第42話 罪滅ぼし(壱)

 その店は、都のメインストリート。朱雀大路から一本路地裏へ進んだ場所にあった。

 老舗料亭『卯庵うあん』。

 店構えは立派で、さすが高級料亭の雰囲気を醸し出している。


 その店の様子を、私は少し離れた場所から眺めていた。


 時刻はちょうど昼時。

 だが、店を訪れる客はなく、ひっそりと静まり返っている。


――いや、高級料亭だから行列ができるようなもんじゃないだろうけれど!


 それでも昼飯時にもかかわらず、客が誰一人来ないというのは不安を煽られるものだ。

 私は千景さんとの会話を思い出した。

 店に食中毒を引き起こした上に、店の料理人と不倫し駆け落ちしてしまった女性のこと。


 それがもしかしたら、異母姉の桜子かもしれないと分かり、私は気が気ではなかった。

 万が一、異母姉のせいでこの料亭が倒産してしまったら後味が悪すぎるっ!!だから、店の実情を知りたいのだが、どうすれば……と、悶々もんもんとしていたところ――


「あれ?君はどこかで……」


 後ろから声を掛けられた。


 驚いて、振り返るとそこに『卯庵』の若旦那栄吉さんが立っているではないか。そう、桜子の見合い相手だった男である。

 びっくりして何も言えない私だったが、向こうも私以上に驚いている様子だ。そんな栄吉さんの口から聞き捨てならない言葉が聞こえてきた。


「君、ハル…さんだよね?えっ?病気で亡くなったんじゃ……」

「えっ?病気?」


 いったい、どういうことだと私が目を丸くしていると、「ちょっと、話せるかい?」と栄吉さんが言う。

 確かに、桜子の件に加え、私が病死とはどういうことなのか、一度確かめる必要があるだろう。

 私は栄吉さんに言われるまま、卯庵の店内へ招かれたのだった。



 通された料亭の一室には私と栄吉さん。その他に、この卯庵の主である栄吉父と女将の栄吉母が勢ぞろいしていた。

 栄吉さんだけでなく、卯庵の主人も女将も、私の顔を見て幽霊を見たように驚愕していた。


――まぁ、病死していたと思われていたみたいだし、仕方ないか。でも、どうして病死……?


 スタコラと故郷から逃げ出してきたが、表向きには私は神白子の山神の生贄になっているはずだ。それがどうして話が変わっているのだろう。

 その理由を探りたいが、栄吉さんたちの方も私に聞きたいことが山ほどあるみたいだった。とりあえず、私はこれまでの経緯をできるだけ淡々と話した。


 栄吉さんたちが神白子村の実家を訪れた後、私が山神の生贄に指名されたこと。

 死ぬのが嫌で、村から逃げ出したこと。

 その後、大和宮に移り、何とか日々を過ごしていたこと。

 今はとある屋敷で召使いをしていること。


 話の中で、コンの存在は伏せておいた。また、ヒサメのときみたいに、誰かしらにコンが目を付けられるのを私は恐れたのだ。

 一通り、事情を話し終わると、栄吉さんたちは何とも言えない顔をしていた。


「その生贄のことだけれども……もしかして、仕組まれたことなのかな?僕たちが桜子よりも君を嫁にと言ったから……。あのとき、お義母さんと桜子は猛反対していたよね」


 山神への生贄が仕立て上げられたものか、どうか。それについて私はあえて言及しなかったが、栄吉さんたちはその背景にすぐ気付いたようだ。

 私は曖昧に笑う。


「証拠はありませんから」

「……そうか。いや、君には済まないことをしたね。僕たちの配慮が足らなかった。まさか、桜子が妹の命まで狙うなんて……」


 目を伏せる栄吉さんに対し、「いいえっ!」と卯庵の女将は憤った声音で言った。


「あの桜子さんなら、それくらいしてもおかしくないわ。ええっ!本当に、どうしようもない嫁でしたものっ!」


 やはり、桜子はこの卯庵で色々とやらかしたようだ。女将の口調からは、これまで溜め込まれた恨みのようなものを感じ取れた。

 それに卯庵の主人も同意する。


「本当にとんでもない嫁だった。まさか、ここまで店を引っ掻き回されるとは……」


 苦々しい顔をする栄吉さんたちに、私は切り出した。


「実は、今日こうしてこの料亭の周りをうろついていたのは……異母姉あねがこちらに不義理をしたと風の噂で聞いたからなんです。それが気になって……。いったい、異母姉あねは何をしでかしたのでしょうか?」


 栄吉さんたちは一度顔を見合わせ、それからポツリポツリと事情を話し始めた。

 それは千景さんから聞いた通り――いや、さらに酷い話だった。


 料亭卯庵の後継者や若女将は、店の一番下っ端からスタートするらしい。

 若女将なら、まず女中見習いとしての仕事を任される。それで、女中とはどういう仕事か、どういう資質が必要か、どういう風に仕事を割り振れば効率的か――そんなことを実体験をもとに学ぶようだ。

 女中の仕事を一通り覚えた後は、さらに店の経理やマーケティングなどを学ぶとのこと。


 だから、嫁いだ桜子が最初に言い渡されたのは、女中見習いの仕事だった。

 掃除、洗濯、細々とした雑用。若女将だと言えども、ちゃんとできなければ容赦なく叱られる。

 元々、神白子村の実家では、家事などしたことがない桜子だ。そんな状況に耐えられるわけもない。

 卯庵の若女将としては避けては通れない道のりだが、それを「嫁いびりだ」と桜子は涙ながらに訴えたようだ。


「嫁いびりなもんですか!私も先代の女将から、それはそれは厳しく躾られましたし、今思えば必要なことだったと感謝しています。けれども、桜子さんは……本当に酷かった。仕事なんて何もできやしない。水仕事で手が少し荒れたくらいで、天地がひっくり返ったように泣きわめく。それでもね。縁があってこの家に嫁いできてくれたのだからと、私は根気よく彼女を教えようとしたのよっ!ええっ…!!」


 どうやら、女将には桜子に対して相当思うところがあるらしく、言葉の節々が震えていた。


「母さんの擁護をするわけじゃないですが、本当に嫁いびりではなかったんです。僕も最初は、板場の追い回しから始めました。よく板長からは叱責されたものですよ」


 困ったように栄吉さんは笑う。


 日々の仕事もろくにこなさなかった桜子。そんな彼女は、ついに大事件を引き起こした。

 そう、食中毒事件である。


 酔客が白湯を求めた際、夏場で火を起こすのが億劫だった桜子は生水をそのまま客に出したらしい。

 酔って舌が鈍った客たちは、その腐った水に気付けなかった。結果、何人もの客が食中毒になる。


「運悪く、大店の主人たちの会合だったんだ。うちの上得意先だった。それが何人も食あたりになってしまって」


 卯庵の主人は沈痛な面持ちで語る。


「不幸中の幸いにも、大事に至るお客様はいなかったが……その件でうちはお客様からの信用を失ってしまったんだ」


 もちろん、事件の後、栄吉さんたちは桜子を責めた。しかし、彼女は全く反省しなかったようだ。

 それどころか、自分を叱る栄吉さんたちを敵視し、挙句の果てに板場の椀方だった男と不倫。駆け落ちに至った――というのである。


 食中毒事件に続いて、新妻が従業員と愛の逃避行――という醜聞ゴシップ。その結果が、今の閑古鳥が鳴く卯庵になるらしい。


 これは誰がどう聞いても桜子が悪い。そして、この栄吉さんたちの話は真実だと――彼女をよく知る私には確信があった。

 私は床に頭をつけ、栄吉さんたちに謝罪した。


異母姉あねが本当に申し訳ございませんでした」

「やめてくれ。君には責任のない話だから。そもそも、僕たちがハルさんを嫁にと言ったせいで、君は故郷を追われたのに……」

異母姉あねの件について、神白子の実家は何と……?」


 娘が近家に対してこれだけの不義理をしたのだ。何かしらの対応があるかと思ったが……


「謝罪はあったが……誠意のある対応はされていない。この件についての弁済も、のらりくらりと誤魔化されている現状だ」

「すみません……」


 私はさらに頭を下げた。


「本当に、君のせいではないから。もうこれ以上、謝らないで欲しい。それにしても、ハルさんが元気な様子で良かったよ。なにせ、病死したと聞いていたからね」

「そう言えば、どうして父や継母ははは私が病死したと言ったのでしょうか?生贄になったと言わずに……」

「それは…生贄が朝廷から禁止されているからだろう」

「えっ…?」


 栄吉さんの言うところによれば、アヤカシへの生贄は近年法律で禁止されたらしい。これについて、私は知らなかった。


 今や、国民の命を守るために生贄は全般的に禁止された。もし、アヤカシから生贄を要求されるようなことがあれば、領主を介して朝廷配下の検非違使に連絡するべしとのこと。

 つまり、神白子村の実家が私に行ったのは、れっきとした違法行為に当たるのだ。


「だから、僕たちには病死と言っていたのだろうね。自分たちの責任を免れるために」

「なるほど…」


 私は頷く。同時に、未だ少しあった『育ててもらった恩』というのが消え失せるのを感じた。


 生贄が違法であることは、おそらく神白子の村人のほとんどが知らなかっただろう。一方で、名主である父や祖父は知っていたはずだ。なにせ、わざわざ私が病死したと嘘を吐いているのだから。


 そして、違法にもかかわらず、神白子村の実家が生贄を強行したのはなぜか。それはもちろん、生贄を知らせる白羽の矢が継母たちの自作自演だと実家の皆が知っていたからだ。

 もし検非違使に調べられて、そのことが明るみになれば、大変なことになる。名主の家にあるまじき醜聞に……。


 事の発端は継母と異母姉だが、家の体面を守るためだけに違法行為に及び、私を見殺しにした父や祖父たちも同罪だ。

 結局、神白子村の実家の人々にとって、私の命なんて羽のように軽いものだったと再確認した。


――あんなのが私の家族なんて気が滅入る。そして、あの人たちの被害者が目の前に……。


 私は改めて卯庵の人々の方を見た。

 桜子のせいで、店が危うくなってしまっている彼ら。何とか力になりたいと、思った。


「あの…小娘の戯言ざれごとと思っていただいてかまいません。その上で、一つ聞いていただきたいのですが……」


せめてもの罪滅ぼしに、私はある話を持ち掛けた。



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