第40話 呪い(伍)

 ヒサメとおたえちゃんがやり取りする傍らで、私は妙龍みょうりゅうにこの会話を伝えていた。

 話が進むにつれて、妙龍の顔色が悪くなっていく。最後には彼は真っ青な顔で「俺はなんてことを……」と呟いていた。


「妙、お妙!本当にそこにいるのか?」


 妙龍はヒサメたちの方を見て呼びかける。

 それにお妙ちゃんは「おにぃいるよ。アタシ、ここにいるよ」と応えるが、やはり彼には聞こえない。


 突然、妙龍は床に頭を擦り付けて、泣き始めた。


「すまなかった。すまなかった。お前にこんな真似をさせてしまって……っ!お妙は俺のことを想って……ずっと傍にいてくれたのにっ……!俺は、俺は……っ」


 言葉を詰まらせて泣く妙龍。自然とお妙ちゃんの瞳からも大粒の涙があふれる。


「すまん、すまん。お妙、本当にすまん。俺、心を入れ替えるから!お妙に恥じない兄貴になるから!」


 人間そう簡単に変われるものではない。特に、人格形成が終わってしまった大人が変わるのは大変なことだ。

 けれども、むせび泣きながら、お妙ちゃんへの謝罪の言葉を口にする妙龍の姿は、嘘やその場限りのパフォーマンスには見えなかった。


「おにぃ…」


 お妙ちゃんが小さな手で、そっと妙龍の大きな背中を撫でる。けれども、彼はそのことに気付くこともできない。

 私は居たたまれなくなって、ヒサメに尋ねた。


「妙龍さんがお妙ちゃんを認識できるようにはなれないんですか?」

「……そう簡単にはいかないな」


 ヒサメが顔をしかめる。その表情を見て、ヒサメでも困難なのだと分かった。

 すると不意に、お妙ちゃんが私の方をじっと見た。


「おねぇちゃん。そこに何がある?」

「えっ?」


 お妙ちゃんが私のふところを指す。私は慌てて、自分の身体を確かめた。


――紙魚しみ以外に、特に変わったものは持っていないはずだけれど……あっ。


 手に触れたのは一枚の紙だ。広げてみると、その紙には『妙龍』と書かれてあった。


「コレのこと?」


 聞くと、コクリとお妙ちゃんが頷く。


 こんな紙の存在、すっかり忘れていた。確か、あとで紙魚しみのおやつにしようと思って、忍ばせていたのだっけ。


――でも、コレにいったい何の意味が…?


 マジマジと『妙龍』と書かれた紙を眺めたとき、ふと私の頭に思い付くことがあった。


「あの、もしかして……『妙龍』って本名じゃないのでは?お妙ちゃんの『妙』の字を使って、自分で名付けました?」


 その指摘は正解だったようで、「ああ」と妙龍は首を縦に振った。


「じゃあ、『龍』の由来は?」

「俺の本名は龍之介だ」

「なるほど」


 妙龍というのは祈祷師らしい厳めしい名だと思ったが、そんな意味があったとは。

 感心していると、横からお妙ちゃんが紙に手を伸ばしてきた。


「おねぇちゃん。コレ、ちょうだい」

「いいよ」


 紙魚しみたちのおやつは、後で別に文字を書けばいい。私はお妙ちゃんに『妙龍』と書かれた紙を手渡した。

 いったいコレを使って何をするのかと見守っていると、お妙ちゃんは『妙』という文字の上に自らの小さな手を置いた。


「おにぃも」

「妙龍さん。お妙ちゃんが、此処に手を置くように言っています」


 私は紙の上の『龍』の文字を指さす。


「お、おぅ」


 首を捻りながらも、妙龍は素直に指示に従った。彼のゴツゴツとした手が『龍』の字にのせられる。


「これでいったい何が……?」


 そう聞かれても、私にも分からない。私はただ、お妙ちゃんの指示を伝えたまでである。


 そのときだ。

 『妙龍』の文字が強く青い光を放った。


 その眩しさに、私は堪らず目をつむる。いったい、何が起こっているか――わけが分からない。うわっ、と誰かの驚く声がした。


 ややあって、光は徐々に弱くなっていき、収束する。私は恐る恐る目を開けた。

 一見、周囲には何の変化もない。くだんの紙には『妙龍』という文字が黒々と描かれているだけである。


 コンとヒサメの様子を伺うが、こちらも変わりない。コンは「びっくりしたー」と少し驚いていた。

 最後に妙龍たちの方を見ると――


「いったい、あの光は何だったん……えっ!?」


 うめきながら瞼を開けた妙龍だったが、その動きがピタリと止まった。

 彼は愕然とした表情で、目を精一杯見開いている。驚きすぎて、中々声が出ない様子だった。


 それでも絞り出すように、妙龍は言った。


「た、妙……?」


 彼の視線はしっかりとお妙ちゃんの方を向いている。


「おにぃ、アタシのこと見える?」

「あ、ああ……」


 妙龍は震える手で、お妙ちゃんの頬に触れた。


「見えるぞ。見える!お妙っ!!」


 お妙ちゃんが妙龍に抱き着き、それをしっかりと妙龍が受け止める。

 つい先ほどまで、お妙ちゃんのことを認識できていなかったことが嘘のように、妙龍は妹の存在をとらえていた。


 いったい、どうしてこのような事が起こったのか……私にも分からない。

 分からないが……コレは兄妹ふたりにとって、とても良いことなのだろう。それだけは分かった。



 互いに抱きしめ合う兄妹。そんな二人を目にして、ぼそりとヒサメが呟く。


「……まで繋げることができるのか」



 妙龍の家からの帰り道、コンがヒサメに尋ねた。


「あのおじちゃん。もう悪いこと、しないよね?」


 おじちゃんとは妙龍のこと。悪いこととは、詐欺行為について言っているのだろう。

 ヒサメは頷く。


「オッサンが改心できたかどうかは知らんが、あのおっかない妹が目を光らせていたんじゃ、そうそう悪さはできないだろうよ」

「そっか!よかったね!」


 ニパッと笑うコン。その笑顔のなんと愛らしいことか。

 無意識に、私の頬まで緩みそうになっていると、ポンと頭の上に手を置かれた。


 コンは私よりも背が低い。つまり、この場で私の頭に手が置けるのは……ヒサメだけである。


「あ、あの……?」


 そのまま手を払いそうになるのをグッとこらえて、私はヒサメを伺った。

 彼は珍しく、バツの悪そうな顔をしている。


 そんなヒサメの口から出た言葉は――


「あの女児がオッサンの妹だと気付いたことには……その、礼を言う。おかげで、胸糞悪いことをせずに済んだ」


 そう言って、少し乱暴に私の頭を撫でるヒサメ。

 私は衝撃を受け、口をポカンと開けた。


――あのヒサメが私にお礼を言っている!?


 まさか天変地異の前触れか。明日は空から槍でも降るのではないか。

 あまりにもの驚きに、私が固まっていると、ヒサメはムッとした表情を見せた。


「おい。なんだ、その顔は?人が礼を言っているというのに」


 ヒサメの手が頭から私の頬へスライドする。

 そして彼は、何をとち狂ったのか、私の頬をつまみ引っ張った。


「いっ、いひゃい!」

「ハッ。間抜けな顔だな」

「ご主人さま!ハルをいじめないで!!」


 コンの抗議の声が、夕陽に照らされた通りに響き渡った。



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