第30話 紙魚(弐)

 検非違使庁は一条二坊付近にあった。ここらは朝廷関連の施設が多い。

 その建物は堀にぐるりと囲まれていて、周囲の施設に比べても目を見張るくらい大きかった。おそらく、皇宮に次ぐ規模ではなかろうか。

 

 検非違使庁なんて私には縁遠かった場所。遠目に見たことはあるが、こんなに近くまで来たのは初めてだ。

 近づけば、近づくほど、その大きさに私は圧倒される。隣を見ると、コンもポカンと口を開けていた。


 敷地内には五棟の建物があり、そのうちの一棟が妖犯罪対策部とのことだった。ヒサメらに連れられて、私はその中に足を踏み入れる。

 意外なことに、純和風な外観に反して、内部は和洋折衷の擬洋風な室内装飾になっていた。床には赤い絨毯が敷かれ、座り心地の良さそうなソファが壁際に置かれている。


 入り口を入ってすぐ左側に受付のような場所があったが、ヒサメや千景さんはそこをスルーして、真正面にある階段を上っていった。

 こんな所で迷子になってはかなわないと、私はコンと手をつなぎ、彼らにちゃんとついて行く。


 検非違使庁なんて、普通の女子供が来るような場所ではない。当然のように、私とコンは周囲の人間(おそらく、検非違使庁の職員)の目を引いた。

 その中には、コンにばかり注視する人もいる。


 歩きながら、おもむろにヒサメはコンに話しかけた。


「コン。お前ばかりを見ているヤツがいるだろう?」

「うん」

「アイツ等はお前がアヤカシだと気付いているんだ」

「えっ!?」


 コンは慌てて周りを見渡す。それから不安そうに、ヒサメの顔を伺った。


「ボク、化けるのヘタ……?」

「まぁ、完璧にはほど遠……」


 そのヒサメの言葉を遮って――


「いやいや。コンくんの変化の術は上手やよ~。そこまで上手く化けれるアヤカシ、めったにおらんわぁ」


 ことさら、明るい声で千景さんがコンを褒めた。

 千景さんの言葉にホッと胸を撫でおろしつつ、それでもコンの表情は心細そうだ。


「でも、バレてるし……」


 ちらちらと、ヒサメを見る。

 千景さんは「はぁ~」と深く嘆息し、コソコソとヒサメに言った。


「ちょっと、ヒサメさん。ちゃんと褒めるところは褒めたって。コンくんの変化の術、十分上手いやん。鞭ばっかじゃ、やる気もなくなりますって」

「はぁ?だが、完璧にはほど遠い。本当のことを言っただけだろう?」

「厳しいことばっか言ってたら、人は……ってか、アヤカシも育ちませんよ。まして、子供や。褒めて伸ばさんと」


 千景さんの発言に、私は大いに同意した。仮にもコンの師匠なら、叱るだけじゃなくて、ちゃんと褒めて欲しい。

 心からそう思うあまり、いつの間にか「うんうん」と頷いてしまう。

 それを見て、ヒサメは露骨に嫌そうな顔をした。


「お前、何頷いているんだ」

「……コンは褒めて伸びるタイプの子だと思いマス」


 それだけ言うと、ヒサメの舌打ちが「チッ」と聞こえてくる。

 一方、千景さんは励ますようにコンに言った。


「コンくんの変化の術は上手やけどなぁ。ある程度の腕がある術士なら、アヤカシがまとう妖力を探知できるねん」

「たんち?」

「そう。神力や妖力の探知って、相手の存在や実力を知る上で重要なんよ」

「むずかしそう」

「そう、難しく考えんでもええよ。実は、コンくんも自然とやってることやと思うで」

「そうなの?」


 それを聞いて、私には思い当たることがあった。

 幽霊騒ぎのときのこと。コンは又六の父親の心残りになった本を「コレ、なんか他とちがう」と言って、見つけ出してくれた。

 もしかしたら、アレも千景さんの言うところの『探知』とやらを使ったのだろうか。


「だが、まだお前は神力や妖力の機微を捉えるには力不足だ。現に、ここにいる職員の力量の差は分からないだろう」


 ヒサメが指摘すると、コンは困り顔をする。おそらく、図星なのだろう。


「だから、自分に向けられる視線には気を配れ。お前の正体を見破っている相手は、ある程度の手練れだ。用心しろ」

「えっ、用心?その人が人間でも?」

「当り前だ。まさか、人間が善人ばかりだと思っているのか?」


 まるで、人を見たら泥棒と思えと言わんばかり。さすが、人間不信のヒサメの発言だ。

 千景さんの方は、ヒサメのこういった性格を承知しているようで、苦笑している。


「逆に、お前を無視したり、ただの子供として接してくるヤツはだな。まぁ、そう装っている可能性もあるから、そういう輩も用心するに越したことはないが……」


 コンに講釈をたれるヒサメを見ながら、私は少し心配になった。


――教育に悪い。


 どうにもこうにも、ヒサメは他人を疑いすぎだ。今更、彼の性格を赤の他人の私がどうこうしようとは思わないが、こんな男を師匠にして、コンの性格がねじ曲がったりしないだろうか。それが気がかりである。



 そうこうしているうちに、私たちは『資料室』と札が掲げられた部屋の前までやって来た。



 広い室内には、ずらりと書架が並んでいた。そのどれもに、びっしりと本が収まっている。

 これらが全て、過去に検非違使庁の祓魔師たちが取り扱った事件の記録だろうか。

その多さに、私はほぅとなった。


「問題のあった冊子はここにまとめています」


 千景さんが指し示す先には机があって、そこに冊子が山積みにされていた。

 ヒサメはおもむろに、それらの中から一冊を手に取る。パラパラとページをめくった後、それを私に押し付けるように渡してきた。


「……部外者が見てもいいのですか?」


 ヒサメの行動の意味としては「お前も目を通してみろ」ということだと思うが、これは検非違使庁に保管されている資料だ。一般人が簡単に見てはいけないはず…。

 そう思っていたが、けろりと千景さんが答えた。


「ええよ、ええよ。どうせ、な~にも書いとらんから」


 ならば――と、私は冊子を開いてみる。コンにも見えるように、少しかがみこんだ。

 冊子を眺めてみてすぐに「ああ、なるほど」と私は納得する。

 千景さんは冊子が「真っさらになっとった」「文字が消えてしまった」と言っていたが、まさにその通りだった。


 冊子の端から端まで、どこにも文字はない。それどころか、文字が書かれた形跡さえなかった。

 きれいさっぱり文字は消え失せている。事情を知らない人が見れば、何も書かれていない白紙の冊子と思うだろう。


――これがアヤカシの仕業なら、どんなアヤカシでどういう風に文字を消したんだろう。


 私が不思議に思っていると、急に資料室の扉が開いた。


 入って来たのは、恰幅の良い五十歳そこらの男性である。身に着けている羽織は一見地味そうだが、洒落者なのか、その裏地に派手な絵柄が描かれてあった。


 男性はヒサメを見るなり、その顔をほころばせた。


「やぁ、四条。早速、来てくれたのか。助かったよ」

「これは、これは、森様」


 ヒサメが打って変わって、穏やかな笑みを浮かべる。

 雰囲気から察するに、この森という男がヒサメたちの上司のようだ。


「君が来てくれたら心強い。妖犯罪対策部の資料を紛失したということになったら、わしの出世にも影響してくる。頼む。どうにかして解決してくれ」


 私やコンの方にちらりとも視線をよこさず、森はヒサメばかりに話しかけている。

 その様子を目の当たりにしたコンは――


「あれって、でくの――」

「しっ」


 私は慌てて、コンの口を手で塞いだ。



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