第35話 祈祷師(参)
「俺を利用するとはいい度胸だな」
「……あはは」
凍てつくような眼光で睨んでくるヒサメから、私はフッと視線を逸らす。
あの後、詐欺師から助けたことについて小間物屋の店主から礼を言われ、周囲の人々から賞賛されたヒサメは、
「お力になれたら良かったです」
爽やかに言って、その場を後にしたのだが……周囲の人目がなくなると、まるで
良い人面がペラリと剥がれ、絶対零度の冷たい視線をこちらに向けてくる。
「ご主人さま!ハルをいじめないで!!」
健気にコンが私をかばってくれるが、それをヒサメは一笑した。
「いじめ?いいや、これは躾だ。主として、出来の悪い召使いにはきちんと躾をしてやらねばな」
「遠慮しま……」
「何か言ったか?」
「いいえ」
プルプルと首を左右に振ると、「はぁ」とヒサメは深い溜息を吐いた。
「あの、小間物屋の店主はお前の知り合いでも何でもないんだろう?」
「はい」
「なら、なぜ助ける?」
「それは…成り行き?」
「
「別に、お金が欲しかったわけじゃありませんし……」
「ほぉ」
ヒサメは口角を吊り上げると、意地の悪い笑みを浮かべた。
「見返りはいらないと?それはそれは、お優しい心の持ち主だな」
言葉自体は褒めているようだが、ヒサメの声の響きを聞けば、それは完全な皮肉だと分かる。
「別に見返りを求めないわけじゃないですが……」
金銭や物のお返し、感謝の言葉――はともかく、少なくとも相手に喜んでほしいと私は思っているわけで。そういう意味では、相手の反応という見返りを望んでいることになるだろう。
対して、ヒサメは人助けに分かりやすい利を求めているようだ。
まぁ、価値観の違いである。
チッと、ヒサメは忌々しそうに舌打ちした。
「一つ、忠告してやる。お人好しは馬鹿を見るぞ」
ありきたりな警告だが、人間不信のヒサメが言うせいか、なんだか重々しく聞こえた。
「こちらが力を尽くしてやっても、ただの徒労に終わることもある。それどころか、世の中にはこちらを
ヒサメの言葉は正しい。それは、私も経験から知っている。
真っ先に思い浮かぶのは、神白子村の実家の人々。特に継母や異母姉は、どれだけこちらが尽くしても、決して私という人間を家族として認めようとしなかった。
――前世でも似たようなことはあったしなぁ。
だから、ヒサメの言葉を否定するつもりはないのだけれど……。
「ヒサメ様のおっしゃることは分かります」
「なら…」
「けれども、そういうお人好しのおかげで、少なくとも昔の私は救われました」
脳裏によぎるのは、前世の祖母のことだ。
ほとんど他人と言って良い私を、時間と労力とお金をかけて助けてくれた恩人。
「だから、できる範囲で私も同じことをしたいです」
と、偉そうなことを言ってみるが、本来なら人助けは自分の力で行うべきところ。にもかかわらず、今回はヒサメの名前を勝手に借りて、面倒をかけてしまった。
今日は
――減給を言い渡されるかもなぁ。
そんな覚悟を私はしていたのだが、意外にもヒサメはそれ以上何も言ってこなかった。
チラリとその様子を伺い見れば、なんだか驚いているような、戸惑っているような……奇妙な表情をしている。
――私、何か変なコト言ったかな?
そう首を
*
翌朝、問題は起こった。
四条の屋敷の塀にびっしりと御札が貼られていたのだ。札にはデカデカと朱墨で『
その他にも、「この屋敷の主人はインチキ祓魔師」なんて誹謗中傷や罵詈雑言が書かれた紙まである。
非常に分かりやすい嫌がらせだった。
「……」
「それ見たことか。面倒事だ」
私を見下ろすヒサメの眼が冷たい。
誰がこんなことをしたかと言えば――昨日の今日のことだ。あの
詐欺が失敗した腹いせに、ヒサメに嫌がらせをしたに違いなかった。
「申し訳ございません」
この面倒事を招いたのは私に他ならない。
謝るしかなくて頭を下げると、ヒサメは呆れたように鼻を鳴らした。
「その札や紙。ちゃんとお前が剝がしておけよ」
「わかりました。でも、誹謗中傷の紙はともかく、呪いの御札って簡単に剝がしてしまっていいんですか?」
「それには何の効力もない。……そうだな、
言われて、私は腰に吊り下げた
この
「出てきてくれる?」
ひょうたんの栓を開けて呼びかけると、二十匹以上の銀色の小さな魚が中から出てきた。
「この札が本物の『呪いの札』なら
「なるほど」
私は感心して頷いた。それから、
「あとで私が書いた文字をあげるから、とりあえず目の前の文字を食べてくれる?」
すると、ヒサメが
「何をしている?」
「紙を真っ新にして、呪符の練習帳にでもしようかと思いまして」
貧乏性と言うなかれ。
この異世界で、紙は決して安いものではないのだ。再利用できるなら、するべきである。
「……つい先程まで呪いの言葉や罵詈雑言が書かれてあった代物だぞ?普通の娘なら気味悪がるんじゃないのか?」
「え?でも、何の効力もないんですよね?」
ヒサメ本人がそう言ったのではないか。
札には呪いの力なんてものはなく、今や
そう思って、目をパチクリさせていると、ヒサメはポツリとこう呟いた。
「お前、案外図太いな」
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