第24話 幽霊(壱)

「えっ?幽霊ですか?」


 突然切り出された幽霊話に、私はポカンとしてしまった。

 何かの冗談だろうか。そう思ったが、相談者である豆腐屋の主――又六さんは真剣そのもの、心底困り果てた顔をしていた。


 又六さんは四十半ばの男性で、妻のおよしさんと共に豆腐屋を切り盛りしている。

 私とコンがヒサメの元に行く前、まだ左京の裏長屋に住んでいた頃は、この豆腐屋でよく買い物したものだ。


 四条の屋敷から又六さんの店は少し距離があるため、しばらくご無沙汰だった。だが、コンが「ここのおあげさんが一番おいしい」というので、今日は久しぶりに足を運んだ次第である。


 それで、又六さんとお芳さんに近況報告などをしていたところ、いきなり幽霊話になったわけだ。

 なんでも、二人の家に幽霊が出るらしい。



「ありゃ、春先に死んだ親父だ。親父が化けて出ているんだ」

 

 又六さんが深刻そうにそう言うが、私には霊感というものがないせいか、幽霊と言われてもイマイチピンとこない。

 しかし、アヤカシなんて不思議な生き物がはびこるこの異世界だ。幽霊くらいいても、おかしくないのかもしれなかった。


 とりあえず、「大変ですね」と私は言ってみた。


「そこでハルちゃんにお願いがあるんだ!どうか、親父の幽霊を成仏させてくれないだろうか?」

「えっ、私?」


 自分で自分を指さす私に、コクコクと又六さん頷く。


「私にそんなコトできませんよ!できるわけがありません!そういうのって、お坊さんとかの仕事なんじゃ……」

「だって、弟のコンくんは、あの四条お祓い屋の弟子になったのだろう?そのツテで頼むっ!この通りだ!」

「……」


 なるほど。どうして、いきなり又六さんが幽霊話などしだしたのか……話がつながった。

 近況報告をするとき、コンがヒサメに才能を認められて弟子入りした――と話したのだ。


 なお、コンが実はアヤカシで……なんて言うと、ややこしい話になるため、そこは伏せている。

 まぁ、コンはあの男の下で修業しているわけだから、弟子入りしたというのは、あながち嘘じゃないだろう。



 それにしても、困ったことになってしまった。まさか、又六さんに幽霊事件を相談されるとは……。

 ここで何よりの問題なのは、ヒサメが又六さんの依頼を受けてくれるかどうか――という点である。


 又六さんの豆腐屋は味の良さから繁盛しているが、それでも大店には程遠い小さな店だ。ヒサメに除霊を依頼したとして、そう大金を差し出せる懐具合には思えなかった。

 では、たとえ報酬が少なくとも、困っている人のために一肌脱ごう――なんてヒサメが考えるかというと……


――無理だよねぇ。


 あの男が自分の利になること以外で動くとは、私にはとても思えないわけで……。

 ただ、そんなことを幽霊騒ぎで心労が重なっている又六さんに言うのははばかられた。


 はて、どうしたものかと、私は腕を組んで考える。

 そのとき、後ろから声が掛かった。


「ごめんね、ハルちゃん。うちの人が無理言って」


 私たちの会話に割って入ったのは、豆腐屋の女将のお芳さんである。


「お芳さん…」

「でも、うちの人。本当に参っているみたいなのよ」

「それは……分かります」


 心なしか又六さんは頬がこけ、以前よりも痩せてしまった気がする。


「どうにかして、天才祓魔師様にお願いできないかねぇ」

「えっと、ヒサメ様はお忙しいので何とも…」

「それじゃあさ!ハルちゃんと一緒に、アタシが直接頼みに行こうかね」

「えっ、お芳さんが?」


 驚いて尋ね返すと、お芳さんは身を乗り出して言う。


「ああ。うちの人がこんなんじゃ、心配だからねぇ」

「でも、せっかく来てもらっても、無駄足になるかも…」

「そのときは仕方ない。諦めるよ」


 よほど又六さんのことが気がかりなのか、お芳さんは熱心に言い募る。

 その熱意に押されて、私は彼女をヒサメに取り次ぐため、四条の屋敷に連れて行った。



 四条の屋敷まで戻ってくると、チチチッ……と塀越しに小鳥の鳴き声が聞こえてきた。

「可愛らしい声だねぇ」とお芳さんが目を細める。


「家人が庭で餌付けをしているんですよ」


 おコマさんは鳥が好きなのか、よく庭に粟稗や植物の種などを撒いている。そのせいで、この屋敷には野鳥がよく訪れた。

 今の鳴き声の主も、そんな一羽だろう。


 そのままお芳さんを連れて、私は門まで回った。

 すると、なんとそこにヒサメ本人が佇んでいるではないか。

 家の中まで呼びに行く手間が省けて助かるが、あまりにもタイミングが良い。まるで、私がお芳さんを連れてくるのが分かっていたようにも思える。


――まさか、誰かに私を監視させている……とか?


 私が疑心暗鬼になっていると、横で「わぁ」とお芳さんが歓声を上げた。


「相変わらず、美男子だねぇ」


 嬉しそうな様子のお芳さんを見て、私は「あれ?」と内心首を傾げる。


――もしかして、お芳さん。ヒサメに会いたいために、付いてきたんじゃ……。


 そんな疑念がよぎってしまうくらいに、お芳さんは浮かれていた。

 そのとき、ヒサメが私たちに気付く。


「お帰り。おや、お客さんかい?」


 優し気な笑みを浮かべてこちらに手を振るヒサメ。ソレを見て、私はぶわっと鳥肌が立った。


 普段、ヒサメがこんな綺麗な笑顔を私に向けてくることは、まずない。この場合、お芳さんという第三者がいるからだろう。

 それにしても……


――外面が良いにも程がある!猫かぶりなんてものじゃないっ!!


 げんなりする私を尻目に、ヒサメと挨拶を済ませたお芳さんは、幽霊騒ぎのことについて相談していた。

 相変わらず、弾んだ声だったが、一応又六さんが心配なのも本当のようで、相談内容自体はきちんと説明している。


 一通り、お芳さんの話を聞いた後でヒサメは言った。


「それはそれは…大変でしたね」


 憂いを帯びた表情でそう口にするヒサメは、心の底からお芳さんを心配しているようにも見える。

 だが、短い付き合いであるものの、この男の性格を知っている私は思った。


――演技だ!それも役者顔負けの!


 もはや、お祓い屋をやめて、役者に転職した方が良いのでは?そう思ってしまう。


「はい。アタシも主人も、ほとほと困っていまして…」

「そうですよね。どうにかしてあげたいのは山々なのですが……」


 表情を曇らせ、ヒサメは悲し気に目を伏せる。


「今は仕事が詰まっていまして。女将さんのお力になれそうにはなく……すみません」

「いいえっ!そんな、滅相もない!こちらが無理を言ったんですから、どうか謝らないでください!」


 慌てつつも、お芳さんは感に堪えないという面持ちだった。

 もしかしたら、彼女は頭の中でこんなことを思っているかもしれない。

 こんなにも真剣に考えてくれ、さらに心を痛めてくれるなんて!ヒサメ様はなんてお優しい方なのだろう――と。


――依頼を断っても、自分にヘイトを向けない処世術はすごいなぁ……。


 もはや呆れを通り越して感心していると、ヒサメがこんなことを言い出した。


「しかし、このままでは忍びありません。は無理ですが、を貸しましょう」


 優秀な弟子……って、誰のことだ?ロウさん?それとも、コン?

 私が不思議に思ってヒサメを見ると、ばっちり彼と目が合った。その一瞬、ヒサメの口元が歪み、ニヤリと邪悪な笑みになる。


――こ、これは悪い予感……。


 後ずさりする私に、すぐに追撃がやって来た。


「そこにいるハルが女将さんの役に立ってくれるでしょう」

「えええっ!?」

「こらこら、何を驚いている。安心してください。これでも彼女は優秀な弟子で――」


 素っ頓狂な声を上げる私をいさめながら、ヒサメはいけしゃあしゃあと嘘を吐く。

 ソレに騙されて、「あら。ハルちゃんもお弟子さんなのかい?」とお芳さんは目を輝かせた。


 ちょっと待て、待て、待て。待って! 

 誰が誰の弟子だって?

 まさかこの男、本気で私に幽霊をどうにかさせるつもりなのか?


 もしそうなら、たまったものではないと私は声を上げる。


「私はただの召使いです!弟子なんて、そんな恐れ多――っ」

「何を言うんだ?自信を持つんだ」


 私の言葉を遮って、ヒサメは大げさな身振りをした。


に習って一生懸命、呪符の勉強をしているじゃないか」

「それとこれとは別で……っ」


 不意に、ヒサメが私の肩に手を回し、耳にその口を近づけた。

 彼はお芳さんには聞こえない程度の声音で囁く。


「面倒なヤツ連れてきてんじゃねぇよ。お前自身で何とかしろ」

「――!!」


 私はまじまじとヒサメの顔を見た。彼はサッと、私から身を離しながら言う。


「ハルは初めての仕事で不安なのだろう。ならば、を用意してあげるよ」


 そして、先ほどの低い声が嘘かと見間違うような、優しい微笑みを浮かべるのだった。



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