第36話 呪い(壱)

 ぺりぺりと、私は屋敷の塀に貼りつけられた御札を剥がす。そこには大きく『のろい』の文字。

  相変わらず、祈祷師の嫌がらせは続いていて、塀に貼られた札や紙を回収するのは私の日課となりつつあった。


 この嫌がらせが続いて、かれこれ一週間が経つ。

 不幸中の幸いは、祈祷師がこの他には、特に何もしかけてこないことだろう。


「それにしても、よくやるなぁ」


 せっせと嫌がらせの札や紙を用意し、わざわざ夜中に出掛けてうちの塀に貼り付けている祈祷師を想像すると、腹が立つよりも呆れてしまった。



 私は回収した紙を持ち帰り、紙魚しみたちにそれらを真っ新にしてもらう。

 この文字を食べるアヤカシのおかげで、紙面上の文字は綺麗サッパリ消え失せ、紙は新品同様だ。私は呪符を試し書きするための練習用紙として、これらを使っていた。


 ヒサメから新たに習った『守護の呪符』の文字や符号を私は紙にしたためていく。まだ、書くのに慣れていないため、呪符一枚書くのにも時間がかかった。

 やがて、試し書きが終われば、紙魚しみたちがその文字を食べ、紙はまた白紙に戻る。 

 以下、ループ。


 紙を延々と再利用するので、実にエコ。お財布にも環境にも優しいやり方だ。

 ヒサメに勝手に式神契約をされた経緯のある紙魚しみだが、思った以上に役立ってくれている。


 私は一通り、呪符の練習を終えると、ふと思い付いて最後にある文字を書いてみた。

 妙龍みょうりゅう――問題の祈祷師の名前である。

 名前の読みしか知らないので、漢字はもしかしたら間違えているかもしれないが、いかにも祈祷師にいそうな名前だった。


――見かけもそれっぽかったしなぁ。


 筆やすずりの片づけをしながら、妙龍の厳つい顔を思い出す。

 けれどもヒサメ曰く、彼の嫌がらせには呪術的な気配はまるでないとのこと。実際、舌先三寸のデマカセで小間物屋の主に詐欺を働こうとしていたし、見かけに反して妙龍には祈祷師としての資質がないのかもしれない。



 と、そのとき。

 屋敷の門の方が何やら騒がしくなった。いったい何事かと、私は立ち上がる。

 妙龍と書いた紙は、後で紙魚しみのおやつにでもしようと思い、私はそのまま懐にしまった。



 噂をすれば影。

 門の前で騒いでいたのは、くだんの祈祷師――妙龍だった。


 先日と同じように派手な法衣とたくさんの数珠を身に着け、祈祷師格好をしている。

 前と違ところと言えば、怪我でもしているのか、彼は首に包帯を巻いていた。


 また、今日の妙龍は顔色が悪い。

 目の下には青黒いクマができていて、前見たときよりもずっと老けて見える。


 門には、ヒサメの他に、ロウさんやおコマさん、コンまで居て、屋敷の皆が勢ぞろいしていた。

 身体の大きなロウさんを見て、妙龍は少したじろいだ様子だったが、ヒサメの方をキッと見据えると、彼に食って掛かった。


「貴様っ!俺を呪っただろう!!」


 唾を飛ばして怒鳴る妙龍を「はぁ?」とヒサメは胡散うさん臭そうに見た。


「なに阿呆あほうなコト言ってるんだ?その歳で、もう耄碌もうろくしてんのかよ、オッサン」

「なっ…!?」


 妙龍相手に、もはやヒサメは外面を取り繕う気もないようだ。彼はで言葉を返した。

 一方の妙龍はというと、以前とは別人と言っていいヒサメの変わりように目を白黒させている。


「人ンの前で騒いでンじゃねぇよ。検非違使に突き出されたくなければ、とっとと帰れ」


 ヒサメがシッシッと犬を追い払うような仕草をすると、妙龍の顔が真っ赤に染まった。

 突然、ヒサメに掴みかかろうとする妙龍。その行く手に、岩のような男が立ちふさがる――ロウさんだ。

 ロウさんはいとも簡単に妙龍を捕らえ、腕を捻り上げた。


「痛いっ!痛いっ!!すまなかった!もうしないから、放してくれ!!」


 悲鳴を上げる妙龍を押さえながら、ロウさんは「どうしたら良いか」と視線でヒサメに問いかけた。


「放してやれ」


 ロウさんがパッと手を放すと、妙龍はその場に崩れ落ちた。地面に膝をついたまま、彼はヒサメに問いかける。


「お前じゃないのか?俺を呪っているのはお前じゃ…」

「どうして俺が、そんな一銭の得にもならんことをしなくちゃならないんだ」

「本当に…?では、俺を呪っているのは誰なんだ?」

「そんなもん、俺が知るか」


 ヒサメの発言を受けて、妙龍は愕然としていた。

 とにかく、彼が困っていることだけは本当のようだ。もしかしたら、本当に誰かに呪われているのかもしれない。


――色々と恨みをかっていそうだしなぁ。


 なにせ、妙龍は詐欺師である。詐欺の被害者から呪われたとしても、気の毒だが自業自得だ。


「ふぅん」


 ヒサメが小さく声を漏らす。その顔を見て「げっ」と私は内心思った。

 何か思い付いたような、企んでいるような――笑みをヒサメはたたえている。


「事によっては相談にのってやらんこともないぞ」

「本当かっ!?」


 パッと妙龍が顔を上げた。

 一筋の希望が見えたというような表情で自分を見上げる妙龍に、ヒサメは言う。


「で?いくら払える?」



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