第26話 幽霊(参)

「ああっ、面白かった!!」


 それは忌憚きたんない感想だった。

 豆三郎とやらが書いた本――それを読み切って、自然と笑みがこぼれる。


「まさか、この世界で推理小説を読めるなんて」


 件の本は、まるで探偵モノのソレであった。

 下級貴族で祓い屋の主人公――しかもイケメンの人格者――の元に、事件が持ち込まれる。当初、アヤカシの仕業かと思われていた一件だったが、主人公が事件の不可解さに気付き、そこから真犯人を突き止める……というのがあらすじだ。


 ハッと驚くトリック、意外な犯人、その犯人と被害者の隠された因縁……そして、イケメン祓い屋の主人公のカッコイイこと!

 現代日本でも流行るのではないか、そう思わせるような作品だった。


 私は久しぶりの娯楽小説にとても満足していた……と、


「調子はどうだい?」


 廊下から又六さんに話しかけられてハッと我に返る。

 障子窓の外を見れば、陽が西に傾きかけているのが分かった。いつの間にかコンも私の隣で居眠りをしている。


――仕事そっちのけで読みふけってしまったっ!!


 私は焦り、「ごめんなさい」と謝った。


「この本が何だか怪しいと思ったんですが、調べている内につい……内容に熱中してしまって…」


 ありのままを白状すると、又六さんは一瞬虚を突かれたような顔をした後、笑い出した。


「ハハッ!それは良い!確かに、それは死んだ親父が書いた本だと思う。そんなに熱中して読んでもらったんじゃぁ、親父も本望だろう」

「やはり、この本は亡くなったお父さんが書いたのですね」

「ああ。俺も読んで感想を聞かせて欲しい――なんて言われたが、あいにく本が苦手でね。読んでやれなかったんだ」

「すごく面白かったです。出版したら売れるんじゃないでしょうか?」

「親父に聞かせてやりたいよ」


 又六さん曰く、父親の三郎さんは趣味で小説を書いていたらしい。けれども、おおやけに出版したりはせず、個人的な趣味にとどまっていたという。

 それを聞いて、もったいないなと私は思った。

 この本はとても面白い。できれば、他の人にも読んでもらいたいと、一読者として考える。


 そこで、私は「あっ、そう言えば……」と、本について思い出すことがあった。


「この本なんですけれども、ちょっと気になる点が……」

「気になる点?」

「些細なことなんですが…」


 私は小説のとある部分を示した。

 それは主人公の祓い屋が真犯人を追い詰めるクライマックスの場面だ。


 小説の文章には、主人公が『貴族の青年を指さした』とある。

 実はこれ、誤表記だった。

 真犯人は被害者『遺族』の青年なのだが、『貴族』と書き間違えられているのである。

 この物語の主要人物で、貴族の身分にあるのは主人公だけなので、ともすれば「主人公が己を指さした」とも読み取れた。


「もっとも、前後の文脈からすぐに書き間違いと分かりますけれど。一番盛り上がる場面だけに、ちょっと気になりまして」

「親父、うっかりしているところがあったからなぁ」


 又六さんは苦笑しつつ、こう続けた。


「ハルちゃん。その書き間違え、訂正しちゃくれないか?」

「私が?いいんですか?」

「ああ。たぶん、そうした方が親父も喜ぶ」


 故人の息子である又六さんに頼まれたので、私は誤字を訂正することにした。と言っても、「貴」の文字に「しんにょう」を付け加えるだけなので、そう難しくはない。

 私は心を込めて、筆で「しんにょう」を書き足す――と、『貴族』は『遺族』になった。


「うん、これでいい」


 又六さんが満足げに頷いた時、ちょうど居眠りしていたコンが目を覚ました。

 ふぁぁあ、と大きなあくびをしてから、「あっ」とコンが声を上げる。


「おじいちゃん、だれ?」


 コンはぼうっとした目で、私と又六さんの後ろを見ている。


――おじいちゃん?


 いぶかしく思った私は振り返り、言葉を失った。


「ひいっ!!お、お、親父!?」


 又六さんも悲鳴のような声を上げる。


 なんと振り向いた先には、穏やかそうな笑みをたたえた老人が座っていたのだ。ただ、その身体は半分透けてしまっている。

 霊感のない私にも、それが幽霊だと分かった。そして、彼が又六さんの父親である三郎さんであることも。


 スッと、老人の幽霊は指で示す。

 その先にあるのは、今ちょうど誤字を訂正した本だった。おそらく、生前に老人が書いた推理小説。


 不意に、老人の口元が動いた。

 あいにく声は聞こえなかったが、彼の口の動きは、たぶん……


『ありがとう』


 そのまま老人の幽霊は、霧のように消えてしまった。



 大和宮から少し離れた街道沿いの森の中。

 赤く染まった夕暮れの空の下、四条氷雨しじょうひさめは一本の木にもたれかかっていた。その指先には、この夕陽のように色鮮やかな駒鳥こまどりをとめている。


――ヒンカラカラカラカラ……


 馬のいななきに似た声で駒鳥がさえずる。

 それに耳を傾けるヒサメは「なるほど」「それで?」などと相づちを打っていた。まるで、小鳥と話をしている風に見える。


 それはそうとして、夕陽の中で小鳥と戯れるヒサメの様子はとても絵になっていた。その光景には非現実的な美しさがあり、絵巻物のワンシーンにでもなりそうである。


 ただし、その背後にあるに目をつぶれば。


 ヒサメの後ろ――そこには五メートルはあろうかと思われる巨大な蟇蛙ひきがえるが氷漬けにされていた。事情を知らない者がこの場に居合わせたら、恐ろしく醜いこのアヤカシを見て、悲鳴を上げただろう。


 ややあって、ヒサメの手から駒鳥が飛び立った。彼は去り行く小鳥を見送りながら、ポツリと呟く。


「本当に幽霊騒ぎを解決するなんて、案外使えるじゃないか」


 そのとき、ガサガサと草むらが揺れる音がした。続いて、明るい声が聞こえてくる。


「ヒサメさん。やっぱり、コレでお終いですわぁ。他にアヤカシはおらんみたいです」


 少しなまりのある口調でそう言うのは、長い髪を後頭部の低い位置で一つに結んだ青年だった。美形だがどこか冷たい印象を与えるヒサメと違い、人好きのする笑顔の青年は親しみやすそうである。


「……千景ちかげか。わかった」


 千景と呼ばれた青年は「今日のお仕事終わりやぁ~」と伸びをした。彼は検非違使庁妖犯罪対策部に所属する祓魔師であり、ヒサメの後輩だった。

 本日彼らは、都近くの街道に出るという蛙のアヤカシを退治しにきたのである。


「それにしても、今日はいつもにも増して、術の威力に磨きがかかっていましたねぇ」


 氷漬けになった巨大蛙を見上げながら、千景は感心する。


「もしかして、呪符変えました?腕のいい揮毫士きごうしでも見つけたんですか?」

「……ん?まぁ、そんなところかな」


 フッと、ヒサメの口元に薄い笑みが浮かぶ。


「俺は案外、良い拾い物をしたのかもしれん」

「拾い物?」

「なんでもない。こちらのことだ」

「なんや、よー分からんけど…」


 千景は首を捻りつつ、


「そんなええ揮毫士きごうし見つけたんなら、俺にも紹介してくださいよぉ」


 と申し入れる。それに、ヒサメはパタパタと手を振った。


「ああ、そのうちな。そのうち」

「ええー。それって、絶対紹介してくれへぇんヤツですやん」

「ほら、ぐだぐだ言ってないで帰るぞ」

「ちょっとぉ!ヒサメさんのどケチ!!」


 口を尖らせる千景を無視して、ヒサメは歩き出す。数歩進んでから、彼はパチンと指を鳴らした。


 その瞬間、


 ピシッ、ピシッ、ピシッ――。


 氷漬けされた大蛙に無数の亀裂が入ったかと思うと、


 カンッ――ガラガラガラガラッ


 甲高い音共に、氷が砕け散った。



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