第41話 悪評

 酒の入った徳利とっくりを片手に千景ちかげさんが屋敷にやって来たのは、秋も深まった日の夕暮れだった。彼は、この日非番で一日中屋敷にいたヒサメを訪ねてきたのである。


「何の用だ?」

「特に用はないんですけれど」

「帰れ」


 そのまま門扉を閉めようとするヒサメに、千景さんは慌てる。


「用がなくても良いやん!飲みましょうよ!」


 冷たいヒサメの態度にもめげない千景さん。それに折れる形で、ヒサメは彼を屋敷に迎え入れた。

 ということで急遽、屋敷の茶の間で酒盛りが始まる。



――ヒサメってお酒飲むんだ。


 そのことに私は少し驚いた。なにせ、普段の彼に飲酒の習慣はない。

 千景さんが持ってきた酒(一升くらいあった。どれだけ飲む気だ?)をぬる燗にしつつ、私は急いで酒のさかなを用意する。


 里芋の煮物、小松菜と油揚げの煮びたし、にんじんのきんぴら――夕食のおかずの中から酒のあてになりそうな物を見繕う。

 その他に、即興で雷こんにゃくを作った。鷹の爪がピリッと辛くて、お酒に合うはずだ。


 と言っても、私自身はお酒を飲んだことがないので、前世でのおばあちゃんの受け売りではあるが。

 祖母は結構な酒好きで、ビールに日本酒、ワインと……なんでもよく飲んでいた。それでも健康診断には一度も引っかかったことがないと自慢していたものである。


 さて、私の出した料理が千景さんの口に合うか、少し不安だったのだが……


「めっちゃ、旨いやん」


 彼は満面の笑みでそう言ってくれた。


「里芋はねっとり芋の味が濃厚でええ。煮びたしも、お揚げさんが出汁をたっぷり吸っていて美味しいわ。にんじんはシャキシャキで歯ごたえ良し!」


 多分にお世辞も含まれているだろうが、そう褒めてもらえると、作った人間としてはシンプルに嬉しい。

 中でも、千景さんがいたく気に入ったのは戻りかつおのタタキだった。皮を火であぶったカツオを厚めの刺身にし、ショウガ・ネギ・ミョウガなどの薬味をどっさり添えて出したものだ。


 実は最初、千景さんは鰹を見て、少し眉をひそめていた。

 というのも、この都では脂の乗った戻り鰹よりも、サッパリとした味わいの初鰹が好まれる。大和宮ヤマトノミヤの人間曰く、戻り鰹は脂っぽくて臭くて食べられたものじゃないと。戻り鰹は下魚扱いで、値段も比較的安かった。


 千景さんにとっても、戻り鰹は安い魚のイメージがあるのだろう。それで少し躊躇したようだったが、とりあえず出された物は食べようと思ってくれたのか、箸をつけた。

 そして……


「えっ……旨い」


 目を丸くしたのである。


「この時期の鰹って嫌な臭いのするもんやけれど、これは全然やわ。なんで?ハルちゃん、何したん?」

「あっ、ソレ。私の力じゃないですよ。どちらかと言うと、ヒサメ様のおかげです」


 急に自分の名前が出てきて、ヒサメが「あ?」と顔を上げる。


「ヒサメさんが?なんかしたんですか?」

「俺は知らんぞ」


 首を横に振るヒサメに対して、私は蔵もとい、異世界版冷蔵庫のある方向を指さした。


「ほら、ヒサメ様が食材を低温で貯蔵できるように蔵を改造してくれたでしょう?アレのおかげですよ」


 初鰹に比べて、脂ののった戻り鰹は劣化しやすく、鮮度が落ちると臭みが出てしまう。それを防ぐには、やはり冷蔵するのが良いだろう。

 午前中、魚河岸うおがしに行ったら、鮮度の良い戻り鰹が売っていた。それを買った後、私は急いで屋敷に戻り、鰹を冷蔵庫に入れたのだった。


 そのことを説明すると、「ほえ~」と千景さんが息を吐く。それからマジマジと鰹を見つめた。


「今日、ここに来て良かったわぁ。戻り鰹がこんなに旨いなんて知らんかったもん」

「確かに…旨いな」


 千景さんにつられたのか、普段は食事の感想を言わないヒサメもポツリとそうこぼす。


「この鰹は、ウナギを食べたときくらいの衝撃やわ」

「えっ!ウナギですか!?」


 私は思わず、前のめりになる。


 だって、ウナギ…ウナギだ!高級食材ウナギ!!

 皮がパリッ、肉厚の身がフワフワッなウナギ!脂がのってジューシーで!甘じょっぱいタレとベストマッチなウナギ!!


 この異世界で、私はまだウナギを食べたことがない。是非とも食べたい、と千景さんの話に耳を傾けた。


「おっ?ハルちゃん、ウナギを知ってるん?」

「はい。食べたことはないですが……あのニョロニョロとした長いやつですよね?」

「そうそう。そのウナギや。知ってるか?アレ、ものっすごい旨いんやで」


 知っている。前世でおばあちゃんが食べさせてくれたうな重の味が頭に甦った。

 ウナギの味とタレがしみたごはんの美味しいこと――今思い出しても、よだれが出そうである。


「ウナギと言えば、ぶつ切りの印象やったんや。骨が多くて食べにくくて、それで泥臭いヤツしか知らんかった。やのに、最近食べたウナギは全然違った。臭くなくて、骨をとって開いて焼いたヤツ」


 うんうん、と私は心の中で相づちを打つ。

 それに蒲焼用のタレをつけて、更に焼いて……あの香ばしくて何とも言えない良い匂いがたまらないんだよなぁ――と、そんなことを思い描いていると……


「それを塩かわさび醤油をつけて食べて…」

「えっ?」

「ん?」


 千景さんの口にするウナギは、どうやら『蒲焼』ではないようだ。話を聞く限り、『白焼き』に近い。


「ウナギって、そうやって食べるんですか?」

「そやね。あとは味噌とかつけることもあるけれど……」

「ご飯にのっけて、丼にしたりは?」

「ん~。聞いたことないなぁ」


 どうやらこの異世界には、ウナギの蒲焼やうな重はメジャーではないらしい。

 ウナギと言えば蒲焼。うな重、うな丼。甘辛醤油タレをつけて焼いて、ご飯にのっけたものを思い浮かべてしまう私にとっては少し残念だ。

 しかし、千景さんの言うウナギも美味しそうである。


「食べてみたいなぁ」


 自然にそんな言葉が口から洩れると、ヒサメはさも簡単なことのようにこう言った。


「食べたいなら、買ってきて自分でさばけばいいじゃないか」

「無理ですよ。あんなの、さばけません」

「どうして?お前は色んな魚をさばいているだろう」

「……」


 これだから、普段料理のしないヤツは……。

 私がさばける魚なんて、たかが知れている。身が薄かったり、柔らかかったりするのは苦手だ。ウナギなんてそれ以上の難易度だろう。加熱すれば大丈夫だと言うが、ウナギの血には毒があると聞くし……うん。私にできるとは思えない。


――串打ち3年、裂き8年、焼き一生って言うもの。やっぱり、職人プロのウナギが食べたいよ。


「俺もハルちゃんに美味しいウナギ食べさせてあげたいわ。おすすめの店があったんやけれど……でも、今はちょっとな…」


 そう言って千景さんは言葉を濁す。


「何か問題でも?」

「うん。そのおすすめの店、結構な老舗の料亭やってんけれど、最近評判が悪いんねん」

「どうしてですか?」

「食あたりを出したんよ。白湯って称して、腐った生水を客に提供したらしいで。それで腹を下した客が何人もいたんや」


 何だろう……。その話、どこかで聞いたことがあるような気がする。

 私が記憶を探っていると、ヒサメは不審そうな声で尋ねた。


「生水が当たるのは大和宮ここじゃ常識だろう。特に夏場はマズい。そんなこと、料亭の人間が分からなかったのか?」

「その水を提供したんが、店の若女将やったらしい。その子は田舎の出で、今年の春に嫁に来て若女将になったって話や。まだ、都の常識を分かってなかったんですかね?」

「いや。それでも、水は沸かせってことくらい、姑や旦那から教えられただろうに」

「そうですねぇ。あんまり真剣に考えてなかったんかな?運悪いことに、水に当たった客の中に大店の店主やご隠居がいたそうで。アッと言う間に悪評が広がってしまったみたい」

「ハズレ嫁をもらったな」


 ヒサメと千景さんの会話を聞きながら、私は内心ドキリとした。

 春先に、田舎から嫁に来た女性。嫁ぎ先は、老舗料亭。

 ある可能性が頭の中に浮かび上がる。


――いやいやいや。そんな、偶然あるわけが……。


「それが話には続きがあって」

「まだ、あるのか?」

「その若女将。かなりの美人さんやったんやけど、何を思ったのか、料亭の板前と駆け落ちしてん」

「はぁ?」

「食あたりの悪評に加えて、新妻が駆け落ちっていう醜聞。老舗料亭も地に落ちたって、もっぱらの評判ですわ」

「そりゃ、とんでもない嫁を引き当てたな。ご愁傷様」


 食中毒を引き起こした上に、店の料理人と駆け落ちするという……とんでもないことをしでかす神経の美人嫁。

 まだ見ぬその女性の姿が、どうしてもと私の中で重なってしまう。


 私は恐る恐る千景さんに尋ねた。


「その老舗料亭って何というお店ですか?」

「ああ、『卯庵うあん』っていうんや」


 料亭『卯庵うあん』――それは私の異母姉桜子の見合い相手の店だった。



「ハルちゃん、大丈夫かな。なんや、青い顔してたけど」


 料亭の名前を聞いた後、フラフラと茶の間から出て行ったハルを千景は気にしていた。

 一方で、ハルのご主人様であるヒサメは――


「知らん」


 その一言である。


「薄情な人やな~。いらんねんやったら、俺に下さいよ」


 冗談のような口調の千景だが、その言葉に込められた本気を感じ取って、ヒサメの眉がぴくりと動く。


「……何を言っている?」

「だって、料理上手で、あんな強力な呪符を作れて、おまけに可愛い。お嫁さんにしたら最高や」

「嫁って……お前、ああいうガキ臭いのが趣味なのか?あんなの子供だろう?」

「子供、子供って失礼な人やなぁ。確かに童顔やけど、そこがまた可愛いやん」

「お前の趣味を疑う」


 信じられないとでも言いたげなヒサメ。

 自分の好みまでけなされて、千景は口を尖らせた。


「ほぉ。つまり、ヒサメさんは大人っぽい女性が好みなんや。可愛いより綺麗めがお好きと」

「……俺のことはいい」

「えっ?もしかして、図星?えっ、ヒサメさんって好きな人おるの?」

「――チッ。うるさい男だ。黙って酒を飲んでろ」


 ヒサメは煩わしそうにするが、そんなこと千景は頓着しなかった。


「ええやないですか~。恋愛話しましょうよ~」

「一人でやっていろ」

「察するに、恋人じゃなくてヒサメさんの片想いとか?そうやったら、面白いのに。ヒサメさんでも手に入らないもんがあるっていうのは実に面白いなぁ」


 すでに酔いが回っているのか、千景はしつこくヒサメに絡んでくる。

 辟易した様子で、千景はもう一度舌打ちした。



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