第20話 警護(弐)
三日後の日暮れ、私が夕飯の用意をしていると、おコマさんに奇妙な頼みごとをされた。
「これをヒサメ坊ちゃんに届けて欲しいの」
「……え?」
差し出されたのは、風呂敷に包まれた小さな荷物だ。
「これをハルちゃんとコンちゃんで、坊ちゃんに届けて欲しいの」
おコマさんが繰り返す。
私とコンは顔を見合わせた。
ヒサメに届け物のお使いなんて初めてのことである。
あの男のことだ。何か、企んでいるのかもしれないと私は内心身構えた。
「ヒサメ様が私とコンを指定したのですか?」
「ええ。坊ちゃんの御命令らしいわ」
「その命令をどうやっておコマさんは知ったのですか?」
「坊ちゃんのところから使いの子が来たのよ」
それを聞いて、私は眉をひそめた。
「お使いの子が来たのなら、その子に頼んだ方が早いのでは?この包みをヒサメ様のところに持って帰ってと」
わざわざ、私たちに頼むようなことでもないと思う。
不審そうにする私をよそに、おコマさんは眉を八の字に下げて笑った。
「う~ん。さすがに重すぎて、あの子では無理よ。だから、二人ともお願い」
――重すぎる……?
私は渡された荷物を確かめる。おそらく、一キロも満たない代物だ。
これを運べないなんて、お使いの子とやらはどれだけ非力な人間なんだ?
不可解な点が多いが、それでも
私とコンは、おコマさんに荷の届け先を聞いて、屋敷を出た。
ヒサメが指定した住所は、二条大路沿いにあった。
二条と言えば、帝が住まう皇宮――これは大和宮の北端の一条北大路にある――にほど近い。
原則的には、皇宮に近づくほど位の高い貴族が住んでいる。
都ができて久しくなると、その辺りの規則はあやふやになってきていたが、おおよその目安になることには変わらない。
つまり、二条大路付近ともなれば、位の高い貴族が住む高級住宅地なわけだ。普通なら、庶民である私が足を踏み入れることのない場所である。
今宵も、ヒサメは件の貴族の警護に当たっているはずだ。ならば、荷の届け先はその貴族の邸宅かもしれない。
「その荷物。中身はなぁに?」
「さぁ?何だろう?」
「たぶん、大事なものだよね?わざわざ、ボクらに持ってきて欲しいんだもの」
コンが言う。彼は全く、ヒサメのことを疑っていないみたいだ。
一方で、私はコンほど純粋無垢ではない。あの男のことだ、やはり何かあるという
疑念はもはや確信めいていた。
そうこうしているうちに、私たちは目的地にたどり着く。
門番に四条氷雨の使いだと告げると、元から話が通っていたのか、簡単に屋敷の中へ案内された。
大きな庭には、ちろちろと水が流れる遣水と池、その周りに四季折々の草木が配されている。雑草だらけのヒサメの屋敷とは雲泥の差の美しい庭園だった。
そこを抜け、母屋まで行くと、見知った顔があった――ヒサメである。
「ご苦労様、よく来てくれたね」
輝かしい笑顔で私とコンを出迎えるヒサメ。それを見て、私は唖然とした。
――誰だ、コイツ。
私たちを優しく出迎え、労をねぎらう様子は、四条の屋敷にいるときとは別人のようである。その得体の知れなさに、私は肌がゾワゾワした。
早くお使いを終わらせて、この場から立ち去りたい。そう思った私は、おコマさんから預かった荷物をヒサメに押し付けるように渡す。
すると、不意に私は腕を掴まれた。掴んだのは、もちろんヒサメだ。
グッと腕を引かれ、間近にヒサメの顔が迫る。
奴は私の耳元で囁いた。
「ありがとう」
慌てて身を離す私を見て「ハル。顔が真っ青だよ」とコンが目を丸くする。
普段と違い過ぎて、今のヒサメは本当に気持ち悪い。そりゃ、顔色も悪くなるというものだ。もはや、私は全身に鳥肌を立てていた。
「……おい。ここは普通、顔を赤くするものだろう?」
ここでやっと、ヒサメの貼り付けられたような笑みが崩れ、彼は眉を寄せる。
だが、咳払い一つすると、ヒサメはまた綺麗な微笑みを浮かべてみせた。それを見て思わず「うっ」と私は後ずさる。
「気を付けてお帰り」
「し、失礼いたします」
私は頭を下げると、逃げるようにその場を後にした。
*
帰り道、陽はとっくに沈んでいた。
ただ、月の明るい夜だったため、
「ハル。本当に大丈夫?」
「うん、もう大丈夫」
心配そうに私を伺ってくれるコンは、本当に優しくていい子だ。こちらに含むところがない。
一方で、先ほどのヒサメ。あの男には含むところしかなかった。
――あの男、いったいどういうつもり?
私へのあの態度。絶対に何か企んでいるはずだ。そしてソレは、私にとっては面倒ごとでしかない気がする。そんなものに巻き込まれるのは真っ平ごめんだった。
「コン。早く屋敷に帰ろう」
急かしたそのとき、「ハルッ!危ないっ!!」とコンが私の腕を思いっきり引っ張った。
不意のことで私は転び、尻もちをつく――と、その頭上を節くれだった巨大な脚が通り過ぎて行った。
「…へ?」
未だ状況ができない私の前に、見上げるような大きい何かが立ちふさがる。
それは二メートル以上の巨大な蜘蛛だった。
ただし、その顔は人のソレに近く、胴体部分には黄と黒の縞模様の毛が生えている。
――コレ!まさか、ヒサメが言っていた貴族を襲う
なんでこんなモノが私の目の前にいるのかと、文句の一つでも言いたかったが、今はそれどころではない。
「コン、逃げるよっ!」
腰を抜かしそうになりながらも、何とか起き上がり、私はコンを連れて逃げようとする。だが、隣にいるはずのコンを見て、私は呆気にとられることになった。
「えっ……?」
そこに、狐色の髪の小さな少年はいなかった。
いたのは、仁王立ちしている大熊だ。
大きさは、蜘蛛と同じくらい。背も高いが、腕も丸太のように逞しい。
いつの間にか、怪物が二体に増えてしまった。もうお終いだ――そう思ったところで、私はハッとした。
この大熊、どこかで見たことがある。
そうだ、アレは……ヒサメが私からコンを奪って、連れ去ろうとしたときのこと。抵抗のため、コンが変化したのが――。
――もしかして、この熊は……コン!?
そんなことを私が考えていると、ブンと大熊はその太い腕を勢いよく振るった。蜘蛛はまともに熊の拳を受けて、吹き飛ばされる。近くの屋敷の塀にまともにぶつかり、衝撃でガラガラと土の壁が崩れてしまった。
これは大蜘蛛もひとたまりもないだろう。
そう思ったのも束の間、よろよろと大蜘蛛は瓦礫の下から起き上がった。そして、鬼の形相で大熊――コンを睨みつける。
ビョン――と蜘蛛がこちらをめがけて飛び上がった。その巨体からは考えられないくらいの素早さで、詰め寄ってくる。
さすがにコレは、コンにも対応できないのではないか。
「コン!逃げてっ!」
そう私が叫ぶのと、蜘蛛が空中で凍結するのとは同時だった。
その瞬間を目の当たりにして、私はポカンと大口を開ける。
非日常の連続で、とうとう私の目はおかしくなってしまったのだろうか……?
だが、何度瞬きしても、目の前の光景は変わらない。
大蜘蛛は今にもこちらに飛び掛からんとする迫力そのままに、氷漬けにされ、オブジェと化していた。
――いったい、何が起こったの?
状況が全く把握できず、私がオロオロとしていると、
「無事だったか」
月明かりの下、白い狩衣が夜の闇に浮かび上がる。
気が付けばそこに、偉そうに腕を組んだヒサメが佇んでいた。
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