第27話 人間不信(壱)

 四条家の召使いは四人いる。

 私とコン。それにおコマさんと、ロウさんだ。


 おコマさんは優しく話しやすいが、ロウさんは無口でちょっと何を考えているか分からない男である。

 決して、悪い人ではないのだけれど……、今もそうだ。



「私、臭いますか?」


 茶の間で昼食の配膳準備をしていた私は、おもむろにロウさんに話しかけた。


「えっ…」


 驚いたようにロウさんは目を見開く。

 声を掛けられるとは思っていなかったようで、「……それがしに言ってますか?」と自分で自分を指さしていた。


「はい。ロウさん、先ほどからこちらに顔を向けて、鼻をひくつかせていますよね」

「あっ、えっと」


 まさに図星を指されたといった様子で、ロウさんは口をもごもごさせた。それを見て、私は「やはり」と思う。


 ロウさんが私の臭いを嗅ぐ仕草をするのは、これが初めてのことではない。

 元々彼は食事時など、鼻をひくひく動かせて食べ物の匂いを嗅いでいたから、そういう癖のある人だと思っていた。

 だが、人間相手にソレをするのは私だけなのだ。ヒサメはもちろん、コンやおコマさんにもしない。


 単に私が臭うだけかもしれないが、他人に(しかも異性に)臭いを嗅がれるというのは、何とも嫌な気分になる。現代日本なら、セクハラ案件ではなかろうか。

 それで堪りかねた私は、こうしてロウさん本人に切り出したのだった。


「すみません。夏場なので汗くさいかも…。湯あみは毎日しているのですが」

「いえっ!違います!臭いとか、そういうのじゃなくて!むしろ、あのっ!臭くないのを確かめているというか……っ」

「んん?」


 ロウさんは必死に弁明のようなものをしているが、正直なところ何を言っているのか意味が分からない。

 すると、これまで黙って私たちのやり取りを見ていたヒサメが口を開いた。


「……もういい、ロウ。俺が命じたんだ」

「何をですか?」

「お前の臭いを確認しろと」

「……」


 それを聞いて、私は思わず後ずさりした。


――変態はコイツだったのか。それにしても、他人に他人の臭いを嗅げと強いるなんて……どんな性癖だ?


 さらに一歩、ヒサメから距離をとったところで「おいっ」と当の本人から声が掛かる。


「お前、何か変なことを考えていないか?」

「いいえ、別に」


 変人はお前だろう、という言葉を飲み込んで、私は素知らぬ顔で首を横に振った。途端に、「はぁ」と深いため息がヒサメから聞こえてくる。


「人間は嘘を吐いたり、何か悪事を働いたりしようとしたとき、緊張で嫌な臭いの汗をかくことがある。それでロウにお前の臭いを嗅ぐように言って、確認していたんだ。お前が俺の食事に毒をしこんでいないかどうかを、な」

「な、なるほど……?」


 と言いつつ、私はちっとも納得していなかった。

 もし、今のヒサメの言葉が正しいのなら、ロウさんは他人の汗の微細な変化が分かるくらい鼻が利くことになる。


――そんな。犬じゃあるまいし。


 そう思ってロウさんを見ると、彼は困ったように頬を掻いた。


「某、鼻だけは良いので……」

「まさか……本当にそんなのが分かるんですか?」

「……さっき、瓜を触りましたか?」

「えっ」


 半信半疑だった私だが、それを聞いて固まった。

 まさに少し前、おやつに出そうと思い、瓜を洗って蔵(もとい、ヒサメが作った冷蔵庫)に入れ、冷やしたところである。


「あと、今日の昼飯は鯵の干物に、いんげんと胡麻を和えたもの、青唐辛子を焼いたもの、冷ややっこ……その他には、嗅いだことのない野菜の匂いがします」

「えっ、えっ?」


 これも、その通り。どうやってロウさんは昼食の内容を知ったのか。

 今は昼餉の準備をし始めたところで、茶の間にはまだ料理を運んでいない。加えて、ロウさんが台所に入って来た記憶もない。


――ということは、ということは!やはり匂いで昼食を当てた?なんて人間離れしてる……まるで、警察犬だ!


「すごいっ!」


 私は心底驚いてそう言うと、ロウさんは意外そうな顔をした。


「怒らないのですか?あなたを疑っていたのに…」


 確かに。ロウさんが私の臭いを確認していたのは、私がヒサメに対して悪事をくわだてていないか知るためだ。疑われていたわけである。

 だが……。


「だって、ソレを命令したのは…」


 私はチラリとヒサメを見た。

 もし、疑われたことを怒るのなら、ヒサメに対して腹を立てるのが筋じゃないだろうか。


「……なんだ?」

「ナンデモアリマセン」

 

 ヒサメに睨まれて、私はフルフルと首を振る。

 そもそも、今更ヒサメに疑われたところで、何とも思わなかった。


 ヒサメの人間不信は相当なものだ。


 私に対してだけでなく、あらゆる場面で毒の混入を疑っているし、他人がこの屋敷に足を踏み入れるのさえ嫌う。

 屋敷がボロなのは、そのせいだ。彼が他人を敷地内に入れることを嫌がるあまり、修繕が必要な個所があっても大工に頼まない。庭が荒れ放題でも庭師を呼ばないのだ。

 二重人格と疑うような外面の良さだって、他人と距離を置くための処世術のように思える。


――いったい、どう育ったら、こんな風になるのだろう。


 そんなヒサメが例外的に信用している人間は、私が知る限り、おコマさんとロウさんの二人だけだ。

 これまでにどういった経緯いきさつがあったか知らないが、この二人はヒサメにとって特別な人なのだろう。


 それでも比較的、コンのことは信用しているような気がする。あの子が人間ではなくて、アヤカシだからかな?


 そのコンを式神にする過程で、私を召使いにしたヒサメだが、今思えばよく信用もできない他人を屋敷に入れたものだ。

 それほど、コンが必要だったのだろうか。

 しかし、なぜ……?


――以前、コンのことを「見込みがあると思った」と言っていたけれど……。もしかしてコンって、ただの狐のアヤカシじゃないのかな?


 そんな疑問を私は抱いた。



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