第16話 文字霊(弐)

 この日、私は屋敷の中をうろうろとしていた。

 食事作り以外することがなく、暇なのだ。

 一応、召使いとして給金を貰っている身なので、ぼうっとしているのはどうかと思った。それでやることがないか、仕事を探しているのである。


 屋敷の中は静かだった。

 主であるヒサメは供として、コンとロウさんを連れて外出している。つまり、家の中は私とおコマさんしかいない。

 

 この屋敷の家事について、食事は私が作っているが、それ以外は主におコマさんがやっている。

 おコマさんはヒサメに仕えて長いらしく、色々と勝手を知っている。だから私は彼女を探して、何か仕事がないか聞こうと思った。



 おコマさんは居間にいて、何やら難しい顔で文机に向き合っていた。机の上には和紙と筆、すずりがあって、書き物をしているのが分かる。

 私はそっとおコマさんに話し掛けた。


「おコマさん」

「あら?ハルちゃん。どうかしたの?」


 堅い表情から一転、おコマさんはふわりと微笑む。それだけで、部屋の空気が緩んだ気がした。


「何か手伝うことはありませんか?掃除でも洗濯でも草むしりでも、何でもやりますよ」

「そうねぇ」


 少し考えるように、おコマさんは頬に手を当てて小首をかしげた。その所作の一つ一つがきれいで、艶っぽい。


「お掃除とお洗濯は済ませてしまったわ。草むしりと言うのも、この炎天下じゃ…」

「……そうですね」


 外はいよいよ本格的に夏。うだるような暑さだ。

 こんな中で、草むしりなんてしたら熱中病で倒れかねない。


「だから、ハルちゃんは夕餉の支度までゆっくり休んでいて?」

「はぁ…そうですか」


 そうは言われても、することがないのはサボっているようで居心地が悪い。

 思い返せば、神白子かみびゃっこ村では書類仕事や家事の手伝いで朝から晩まで働いていたし、都に来たら来たで、大道芸やその準備で毎日忙しかった。

 こんなふうに暇なのは慣れていないのである。


 ここが現代日本なら、暇つぶしには事欠かなかった。テレビやインターネット、漫画やゲームの類が懐かしくなる。

 もちろん、この異世界でそんなものは望むべくもないが……。

 せめて、本の一冊でもあれば良いのだが、それもない。昼寝をするには暑くて寝苦しいだろう……そんなことを考えつつ、私はおコマさんの手元に目をやった。


「お手紙ですか?」

「ええ。お返事を書いているの」


 もしかして、恋文ラブレターだろうかと考える。この世界では、男女が歌や手紙を贈り合うのはごく一般的なことだ。

 おコマさんは美人だから、きっとモテるだろう。恋文など山のように貰うかもしれない。


「三通、お会いしたいというお手紙を頂いたのだけれども、お断りしなくてはならなくて…」

「へぇ。三通も」


 つまり、少なくとも三人の男がおコマさんに言い寄っていることになる。やはり、彼女は大人気のようだ。

 美人だし、優しいし、働き者だし。こんな人がモテないはずがないと、一人納得していると、おコマさんはこんなことを口にした。


方からの懇願のお手紙をお断りするのは心苦しいのだけれど……」

「ん?」


 今、おコマさんは何と言った?

 お嬢様方――と言っただろうか。ということは、手紙の送り主は女性で、それを貰ったのは……。


「あの、それって……おコマさんが貰った手紙ですよね?」

「あら、まさか」


 おコマさんは口元に手を当てて、ころころと笑った。


「どれもヒサメ坊ちゃんがいただいたお手紙よ」

「……」


 私はうんざりしてしまった。


 どうして、あの性悪がモテるのか謎である。都の女性たちの趣向が特殊なのだろうか。

 ……あぁ、でも。豆腐屋の芳さんはヒサメのことを褒めていたっけ。

 確か「「道ですれ違えば、思わず振り返ってしまいそうな美男子」だったか?


 皆、騙されているぞ――私は強く、そう思った。


「坊ちゃんは昔から女性の方に人気なのよ」

「そうですか……って、アレ?」


 ここで私はおかしな点に気付く。


「どうしてヒサメ様が貰った手紙の返事をおコマさんが書いているのですか?」

「そ、それは……」


 おコマさんは目を泳がせた。


「……つまり、あの人。自分では手紙の返事を書かず、おコマさんに書かせているんですね」

「坊ちゃんはお忙しいから」


 眉を八の字にするおコマさんは、ここにはいないヒサメを擁護するように言う。


「それに文面は考えてくれているのよ」


 「ほら」と言っておコマさんが見せてくれたのは、走り書きの文章だ。

 そこには、概ね次のようなことが書いてあった。



『手紙をいただいたことは、とても嬉しい。本当ならば、自分の気持ちに任せて貴女様に会いに行きたい。

 しかしながら、現在は仕事で多忙な身のため、そうはできそうにもない。

 このような手紙をいただき、お断りすることは、貴女様にとってさぞ腹が立つことだろう。けれども、私の身の上をどうかご理解していただきたい。

 何事もままならない現実を、私は歯がゆく思っている。』



 文面だけ見れば、何とも誠実そう。こんな手紙を受け取れば、断られたことへのショックはあるものの、相手も嫌な気持ちにならないだろう。


 ただ、気になるのは……。


「もしかしなくても……三通ともこの内容でお返事を書くのですか?」

「ええ、そうよ。もちろん、宛名は変えるけれど……」

「うわ……」


 私は顔をひきつらせた。

 

 手紙の内容は真面目そうだが、実際はとんでもない。三人の女から手紙を貰い、三人に全く同じ内容を返すなんて、誠実さの欠片もなかった。

 しかも、その手紙を書いているのは、本人ですらないのだ。

 これじゃあ、ヒサメに恋文を送った女性が浮かばれない。


――こんなこと、日常茶飯事なのかな?女なんて、とっかえひっかえしているとか?もしそうなら女の敵だ。


「ヒサメ様って、いつもこんな風なんですか?おコマさんに代筆させて、複数の女性に同じ文面を送っているの?」

「そうねぇ」


 やはりかと、私の中でまたヒサメの評価が一段下がった。

 すると、ぽつりとおコマさんが呟いた。


「でも…。実は私、代筆が苦手なの。坊ちゃんのお役には立ちたいのだけれど、字を書くのがあまり上手くないから……」


 はぁと、おコマさんが溜息を吐く。こういう所作も色っぽい。


「そうなんですか?」

「そうなのよ」


 意外だなと思いつつ「なら、私が代わりましょうか?」と申し出た。


「えっ?いいの?」

「はい。文字を書くのは嫌いじゃないですし」


 前世では、祖母が書道の先生をしていたこともあって、毛筆はわりかし得意だった。暇を持て余していたし、ちょうど良い。

 おコマさんはよほど代筆に苦手意識を持っていたらしく、私の申し出に目を輝かせた。


「ありがとう!助かるわっ!」


 私はおコマさんに代わって、文机に座る。

 神白子村で書類仕事はしていたが、こんな風にプライベートな手紙を書くのは異世界で初めての経験だ。


 私は背筋を正して、筆をとった。

 不誠実極まりない手紙だが、せめて心を込めて代筆をしようと考える。

 一字一字、私は丁寧な気持ちで書いていった。


 しかし、それがまさかを引き起こすきっかけになろうとは…。

 このとき、私は考えもしなかった。



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