第28話 人間不信(弐)
「ハル、この赤いのなぁに?」
「ソレはトマトだよ」
「とまと…」
昼食の膳に出てきた見慣れない野菜を、興味津々の様子でコンは見つめる。
トマト――現代日本ではこれも夏の風物詩の馴染みある野菜だが、神白子村ではお目にかかれなかった。トマトは外国から伝わった野菜で、ここ数年で大和宮でも流通し始めたらしい。
さすが都だけあって、この街には色々な農作物が集まり、売られている。
神白子村にはなかったようなものはもちろん、現代日本でも見たことのないような青果物を目にすることもあった。
――料理のバリエーションを広げるためには、色々と開拓していかないと…。
私はそう考える。
今までと違い、この屋敷の主であるヒサメの食事まで用意しなければならなくなったのだ。色々と気が抜けなかった。
塩を振っただけのトマトだが、みずみずしく、酸味の中に甘みがあって非常に美味しい。
そもそも、この異世界の農作物は味が良いのだ。野菜は味が濃く、かといってえぐみがキツいわけでもない。その野菜本来の力強い味がするように思える。
――もしかしたら、現代日本の野菜より美味しいかも?
科学技術は前世と比べるまでもないお粗末なものだが、農業などはこの世界独自の進歩を遂げているみたいだ。その結果が、味に表れているのかもしれない。
ふと目をやれば、ロウさんがまた鼻をひくつかせていた。見慣れない野菜を珍しいのか、はたまた毒が盛られていないか確認するためか。
私の視線に気づき、彼はバツの悪そうな顔をする。
「あ、大丈夫ですよ。気にしないでください」
ロウさんが臭いを確かめるのは、どうせヒサメの指示だろう。私はロウさん本人を非難するつもりはなかった。
そんなことよりも、ロウさんについては他の点に興味がある。
「ロウさんの鼻なら傷んだ食べ物なんかも分かりますか?」
「えっと…はい」
「それなら、むしろ臭いを確認してもらった方が助かります」
季節は晩夏。暑さの盛りは過ぎたが、それでもまだまだ暑い日は続いていて、食べ物が悪くなりやすい季節である。
日頃、食中毒には気を付けているし、ヒサメに冷蔵庫を用意してもらったが、それでも皆の食事を預かる身としては用心にこしたことはない。
ロウさんの嗅覚でそれが事前に分かるのなら、素晴らしいことだと私は思った。
「もし、悪くなっているものがあれば、じゃんじゃん指摘してください」
「……今まで、ハルさんの作った料理で傷んだものはなかった…です。いつも旨いメシ、ありがとうございます」
おずおずとそう口にするロウさんに、私は好感を持った。無口で口下手なところがあるが、彼は良い人だと再確認する。
「食あたりは怖いですからねぇ」
青唐辛子の焼きびたしを口に運びながら、おコマさんがのんびりと言う。
「そう言えば、つい最近噂になっていることですけれど…」
「コマは色んなウワサを知ってるねぇ」
感心したようにコンが言った。
コンの言う通り、おコマさんは情報通だ。屋敷内からあまり出掛けている様子もないのに、都内でのあちこちの噂話をよく知っている。
「うふふ。お友達が教えてくれるのよ。それで今回の噂は、食あたりのことなの」
食あたり、食中毒――現代日本ほど衛生管理が行き届かないこの異世界では、そう珍しくはない病気だ。それが噂になるなんて、よほど酷いものだったのだろうか。
「なんでも、ある高級料亭で食あたりした人がたくさん出たらしいの」
「高級料亭ですか…」
得体のしれない屋台が発端かと思えば、料亭か。それは噂にもなりそうだと、私は納得した。
「ハッ。高い金を払って、腹を下したなんて散々だな」
ヒサメの言う通り、高い金銭にはそれに見合った味と安全性が必要だろう。食中毒はそれらを裏切る事件だ。客の信頼を失って、もしかしたらこの先、
――食中毒か。私も注意しないと…。
今でさえ、ヒサメに信用されていない私だ。
この屋敷で食中毒なんて起こせば、それこそ此処から追い出され、コンと離ればなれになるかもしれない。
それだけは避けたいと、私は気を引き締め直した。
*
本日のヒサメは非番ということで検非違使庁には行かず、家でだらりと過ごしていた。
おやつ時になり、冷えた瓜を皆に出したところで、訪問があった。
「ヒサメ坊ちゃん。千景さんがいらっしゃいました」
「……千景だと?」
ヒサメは一瞬眉をひそめたが、少し考えた後、溜息を吐く。
「茶の間に通せ」
それを聞いて、私は「おや?」と意外に思った。
――ヒサメが屋敷に他人を入れるなんて珍しい。
もしかしたら、人間不信のこの男にも友人がいるのだろうか。
私はその客人に少し興味を覚えた。
おコマさんに連れられてやってきたのは、優しそうな雰囲気の青年だった。年齢はヒサメより少し下……二十歳前後に見える。
「おや、新顔やん?」
青年は私とコンに気付くと、ニコッと笑った。
そのままコンに近づき、同じ目線の高さまでしゃがみこむ。
「こんにちは」
「こんにちは!」
「名前は?」
「コン」
「コンくん、言うんかぁ。可愛ええなぁ~。俺は千景いうんよ」
コンの頭をよしよし撫でつつ、千景と名乗った青年は私の方に目をやる。
「可愛ええお嬢さん。お名前は?」
「ハルと申します」
「ハルちゃんかぁ。よろしゅうなぁ」
ヒサメの友人(仮)ということで、性格に難ありの人物を勝手に想像していたが、千景さんは親しみやすく、愛想のよい男だった。
そのことに内心びっくりしていると、千景さんはさらに驚くことをさらりと言ってのける。
「それにしてもコンくん。小さいのに、化けるの上手やん。将来有望な
これには私もコンも「えっ」と言葉を詰まらせた。
千景さんは会ったばかりだと言うのに、コンが
私はコンの腕を引き、千景さんから距離を取らせた。
「あっ。警戒させちゃった?ごめん、ごめん。俺、怪しいもんやないんよ」
「いや、十分怪しいだろう」
「ちょいと、ヒサメさん。可愛い後輩に向かって酷いわぁ」
「誰が可愛い後輩だ。寝言は寝てから言え」
しかめ面のヒサメだが、千景さんはそんなこと、意に介していないようだ。
彼は改めて、こう言った。
「どうも。検非違使庁で祓魔師やってる千景、言います~。ヒサメさんの後輩ですんで、お見知りおきを」
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