第22話 呪符(壱)

 相変わらず、ヒサメは私に呪符の作製を命じていた。

 ヒサメからの手ほどきを受け、今では二種類の呪符を私は書くことができるようになっている。

 氷の力を宿したものと、風の力を宿したものだ。後者は最近、習ったばかりだった。


 日頃の横柄な態度とは打って変わって、呪符についての質問に限り、ヒサメは丁寧に答えてくれる。私の理解力が足りず、説明を聞き直しても嫌な顔一つしない。


――この男の唯一といっていい美徳ではないだろうか。


 そんなことを考えつつ、この日も私はヒサメに風の呪符について幾つか尋ねていた。すると、ヒサメがマジマジとこちらを見つめてくる。

 私は内心ギクリとした。もしかして、心の中の彼への悪態が態度に出ていたのだろうかと焦る。


 だが、ヒサメが口にしたのは予想外の言葉だった。


「お前って、けっこう真面目だよな」

「えっ?」


 突然そんなことを言われ、私は目をパチクリさせた。


「毎度毎度、律儀に呪符の文字や符号の意味を理解しようとしている。理解した上で書いた方が呪符の効力は増すから、こちらにとっては都合が良いがな」

「……意味を理解した方が、何も分からないまま書き写すよりも、書きやすいんです」


 私の言葉は嘘ではない。

 呪符を構成する文字や符号は私にとって不可解な暗号のようなものだが、一度理解すれば、それまでよりもずっと書きやすくなる――それは本当た。


 ただし、私が呪符について熱心に勉強する理由は、もっと別の所にあった。


 ヒサメは利害にうるさい男だ。

 その彼が、時間をかけて私に呪符の知識を与え、私が作った呪符に特別な報酬まで払っている。少なくとも、ヒサメはそれだけの価値を私の呪符に見出しているのだろう。


 ならば、ヒサメ以外の術師にも、私の呪符の需要はあるかもしれない。

 実際、世の中には呪符作りを専門的に請け負う揮毫士きごうしなる職業もあるそうだ。


 今回の貴族警護の一件ではっきりしたが、ヒサメは他人の命を容易く囮にできる鬼畜野郎だ。

 この男の元に居たら、これから先どんな危険が待っているか分からない。いざと言うときは、コンを連れて逃げなければならないだろう。


 そうやってこの四条の屋敷を飛び出した後、必要になってくるのは、食い扶持を稼ぐための手段だ。

 以前のように、人前でコンに幻術を使わせることは避けたい。なにせ、このせいでヒサメという面倒な祓い屋に目を付けられたのだから。


 この異世界で、女が一人で生きていくのは現代日本よりも難しい。そんなとき、揮毫士きごうしのスキルは私の糧になってくれそうな気がした。

 一生食いっぱぐれないようなスキルを手に入れるのは、異世界ここでも現代日本でも重要だ。


 しかも今なら、無料ただでヒサメからそのスキルを学べるのである。

 そう、無料ただで!


 私のやる気が俄然出るのは、当然の成り行きだった。



 ……と、そんな不純な動機はおくびにも出さず、私は真面目な生徒の顔でしおらしいふりをする。


「それよりも要領が悪くて申し訳ありません。ヒサメ様がしてくれる呪符の説明を一度で理解できず、何度も質問してしまって……」

「お前にそこまでは期待していない」


 ヒサメはそうバッサリと切り捨てた。

 だが不思議と、あまりネガティブには聞こえない。


「これは頭の出来の良い悪いの話ではない。そもそも、お前は祓魔師の知識なんて皆無だったわけだ。そんなお前に、一度の説明で全てを理解しろ――だなんて言う方が愚かだろう」

「なるほど」


 人としてどうかと思うところの多いヒサメだが、こういったところは理性的だ。

 そんな彼に、ついでとばかりに私は聞いてみた。


「もう一つ質問が…」

「なんだ?」

「私には神力や妖力はないそうですが」

「ああ、まるでないな。ゼロだ」

「では、私はこの呪符の力を使えないのでしょうか?」


 すると、ヒサメはこちらに聞き返してきた。


「実際に使って試さなかったのか?」


 ヒサメの言葉に、私は戸惑う。


 呪符の作製は私がしているとはいえ、その材料の紙や墨はヒサメの負担だ。

 特に紙は、この異世界では貴重なものである。古紙は回収されるし、手習い塾での文字練習用の紙は、墨で真っ黒になるまで使うのが当たり前だった。


 つまり、それなりの材料費がかかるわけだ。

 呪符を自ら試してみたい気持ちはあったものの、私の勝手で材料を無駄遣いするのははばかられた。


「呪符は一度使うと消えてしまうので、私の興味で材料を消費してしまうのは……。でも、勝手に試しても良かったのですか?」


 それはずいぶん太っ腹なことだと思ってみれば――


「いや、ダメだな」


 即座に否定するヒサメ……って、おい。


「えっと……先ほど使って試せば良いと…」

「良いとは言ってない。試さなかったかどうか、確認しただけだ。もし、ただの興味で材料を無駄にしていたのなら、次回の報酬からその分を引いてやろうと思ってな」

「……」


 くそっ、この男。油断も好きもあったものじゃない。

 閉口する私をよそに、ヒサメは続ける。


「お前が使っている呪符の材料は高いんだ。紙は特殊なこうぞと清流の水を使用しているし、墨も天狗が住む霊山の松を燃やした煤から作っている」

「そういった特別な材料を使わないと、呪符はできないのですか?」

「そういうわけでもない。例えば、お前の特異体質なら、普通の紙と墨でもの物ができるだろうさ」

「なるほど」

「――で、質問は神力のないお前に呪符が使えるか、だったか」


 私が頷くと、ヒサメは懐から一枚の御札を出して見せた。それは、少し前に私が作った氷の力を宿した呪符だ。


「結論から言えば、可能だ。ただし、その使用用途は限られる。例えば、この札をお前が使った場合、赤ん坊くらいの大きさの氷を創り出すことができるだろう。だが、それだけだ」

「ヒサメ様が使うと?」

「俺が新たにしゅを唱えたり、神力を付与したりすることで、それこそ用途は無限大に広がるな。巨大な氷柱を生み出したり、凍えるような風を吹かせたり……な」


 ヒサメの説明を聞いて、何となく分かった。

 つまり、神力のない私では呪符にこめられた基礎的な力しか引き出すことができない。

 一方、ヒサメのような術者なら、呪符を別の力に変換し、いくらでも応用・発展させることが可能――そういうことか。



「残念だな」


 唐突にヒサメが呟いて、私は最初何がなのか分からなかった。


「へ?」

「呪符を書く才能がそれほどあるのに、神力がないから祓魔師にはなれない。もし、少しでも神力があれば、お前は祓魔師として大成していたかもしれんぞ」


 そうヒサメに言われるが、私にはあまりピンとこなかった。

 正直なところ、ないものねだりしても仕方ないと思う。それよりも今、自分にあるものに目を向けるべき……というのが、前世を踏まえた私の持論である。


「呪符の才を貰えただけでも感謝しますよ」

「ふぅん。お前は欲のない類の人間か?」

「まさか。そんな風に悟っていません。ヒサメ様の能力は便利で良いなぁ――とは思いますし」


 例えば、先ほど言及していた能力。凍える風を吹かせるとか。この暑い夏にぴったりじゃないか!

 クーラーもなければ、扇風機もないこの異世界で、それはとても贅沢な力の気がする。


 それに、この家の台所を預かる身としては、季節柄いろいろと気に掛けることは多いわけで……。


「あっ」


 そのとき、ふと私は思いついた。


「あの、ヒサメ様」

「あぁ?なんだ?」

「よろしければ一つ。お願いしたいことが……」


 私が口にするに、ピクリとヒサメの眉がはねた。



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