第29話 紙魚(壱)

 冷蔵庫で冷やしておいたお茶を一気に飲み干した千景さんは、


「生き返るわぁ」


と、感に堪えた声を出した。


「よろしければ瓜もどうぞ」


 おやつに皆に出した真桑瓜のあまりを千景さんに出す。こちらもよく冷やしてあった。

 真桑瓜の見た目はメロンやスイカに似ている。

 その果肉はみずみずしく、メロンのように甘味は強くないが、ほんのりとした優しい味が舌に嬉しい。


「至れり尽くせりやなぁ」


 目尻を下げて、千景さんは瓜を口に運んだ。


「うまぁ。それに、これもめっちゃ冷えてるやん。でも、どうやってんの?」

「それはヒサメ様が呪符を使ってですね……」 


 ヒサメが氷の力を宿した呪符を使い、低温で食物を貯蔵できるよう蔵を改造したのだと説明した。


「ははぁ。なるほどなぁ。呪符でそんな風に工夫を。コレ、一般にも出回ればええのに。けど、それは難しいやろうなぁ」

「そうなんですか?」

「うん。呪符自体、高いもんやし。それに長期間にわたって冷風を吹かせることが可能な術師なんて、そうそうおらんもん。あのな…」


 コソコソと千景さんは私に耳打ちする。


「ヒサメさん。性格はお世辞にもええと言えんけど、腕だけは確かやからなぁ。都一の名は伊達じゃないで」

「……おい。誰の性格が悪いって?」

「うわぁ。地獄耳やわ」


 へらへら笑う千景さんを見て、「まったく…」とヒサメは渋い顔をした。


「用がないなら、とっとと帰れ。俺は今日、非番のはずだぞ」

「あっ!用ならあります、ありますよぉ。緊急事態なんですわ」

「はぁ?緊急事態だと……?」


 そうして、千景さんはそのとやらを説明し始めた。




 ヒサメたちの職場――検非違使庁妖犯罪対策部には資料室がある。

 そこには、過去に検非違使庁の祓魔師たちが取り扱った事件が冊子となって保存されていた。もちろん、その内容には事件に関わったアヤカシの詳細や退治方法なども記録されており、祓魔師たちにとって貴重な資料となっている。

 その大事な記録の一部が……


「真っさらになっとったんです」


 ヒサメは「真っ新だと…?」と眉をひそめた。


「そう!資料の冊子にびっしり書かれてあったはずの文字が消えてしまったんですよ」


 千景さんが言うには、同僚の一人が資料を調べようとしてソレに気付いたらしい。本日出勤していた祓魔師たちが大慌てで調べたところ、五十冊ちかい資料で被害があることが分かった。


 不思議なことは、その文字の消え方だ。

 紙の経年劣化で文字が読めなくなったわけではなく、紙の方はちゃんとしていて、その上の文字だけがきれいさっぱり消え失せていたのである。


「もう、妖犯罪対策部は天と地がひっくり返ったような大騒ぎで。明らかにおかしなコトが起こっているのは一目瞭然やけど、いつ・だれが・何のためにこんなことをしたのか、見当もつきません。うちのアホ上司は騒ぐだけで、ちっとも頼りにならんし。しまいには、非番のヒサメさんを呼んで来いと」

「――チッ」


 ヒサメは忌々しそうに舌打ちをした。


「あの男……少しは自分で解決しようとしたら、どうなんだ」

「いや、上司さんには無理でしょう。てか、俺もお手上げです。でも、ヒサメさんなら何か解決方法が分かるんじゃないですか?アヤカシについて、誰よりも詳しいですし」

「……お前、この件がアヤカシの仕業だと考えているのか?」

「上司は検非違使うちに恨みのある人間の仕業だ、犯人は誰だ~って騒いでますけど」


 そう前置きしつつ、千景さんは言う。


「俺はアレ、何かのアヤカシの仕業やと思うんです。相手が人間なら、こんなまどろっこしいことせず、目的の冊子を破いたり、捨てたりすればええだけかと」

「ふぅん」

「で、どうなんです?ヒサメさん。今回の件、何か分かっているんと違いますか?」

「まぁ、多少思い当たるところはあるな」


 千景さんは「おおっ!」と手を叩いた。


「じゃあ、これから一緒に来てくれますか?」

「はぁ……仕方ないな」


 やれやれと立ち上がるヒサメ。どうやらこれからご出勤のようだ。

 おコマさんが急いで、ヒサメが出掛ける支度をする。私はそれを眺めながら、「検非違使も大変だなぁ」と他人事のように思った。


「ロウ、お前は屋敷で待機していろ」


 ヒサメがロウさんに命じる。ロウさんはヒサメのお供についていくのが常なので、これは珍しいことだった。


「代わりにコンはついて来い。それから――」


 ここで、ヒサメがこちらに顔を向けた。私はバッチリ、彼と目が合う。

 嫌な予感がして、私は一歩後ずさった。

 だが……


「ハル。お前も来い」

「!?」


 私は心底驚いた。ヒサメの仕事に同行を命じられるなんて、これが初めてだからだ。


「わ、私ですか?」


 思わず聞き返すと、ヒサメは鼻で笑ってくる。


「他に、ハルという人間がこの場にいるのか?」

「……いや、でも」


 私は祓魔師ではない。それどころか、神力も妖力もない無力な人間だ。アヤカシが関わる事件に同行させられても、何の役にも立たないだろう。


「え?ハルちゃん、連れて行くんですか?」


 千景さんも困惑した様子でヒサメを見ている。

 しかし、ヒサメは譲らなかった。


「来い。これは命令だ」


 そう言われれば、従うしかないのが召使いの悲しいところ。


「はい…」


 私はそう頷くしかなかった。



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