭火で焼いていく。途中、何度か私が作ったタレにウナギをくぐらせた。

 予想通り、ウナギの脂と醤油タレが炭火の上に落ちて、香ばしい何とも言えない良い匂いがたちこめる。こんな状況だというのに、私のお腹は鳴りそうになった。


 そして、タレをしみこませたご飯の上にウナギを乗せれば完成である。

 それを皆で実食した。


「うわぁ」


 自然と、私の口から感嘆の言葉が漏れる。

 文句なしに美味しい。前世で食べたウナギよりも脂肪分は控えめだが、逆に言えばくどくない。噛めば噛むほど、ウナギの旨味がじゅんわり舌に溢れてくる。

 そして、何より。甘辛い醤油タレはウナギによく合う!


――私は白焼きよりも、こちらの方が美味しいと思うんだけれど……?


 ちらりと、皆の様子を伺う私。

 栄吉さんも、卯庵の主人も、女将も、板長も神妙な顔で黙っていた。


――この反応は……やっぱりダメだった?


 あれだけ大口を叩いてプレゼンテーションしたが、しょせんは素人の思い付き。浅知恵。現実はそう上手くいかないのだろう。

 桜子のしでかしたことへの罪滅ぼしがしたかったが、私では力不足だったようだ。


 そう思っていると……


「これは……すごいっ!父さん!すぐに、これを商品にしようっ!」


 興奮したように、栄吉さんが言った。



『新商品 うな重弁当』


 全身全霊をこめて、私は看板に大きくその字を書いた。

 私の書く文字に神気が宿ると言うのなら、今まさにその効果を発揮してくれっ――そんな思いで一字一字書いていった。


 うな重弁当と銘打った新商品。

 あれから卯庵の皆さんが、さらにウナギに合うよう醤油タレをカスタマイズしていき、相当美味しいものに仕上がった。

 私の書いた看板も掲げ、盤を持して売り出した結果はというと……




「ハルさん!すごい評判ですよっ!」


 その日、私が卯庵を訪れると、満面の笑みで栄吉さんが迎えてくれた。


 例のうな重弁当だが、売り出してたった数日で評判になり、連日行列、完売――という事態になっていると言う。

 期待通り、うな重弁当の味を気に入ってくれた新規客の中には、店内で食事をしてくれる人もいるらしい。お弁当効果で、徐々に卯庵への客足は回復しつつあった。


「嬉しいことに、常連さんも何人か戻って来てくれて」

「それは良かったですね」


 私はホッと胸を撫でおろした。

 これで桜子の件の罪滅ぼしはいくらかできただろうか。


 すると、栄吉さんが目を細めてこちらを見つめていることに気付いた。


「君はすごいなぁ。ウナギの新商品も、それの売り出し方も。とても十代の女の子が思い付いたとは思えないよ」

「いやぁ、それは偶然で……」


 私は目を泳がせる。こんな風に素直に褒められると、少々バツが悪かった。

 なにせ、この商品は前世で言うところのウナギの蒲焼。そして、うな重もしくはうな丼を弁当として販売するのは、現代日本では珍しくも何ともないのだから。

 つまり、私のオリジナリティーなんて微塵もない。前世の記憶があったからこその産物だった。


 とは言うものの、ソレを一から説明するというわけにはいかない。

 そういうわけで、私は曖昧に笑うしかなかった。


「偶然でもすごいものはすごいさ。ねぇ、ハルさんは卯庵うちで働く気はない?君みたいな人がいたら、僕も父や母も助かるのだけれど……」

「そう言ってもらえて嬉しいのですが……」


 あのヒサメの下で働くか、この料亭で働くか。

 主の人となりや安全性の面から言えば、絶対後者を選ぶべきだろう。


 しかし、私の答えは決まっていた。

 ヒサメの下にはコンがいる。

 コンはこの世界で、唯一の私のだ。かけがえのないもの。コンを放って、あの屋敷を離れることはできない。


「すみません。私は今の屋敷で働きたいと思います」


 そう言うと、栄吉さんはがっかりしたような顔をした。けれども、すぐに優しく微笑む。


「今のお屋敷のご主人に良くしてもらっているんだね?」

「……はい」


 一瞬、ヒサメの顔が脳裏をよぎって「アレはとんでもないヤツなんです」と口から出そうになったが、なんとか堪えた。


「ハルさんが幸せに暮らしているなら、それで良いか……あ、そうだ!」


 ポンと栄吉さんは手のひらを打つと「少し待っていて」と店の中に入って行く。やがて戻って来たとき、彼は手に風呂敷に包まれた何かを抱えていた。

 栄吉さんはそれを私に手渡す。


「えっと、これはもしかして…」


 持ってみると、風呂敷はほのかに温かい。


うちのウナギ。良かったら、お屋敷の人たちと一緒に食べて」

「良いんですか?」

「ああ。お屋敷のご主人にもよろしく」

「ありがとうございます!」


 私は素直に、栄吉さんの好意に甘えることにした。実はコンにも、卯庵のウナギを食べさせてあげたかったのだ。

 それにしても栄吉さんは、なんて良い人なんだ!彼なら良い夫だっただろうに、こんな人を裏切るなんて……桜子はどういう神経をしているのか。これ以上の好人物なんて、中々見つからないぞ――と思いつつ、私は帰宅した。



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