第17話 文字霊(参)
「お前っ、いったい何をした?」
ヒサメにそう詰め寄られて、私は目を白黒させた。
――状況がイマイチ呑み込めない。
ヒサメは仕事場から帰宅するや否や、大股でこちらにやって来ると、私にすごんできたのだ。しかし、私にはどうして彼が怒っているか分からない。
私を睨むヒサメを見て、コンとおコマさんは不安そうな顔をし、ロウさんは困ったように眉を下げている。
――私、何かやらかしたっけ?
記憶を辿るが、心当たりはなかった。
そんな私に焦れたのか、ヒサメが右手を突き出す。そこには、しわくちゃの紙が握られていて、私はソレを問答無用で押し付けられた。
「これは…?」
「中身をよく見ろ。見覚えがあるだろう?」
私はぐしゃぐしゃになった紙を広げて読む。それは手紙のようだった。
その内容を見て、私はハッとする。文章と文字に見覚えがあったのだ。
つい先日、私が代筆したヒサメへの
「これはコマの文字じゃない。書いたのは、お前だろう」
「…はい」
どうやら私が代筆してしまったことが問題のようだと、ようやく悟った。しかし、どの点が問題なのかは未だ不明。
文字自体は、結構上手く書けたと思うし、おコマさんも「ありがとう!これなら大丈夫よ」と太鼓判を押してくれたのだが……。
「…ッチ。ついてこい」
「はい」
私は大人しく従う。
いくら自分では上手く書けたと思っても、代筆はおコマさんじゃなければいけなかったのだろう。悪いのは、確認をとらなかった私だ。
問答無用で私からコンを奪ったこの冷血漢に、どんな
「坊ちゃん、私がハルちゃんに代筆を頼んだんです。だから、彼女を責めないで!」
「ご主人さまっ!ハルにひどいしないでっ!」
おコマさんとコンがそれぞれ追いすがるが、その一切をヒサメは無視した。
私は二人の優しさに感謝しつつ、粛々とヒサメの後に従った。
*
「これを書き写してみろ」
居間に入るなり、ヒサメは私に御札を突きつけた。
一枚はまっさら、何も書かれていない白い札。
もう一枚は……なんじゃこりゃ?私は首を捻った。
御札にはびっしりと文字のようなものが書き込まれている……が、それは私が見たことのない言語だった。円や線で形作られた、特殊な図形にも見える。かと思えば、普段私たちが使っている漢字を崩したようなものも混じっていた。
ようは、よく分からない。
「もしかして…この御札の内容を書けと?」
「それ以外に何がある。さっさと、やれ」
「はぁ…」
命令されては嫌とは言えない。
私は訳も分からないまま、筆や
書いている内容が分からないため、文字を書いているよりは、意味不明の記号を模写している気分に近い。
それでも、この御札は「氷」や「冷たさ」に何か関係があるのかもしれないと思った。見慣れない記号の中に、それらを
私は時間をかけて御札を書き写した。
その間も、ヒサメはジッとこちらを監視していて、そんな私たちをコンやおコマさんがハラハラした様子で見守っていた。
やがて、御札の写しを書き終えた。
「できました」
「見せろ」
ヒサメは私の手から御札を取り上げると、なめるように検分し始めた。場の緊張感はピークを迎え、私は手がじわりと汗ばむのを感じる。
やがて、ヒサメは口角を吊り上げた。
「間違いない。この札の文字には『神気』が宿っている。おい、お前」
「はい」
「この札に何が書かれているか、理解できたか?」
「いいえ」
私が首を横に振ると、「だろうな」とヒサメは笑った。
明らかに馬鹿にしている笑い方だが、この男の一挙一動にいちいち腹を立てていては身が持たない。私はそのまま話の続きを待つ。
「この札はいわゆる『呪符』というものだ。祓い屋や祈祷師、坊主なんかもよく使う。まぁ、実際に見せた方が早いか」
言うなり、ヒサメは私が書いた御札を宙に放った。
すると、黒い墨で書かれてあったはずの文字が、青く光り出す。青い光は炎となって御札を包み込み、自ら発した炎に焼かれる形でソレは宙で燃え尽きた。
そのときだ。
室内に凍えるような風が吹き抜ける。
「へっ?」
私は目を見張った。
なにせ、今は夏。いよいよ猛暑到来という時期である。
屋内でじっとしていても、自然と汗をかく季節だ。
それなのに、現在進行形でどこからともなく吹き付けてくる風は冬の木枯らしのようで、私は身震いした。
「ほんの一例だが、これが呪符の力だ」
どうだ、すごいだろう?そう言わんばかりのヒサメ。
確かにすごい。すごいが…夏に寒さで震えるという妙な状況はいただけない。ハックション、と盛大なくしゃみを飛ばしたのはコンだろうか。
そうこうしている内に風が止み、また暑さが戻ってきた。
「札に書く文言によってその効力は変わるが、そっくりそのまま書き写したからといって、札に力が宿るわけじゃない」
「そっくりそのまま書き写しただけなんですけれど…」
「そう。本来なら、おかしな話だ。呪符の作製には、それなりの修行が必要。それでやっと、文字に力――『神気』が宿る」
「神気……」
そう言えば、先ほどもヒサメはそんなことを言っていた。
「どうやらお前の書く文字には、自然と神気が宿るようだな。生まれ持った性質か……。お前自身は神力も妖力もないのに不思議な話だ」
「はぁ…」
「鈍いヤツ。イマイチ、ピンと来ていないようだな」
散々な言われようだが、確かにピンとは来ていない。
神気や神力、妖力なんて言われても、私は門外漢でよく分からなかった。
「お前、言霊というものを知っているか?」
「それなら…。言葉に宿る神秘的な力のことですよね?発した言葉が、その通りの結果になって現れたりするっていう」
「そうだ。お前の場合は、それの文字版だな。文字霊とも言うべきか」
「そんな力が私に?」
にわかには信じられないことだ。
前世でも今世でも、自分に特別な力があるなんて思ったことはない。身に覚えのない話である。
そう私は思っていたのだが、ここでコンが会話に入ってきた。
「そういえば、ボクらが道ばたで見せモノをやっていたとき、ハルの書いたカンバンを見て、お客さんたちは足を止めていたよ。それでボクの芸も見てくれたんだ」
コンの話を聞いて、私も「あっ」と思い出した。
大道芸のとき、『新感覚 動く御伽噺』なんて題うった看板を用意したっけ。確かに、アレは通行人の目を引いたようにも見えたけれども……?
「神気が宿った文字には人を惹きつける力があるからな。今回、お前が勝手に代筆した手紙だってそうだ」
「もしかして、あの手紙にも何か効果が…?」
私が伺うと、ヒサメはうんざりしたように顔をしかめた。
「文字にこめられた神気のせいで、手紙が女たちの琴線に触れてしまったらしい。俺を恋い慕う気持ちが止まらなくなって、職場まで押しかけて来た。手紙を送った三人のうち、二人もだ」
じろりとヒサメが私を睨んでくる。
よもや、そんなことになっていたとは……ついぞ知らなかった。
「しかも、その二人が居合わせて、とんだ修羅場に」
「……」
「……お前、まさか『いい気味だ』なんて思ってないよな?」
内心ぎくりとしつつ、私は真顔で「まさか」と首を左右に振った。
「舌先三寸で宥めすかして、何とか女共を帰らせたが……疲れた」
「それは申し訳ございません」
「全くだ。それで原因は何かと調べてみて……ひと悶着あったときに、女の一人が落としたその手紙に気付いたんだ」
ヒサメは私に押し付けた手紙を指さす。
なるほど。それで今に至る――というわけか。状況は理解した。
不可抗力ながら、私がヒサメに迷惑をかけたことは本当らしい。
元を辿れば、断りつつも女性たちに気を持たせるような文面を考え、あまつさえ同じ手紙を三人に送り付けたヒサメにも問題はあるような気はするが……それを口にしては藪蛇だろう。
大変申し訳ござませんでした、と私は殊勝な顔で謝った。
だが……
「はんっ、口だけの謝罪なんていらんな」
けんもほろろなヒサメ。
おコマさんが「わざとではないんですし…」と私を庇ってくれるが、彼は聞く耳を持たない。
まぁ、ヒサメ相手に、こちらも口だけの謝罪で許されるとは思っていない。
どんな罰が言い渡されるのかと私は身構えた。
ニィとヒサメの顔に、邪悪な笑みが浮かぶ。
そして、彼は言った。
「利用できるモノは利用しないとな」
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