第18話 文字霊(肆)
いったい、どんな折檻を受けるかと思ったが、ヒサメが私に命じたのは意外なことだった。
それは呪符の作製である。
この呪符というものをヒサメは仕事でよく使用するらしい。
呪符作製には、鍛錬の他に、それなりの労力も必要であるとか。自分で作るのが面倒な彼は、いつも他の術師から呪符を購入しているとのことだった。
その代わりを私にさせようというのである。
「いくらなんでも、ど素人の私に代わりが務まるとは思えません。品質は落ちるだろうし、そもそもさっきの御札がまぐれだった可能性も…」
そう反論してみたが、ヒサメは私の訴えなど聞こえていないようだ。
「物は試しだ。やるだけやってみろ」
――なんて、無茶苦茶なことを言う。
結局、私は彼に従うしかなかった。
呪符の作製にとりかかる前に、私はヒサメから簡単な講義を受けた。
ちなみに、気が散って邪魔だからとコンたちは居間から退散させられている。
これから作製する呪符は、氷の力を宿したもの。
私には意味不明の記号としか映らない文字の一つ一つについて、それらがどのような意味を持つのかヒサメが解説してくれる。
その説明について疑問を覚えれば、意外にも彼は丁寧に答えてくれた。
「そもそも、ココに使われている文字はどこの言葉なんですか?」
「色々混じっている」
「色々?」
「大陸から伝わった宗教や、この瑞穂の国に元からあった山岳信仰に、神道……もちろん、仏教の影響も受けているな」
「……そんな混ぜこぜ状態で良いんですか?」
「ちゃんと機能するんだから問題ないだろう」
ヒサメの物言いは、実にあっけらかんとしたものだった。
彼には特に信仰する宗教もないようで、「使えればそれで良し」というスタンスのようだ。
そう言えば、この異世界は現代日本と比べて、神道と仏教が融合・同化しているように思う。いわゆる、神仏習合というやつだ。
神社の本殿に仏像が祀られていたり、寺の境内に神殿が構えられていたりする。
――まぁ、現代日本も色んな宗教が混ざり合っていたっけ。クリスマスを祝って、年を越したら初詣に行くもんなぁ。
その辺りは、元々が多神教ゆえの緩やかさなのかもしれない。
さて、思いのほか親切にヒサメは呪符について教えてくれたが、私はその半分も理解できたか怪しかった。
それでもヒサメが「書け」と促すので、言われた通りにする。手本の呪符を凝視しながら、真っ新な札に文字や符号を書き写していった。
やがて、呪符の写しが一枚できた。ソレをヒサメが真剣な表情で検分する。
ヒサメの解説のおかげで、心なしか初めて書き写したときよりも上手く書けたような気がする……が、そんな気がするだけかもしれない。
緊張しつつ、ヒサメの反応を待っていると、彼は「フン」と鼻を鳴らした。
それを見て「やはり」と私は思う。私みたいなど素人に呪符の作製など、無理だったのだと。
しかし、ヒサメの口から出たのは予想外の言葉だった。
「よし。じゃあ、これを五十枚ほど書いておけ」
「は……はいっ!?」
危うくそのまま返事しそうになって、私は慌てた。驚きのあまり、声が裏返る。
今、この男……何と言っただろうか?私の耳がおかしくなったのか?
「あ、あの…っ!これを五十枚書けとおっしゃいましたか?」
「ああ、言った」
あっさりと頷くヒサメ。
どうやら、私の耳は正常だったようだ。つまり、おかしいのはヒサメの頭である。
「コレ書くの、間違えないよう神経を使って、かなり疲れるんです。時間もかかります。とても五十枚は……」
「気疲れ程度なんだ。本来なら、自分の神力を札に注ぎながら書くんだぞ。それでやっと、文字に神気が宿る。でも、お前はただ間違いないよう書けばいいだけだろう?」
そんなもの大した労力でもないと言いたげなヒサメの態度に、私は返す言葉が見つからず、パクパクと鯉のように口を開閉させた。
「とにかく、これは命令だ。五十枚、しっかり呪符を作っておくように」
それだけ言うと、ヒサメはくるりと私に背を向けた。
そのまま彼は、居間から出て行ってしまう。
――このっ、×××めっ!!
遠ざかるヒサメの背中を睨みながら、私は自分が知りうる限りの罵倒を思い浮かべる。しかし、結局のところ。しがない召使いの身では、それを口に出すことは叶わなかった。
*
「お……終わった…」
次の日の夜、私はうめくようにそう言った。
身体と頭が疲れ果てて、ぐったりしている。
食事の用意以外は、ずっと例の呪符作りをしていたのだから無理はない。
ヒサメは「気疲れ程度なんだ」と言っていたが、呪符に書かれている文字は複雑なものが多く、間違いないようにするには、神経をすり減らすような集中力が必要だった。
しかし、何とかヒサメに命じられた呪符五十枚を仕上げることができた。
果たしてこれが、ヤツのお気に召すかどうかは分からないが、もはやそんなこと知ったことか……という心境である。
「嫌なことはさっさと済ませてしまおう」
私は作製した呪符を手に、ヒサメの部屋に
ヒサメの部屋は、この屋敷の奥まったところにある。障子越しに声を掛けると、「なんだ」と不愛想な返答があった。
「呪符を持ってきました」
「……なんだと?」
バタバタと物音がしたかと思うと、障子が開く。そこにいたヒサメは少し驚いた表情をしていた。
「五十枚、仕上げたのか?」
「はい」
私は手に持っていた呪符の束をヒサメに渡す。彼は疑り深そうな目で、その場で一枚ずつ確認し始めた。
――私の仕事ぶりを怪しんでいる?そこまで露骨に疑わなくてもいいのに……。
やれやれと思っていると、私の視界にヒサメの部屋の様子が入ってきた。
そこは書物や巻物でいっぱいだった。書架に入りきらなかったそれらが、床に積み上げられている。
かなり散らかっているが、おコマさんはこの部屋を片付けたりしないだろうか……?
「なるほど。五十枚、ちゃんとあるな」
「はい」
「適当に済ませたわけでもないらしい」
「……仕事ですから」
「しかし、どうしてこんなに急いで終わらせたんだ?」
「えっ」
ヒサメが不思議そうに言うので、私は目を瞬いた。
「だって、ヒサメ様が呪符を作れと…」
「別に俺は一日で片付けろとは言ってないだろう」
「……」
――そうだったっけ?
私は記憶をたぐりよせる。
あの時の会話。
「気疲れ程度なんだ」という態度のヒサメだったので、「呪符作りくらい、とっとと済ませろ」という意味合いも含んでいたと思い込んでいたけれど……。
確かに、ヒサメは期限について言及していなかった――かもしれない。
どうやら私は早とちりで、急がなくていい仕事を、根を詰めて済ませてしまったらしかった。
思わず頭を抱える私を見て、ヒサメは鼻で笑う。
「お前、
私は口をへの字に曲げた。
そんなこと、この男に指摘されずとも分かっている。
「いや、しかし。俺は良い拾い物をしたかもな。ただの飯炊き女かと思ったが、中々使える」
私を値踏みするように、こちらを見下ろすヒサメ。
――自分は料理一つ作らないくせにっ!飯炊き女なんて――なんて言いようだ!
ヒサメは、世の中の食事を作ってくれる全ての人間に謝るべきだ、と思った。
こんな奴がモテるなんて間違っている。皆、顔に騙されているんだ。
「では、失礼します」
これ以上、ヒサメの前にいるとあらぬ暴言を吐いてしまいそうだ。それを自覚した私は、早々にこの場から立ち去ることにした。
すると、後ろから声が掛かる。
「待て」
「……はい」
ヒサメは一度、自分の部屋へ引っ込んでいった。何かを探しているような、ガサガサと物音がする。
――また、面倒事を押し付けられた嫌だなぁ。
そんな風に戦々恐々としていると、ヒサメが何かをこちらに投げてよこした。
条件反射でそれを受け取ると、チャリンとお金の鳴る音がする。小さな麻の袋が私の手の中にあった。
「えっと…中身を見ても?」
「ああ」
ヒサメの了承を得て、私は袋の中身を確認する。
予想通り、そこにはお金が入っていた。しかし、その金額は思った以上だ。この屋敷で召使いとして働く際に提示された額よりも、ずっと多い。
「あの、金額を間違っていませんか?そもそもお給金を貰うのは、まだ先のはずで…」
「違う違う。それは召使いとしての給金じゃない。その呪符の報酬だ」
「ええっ!?」
私は驚いて声を上げた。
まさか、呪符作製で報酬が貰えるなんて予想していなかったのだ。
「いいんですか!?」
「良いも何も、契約外の仕事をさせたんだ。別途、支払うのは当然だろう」
「ありがとうございますっ!」
なんと嬉しいサプライズ!私は小躍りしたい気持ちだった。
「これからも、ちょくちょく呪符作りを頼むから、そのつもりでいろ」
「はいっ!」
私はウキウキ気分で、ヒサメの部屋を後にした。思わず、スキップでもしたくなるくらい浮かれてしまう。
――もしかして、案外悪いヤツではないのかも?
現金なことに、そんなことまで考えてしまう始末だった。
もっとも、ソレが簡単に
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます