第23話 呪符(弐)
「ヒサメ様っ!すごいっ、すごいです!!」
「あ~」
興奮冷めやらない私に対して、ただただローテンションなヒサメ。
そんな私たちは、四条の屋敷の一角にある小さな蔵に居た。これまでほとんど使っていなかったというこの蔵には今、外の真夏の暑さとは打って変わって冷たい空気が漂っている。
まさに、現代日本で言うところの冷蔵庫だ。
蔵の中は外気温に比べて、元々涼しいとはいえ、この冷たさは異常である。もちろん、これにはカラクリがあった。
氷の力を宿した呪符をヒサメに使ってもらい、この蔵に凍える風を吹かせてもらっているのである。
「これだけ冷たければ、食材が痛みませんね!本当にすごいっ!」
「こんな程度のことで、そんなに喜ぶのか……?」
不可解そうに首をかしげるヒサメだが、こんな程度 とはとんでもない。
この家の食卓を預かる者として、一番怖いのは――そう、食中毒だ。
今は夏真っ盛り。
現代日本と違って冷蔵庫などがないこの異世界では、気を付けていてもすぐに食材や料理が傷んでしまう。
そこへきての異世界版冷蔵庫の登場だ。感動しないわけがなかった。
さらに至れり尽くせりなことに、ヒサメは冷気の温度を調節して、蔵の場所によっては冷凍庫並みに冷える箇所まで設けてくれた。
なんて優秀なのだろう!天才祓魔師という評されるのは伊達じゃなかったということだ。
私はこれまでになく、ヒサメに対して感心していた。
――これなら、氷も作れる!今日は何か暑い夏にぴったりの夕食にしたいな!
ワクワクと、私は今宵の献立に思いを巡らせた。
*
ところで、以前「今日から俺の分の飯も頼む」とヒサメは口にしたが、どうやらアレは本気だったようだ。
その日から、ヒサメは私の作った食事を宣言通り食べ始めた。
黙々と料理を口に運ぶヒサメを目にしたおコマさんは「坊ちゃんが他人の作ったものを食べるなんてっ!」と感動し、瞳を潤ませていた。
私としては、あれだけ毒を警戒していた男が普通に食事をしているなんて、信じられない気持ちだったのだが……。
そんな私に、ロウさんが小声で教えてくれた。
「……あの朝の飯。あれがたいそう、美味かったみたいです」
それは貴族警護の一件で、朝帰りのヒサメが食べた食事のことを指していた。
何の変哲もないおむすびと味噌汁がその食事内容で、こんなものに心動かされたのかと私は意外に思った。
ヒサメが私の作ったものを食べるにあたって、実は私は色々と身構えていた。彼の分の食事を作るのは構わないが、料理に面倒くさい注文をつけられたら嫌だと思ったからだ。
幸い、これは杞憂だったようで、今のところヒサメは出されたものには文句を言わず、食事を完食してくれている。
ただ例外として、昆虫食だけは受け付けないようだ。
イナゴや蜂の子の佃煮など、食卓に出るだけでヒサメは嫌そうな顔をした。このあたりは、現代日本人みたいである。
一方、前世が現代日本人である私はというと、神白子村で昆虫は貴重なタンパク源だったため、昆虫食は食べ慣れていた。
――食卓に出さなくても良いんだけれど、おコマさんの好物なんだよねぇ。
たおやかな見た目に反して、彼女は昆虫食が大好きだ。だから、彼女の膳にはよくイナゴの佃煮をつけている。
ヒサメはそれを見て眉をひそめるが、「こちらに近づけるな」と言うだけで、料理を下げろとまでは言わない。
そうそう。ヒサメの食事の件で意外だったのが、もう一つ。
それはヒサメが当然の顔で、皆と一緒の食卓についていることだ。
本来、主人と召使いが同じ席で食事をするなんてあり得ないことだろう。だが、その点について彼は全く気にしていない様子だ。いつの間にか、五人で食事をとるのが当たり前の光景になっていた。
さてはて。
本日の夕食は
きゅうり、ミョウガ、ネギ、ショウガ、大葉――どっさり薬味をのせ、さらに茄子の煮びたしをトッピングする。大きな茄子にはしっかり味がしみこんでいて、食べ応えがあるはずだ。
私ならこれで十分だが、この屋敷には育ち盛りのコンと、いつも食欲旺盛なロウさんがいる。素麺の他に、梅とかつおぶしの混ぜご飯をおむすびにしておいた。
「このそうめん、すごく冷たい!」
つるりと一口食べるなり、コンが声を上げる。
そうだろう、そうだろうと、私は内心ニヤリとした。
素麺は氷水でしめたし、めんつゆも冷やしておいた。
どれもこれも、ヒサメが用意してくれた冷蔵庫のおかげだ。普通なら、夏場に氷なんて庶民はめったにお目にかかれない。
のど越しが良く、冷たくさっぱりとした素麺は皆から好評だった。
蒸し暑い夜に冷たいそうめん。
現代日本では、なんてことなかった夏の風物詩だが、この異世界ではとんでもなく贅沢な食事である。
――氷を使って、他に何を作ろうか。
私の頭の中で夢が膨らんでいく。
ちなみに、この氷。井戸水を一度沸かし、それから冷やしたものだ。
大和宮では、生水は良くないと思われている。俗に言う「水に当たる」というやつで、水は一度沸かすことが推奨されていた。
水一つ飲むのに、わざわざ火を起こさないといけないのは面倒だが、現代日本のように水道が整備されているわけでもなければ、神白子村のように清流が流れているわけでもないのだから仕方ない。
――かき氷なんてどうだろう?
これも夏の風物詩の一つだ。
削った氷の上に、甘くとろりとしたシロップをかける。
猛暑の中、食べるソレは至福に違いない。絶対に、コンが喜ぶヤツだ。是非とも食べさせてやりたい。
私はアレコレと美味しい夏の風物詩を思い描く。
そんな私の元に、もう一つの風物詩がやって来たのは、それから少し経ってからのことだった。
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